一乗谷生き埋め
今年の冬は厳冬で、近江でも毎日のように大雪が続き、大量の雪が降り積もっていた。
そんなある日、伊吹山で雪崩が起こった。幸いにも人命に被害はないそうだが、山城の統麟城含め、寺倉領には山間部が多い。これまではなかったが、一度領内で雪崩が起きたのだ。至る所で雪崩の危険に晒されていると言っていいだろう。
俺は他の場所での雪崩の被害を防止するため、雪崩の状況を確かめに現場に赴いた。雪崩の起きた場所を見たところ、一つの出来事が頭に浮かんだ。 1586年に起きた天正地震。それは戦国時代で最大級の地震で、中部地方の各地に甚大な被害をもたらしたことで有名だ。近江でも長浜城が全壊したり、湖岸近くの集落が水没したり、現在寺倉領となっている大垣城も全壊したことで知られる大地震だ。その中でも一際大きな被害を受けたのは、飛騨国帰雲城とその城下町が地震によって引き起こされた山崩れと雪崩で完全に埋没し、帰雲城で正月の祝宴の最中だった城主の内ヶ島氏理を始めとする一族郎党だけでなく、城下の町民たちも運良く外出していた者を残して全て生き埋めとなったという大惨事である。
この事例を上手く適用すれば、越前国を実効支配している加賀一向一揆勢を一網打尽にできるかもしれない。奴らは本当に厄介な存在だ。野放しにしておけば日ノ本の泰平も脅かされるだろう。だからと言って、正直言って正面からまともに戦うにはあまりにも危険すぎる相手である。
俺は城に戻ると、志能便の長であり、寺倉六芒星の一角である植田順蔵を呼び出した。
「順蔵、雪崩はどういう時、どういう場所で起こりやすいか、知っているか?」
「はい、越前では毎年どこかで雪崩が起きていましたので、長年の経験で大体は存じておりまする。最も起きやすいのは大雪の後に晴れた日があり、その後にまた大雪が積もった時に起きやすいと存じまする。場所はやはり傾斜が急な斜面ほど起きやすいかと存じまする」
志能便は越前にルーツを持つ素破である。越前では雪崩は日常茶飯事で、小規模なものは頻繁に起こっていたという。順蔵が言うのは表層雪崩のことだろう。
「ふむ。その雪崩は、晴れた日で積もった雪の表面が融けた後に再び凍り、その上に積もった新雪がその重みに耐えられず、何らかの衝撃を受けて、凍った雪の斜面から滑り落ちることによって起きるのであろう」
「なるほど。左様でございまするか。雪崩の種明かしをしていただいて、合点がいき申しました」
順蔵は俺の説明が腑に落ちたようだ。知らない人間は神罰だ!とでも思ってしまうだろうし、原理は知っておくに越したことはない。
「一つ尋ねるが、一乗谷は雪崩が起きるような山の傾斜はあるか?」
「一乗谷にございまするか?一乗谷は某が生まれ育った地ゆえよく存じておりまするが、一乗谷を囲む山は木は薪のためにほとんど伐採されておりますが、それでも傾斜はさほどは急ではないため、大雨でも土砂崩れも起こったことはなく、雪崩は今から某が童の頃に起きたのを覚えているという程度でございまするぞ」
「そうか。過去に雪崩があったのだな。では再び雪崩が起きてもおかしくはないな」
順蔵は俺の意味有りげな笑顔にハッとなったようで、拳で顎を支えながら首を二度縦に振りながら口を開いた。
「ふふ、正吉郎様のお考えが分かり申しましたぞ。ですが、一体どのように"雪崩を起こそう"とお考えでございまするか?」
「それはな...」
俺は部屋の端にも届かないほど声を潜めて、順蔵に策略を説明しだした。
◇◇◇
一乗谷城を落とし、朝倉家を滅ぼした2万の加賀一向一揆勢は越前から戻らず、雪解けを待って敦賀に侵攻し、近江国の堅田を目指すという方針の下、町民が逃げ出して空き家となった一乗谷の城下にそのまま逗留し、越冬していた。
最盛期には1万人もの人口があり、北の都と呼ばれたこの一乗谷の城下町は、以前までの繁栄は何処へやら、非常に閑散としていた。人とものの流通が盛んで、応仁の乱以降の度重なる戦災で荒廃した京の都よりも京らしく小京都とも言える町であったが、加賀一向一揆との最後の決戦であった足羽川の戦いで朝倉景鏡率いる朝倉軍が敗れたと聞いた途端、加賀一向一揆の門徒による掠奪や暴力を恐れた町民たちは、運べるだけの家財道具を持って町から逃げ出したという。そのため、町には人影はなく、ゴーストタウンと言うべき有様であった。
加賀一向一揆の主導者である七里頼周と杉浦玄任は、朝倉家代々の当主が住居としていた朝倉館に滞在し、朝倉館に備蓄されていた食料や酒を喰らい、朝倉家の遺した遺産を湯水の如く消費していた。
それを咎める者がいるはずもなく、深い雪に覆われて身動きが取れない間は、毎日が半ば宴会のような状態になっていた。
そんな状況を遠くから憎悪の籠った目で苦々しく見ている者たちも多くいた。
その筆頭が朝倉家最後の生き残り、朝倉孫三郎景健だ。北ノ庄にほど近い安居城の元城主であり、病死した朝倉宗滴に代わって加賀遠征軍を率いた猛将である父・景隆を足羽川の戦いで失った。景健自身もその際に足を負傷し、運悪く傷から感染症を発症して、余命も風前の灯火と化していた。
しかし、景健は父と朝倉家を奪った加賀一向一揆に対する復讐心を胸中で業火の如く燃やしており、病に伏しながらも、元家臣の援助を受けながら秘密裏に兵を募り、どうにか500の兵をかき集め、朝倉家一門衆として加賀一向一揆に最後に一矢報いるべく、奇襲による特攻作戦を計画していた。
そんな死を覚悟した景健の前に現れたのが、植田順蔵である。順蔵は景健の企みを既に嗅ぎつけていた。景健の計画が実行されれば加賀一向一揆勢が警戒を強め、そうなればいくら志能便と言えど爆弾をバレずに設置するのは不可能となり、正吉郎の策を根底から覆すことになりかねない。それを案じた順蔵は、身元が割れることのないよう、顔を隠して景健に近づいた。
「今、わずか500の手勢で奇襲を仕掛けようとも、単なる犬死となるだけの匹夫の勇でございまする。ですが、近い内に一乗谷で雪崩が起き、加賀一向一揆を率いる坊主どもは雪崩に埋もれて死ぬことになるでしょう。しかれば、その雪崩の後に運良く生き残った者どもをお討ちなさるが良かろう」
その忠告を景健の耳に入れると、順蔵は景健が返事をする間もなく、音もなく去っていった。
◇◇◇
いつものように七里頼周が杉浦玄任と酒を飲み交わしていたその日の夜、異変は起こる。
深夜、誰もが寝静まった一乗谷に突如、周りを囲む山で大きな音が10回ほど立て続けに起こったのである。
「な、何事じゃ!? 誰ぞある!」
その音に目を覚ました七里頼周は驚きの声を上げ、寝ずの番を呼びつけた。
「はっ、ここに」
「先ほどの大きな音は一体何だ?」
「さぁ...拙者には見当もつきませぬ」
その直後、地鳴りのような音が耳に響く。音の元に目を向けた矢先、突然壁を突き破る“何か”が目に映った。そしてそれが何か認識する間もなく、二人は呆気なくそれに飲み込まれた。
◇◇◇
翌朝、順蔵は晴れた山上から雪崩で埋もれた一乗谷の町を見下ろし、小さく息を吐いていた。
「正吉郎様は真に恐ろしいことを考えなさるお方だ。誰にも気づかれぬよう人為的に雪崩を引き起こすとは....。まるで神仏の化身であるな」
寒風の中、一面の雪に埋もれて廃墟と化した一乗谷の城下に消えていく順蔵の独り言に、配下の志能便たちも静かに首肯したのだった。
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