朝倉滅亡と嫡男誕生
12月9日、坂井郡から進軍を再開した25000の加賀一向一揆勢は、九頭竜川を渡り内乱で混乱を極める朝倉家の本拠・一乗谷城へと一直線に侵攻していた。
さすがにこの期に及んで対立している訳にもいかず、団結せざるを得なくなった朝倉家中は、領内から全兵力の1万余りを掻き集め、二倍以上の一向一揆勢の大軍に立ち向かい、加賀一向一揆との最後の決戦に挑んだ。
しかし、朝倉景鏡による謀反からの内乱により、景鏡の器量では朝倉軍の指揮命令を統一することもできず、整然と進軍することさえ苦労していた。朝倉軍には深く根付いた疑念が蔓延っていたのである。
足羽川の北の北ノ庄で対峙した両軍は昼過ぎに激突し、決戦が始まった。
当然、朝倉軍はそんな状態でまともに戦えるはずもなく、一向宗の教えに洗脳されて死を厭わない、いや、むしろ死を望んでいるかのような門徒たちの狂気とも言える異常な闘争心は、最前線で戦う朝倉軍の先鋒に大きな恐怖心を植え付け、それはすぐに朝倉軍全体に伝染し、わずかに残った士気と攻撃力を更なる低下へと導いていった。
兵数、士気、統率力のすべてにおいて一向一揆勢に劣る朝倉軍は、戦闘が始まって間もなく陣形の崩壊を見せ始める。まるで蝗の大群に襲われたかのように、半刻も経たないうちに朝倉の先鋒部隊は瓦解し、朝倉景鏡率いる本隊が剥き出しになると、元来疑心暗鬼で臆病な性格の景鏡は早くも戦意を喪失し、撤退しようと狼狽えていた。
一向一揆勢がその隙を見逃すはずもなく、餓狼のような素早い突撃により、景鏡の本隊は瞬く間に囲まれて蹂躙され、景鏡は名もない農民の雑兵たちの槍に滅多刺しされて、呆気なく討ち取られた。
「大将首を取ったぞ! おおーー!」
槍の穂先に串刺しにされた景鏡の首が高く掲げられると、大きな勝鬨が挙がったのであった。
大将が討ち取られた朝倉軍はすぐに崩壊し、無理やりに徴兵された農民兵たちは我先にと一目散に逃げ出した。一向一揆勢は逃げ惑う朝倉軍の残党に気を留めることなく、町民が逃げ出して無人と化した一乗谷の城下に進軍し、半ば空城となっていた一乗谷城へと兵を進めた。
一乗谷城の守備兵の奮闘も虚しく、景鏡から唯一信頼を受けて、留守居役を任されていた弟・朝倉景次も切腹し、一乗谷城は落城した。
ここに、越前で栄華を極めた朝倉家は、遂に滅亡の時を迎えたのであった。
◇◇◇
「お生まれになりました!元気な男の子にございます!」
日付が12月20日に変わり、深夜2時頃だろうか。暗黒に包まれる物生山城に、突如静寂を切り裂くような産声が響き渡った。世間一般の男親と同じく、控えの部屋で数時間そわそわしっぱなしだった俺だったが、その元気な第一声を聞いて、ようやくほっと胸を撫で下ろした。それと同時に、自分の子が元気に生まれてきたことに喜びを露わにする。思わず両手を振り上げて万歳をしてしまったくらいだ。
俺は真っ先に市の元へ駆けつけた。未婚だった前世では知らなかった妻、そして子という存在。改めて目にすると、表現し難い感情で胸がいっぱいになってしまった。
市は初めての出産を終え、体力の限界だったのだろう。元気に泣く我が子の姿を見たことで安心したのか、俺が駆けつけた時には安らかな寝顔で寝息を立てていた。こんなにか細い身体の市が無事に母子ともに健康で出産してくれて、今だけは心から神仏に感謝したいと思っている。そんな市が無性に愛おしくて額を優しく撫でると、侍女の仙が抱きかかえた赤子を受け取り、腫れ物にでも触るかのように我が子を恐る恐る抱き上げた。重さは非常に軽い。少しでも力を入れたら壊れてしまいそうなほどか弱い存在だ。第一印象は赤子という言葉どおり、真っ赤で皺くちゃな猿のような顔だなという、そんなごく当たり前なものだった。
抱き上げた我が子は泣き疲れたのか、表情はすやすやと気持ち良さそうに眠る寝顔だった。
俺も長い間気を張り続けていたのが、母子ともに健康なのを確認して安心したせいか、どっと疲れと眠気が襲ってきて、市と子供を侍女に任せ、間もなく眠りに就いた。
初めてできる子供なので、名前は男女のどちらとも以前から悩みに悩んで考えていた。男の子であれば嫡男となるので、俺の尊敬する父・寺倉蔵之丞政秀の名から「蔵」の文字をもらい、秀でた才を持ってほしいという願いを込めて、「
◇◇◇
翌朝、物生山城で城勤めする家臣らを集め、嫡男「蔵秀丸」の誕生を報告すると、家臣たちは大喜びして、口々に「おめでとうございまする」と祝福してくれた。
そして、元日に同盟を結ぶ近濃尾の大名家を招待し、正式な嫡男誕生の報告とお披露目を行い、嫡男誕生を祝う盛大な祝宴を催すことを決定した。
年が明けて永禄6年(1563年)の元日、物生山城下は普段の正月をはるかに上回るおめでたい雰囲気に包まれていた。さらには蒲生、浅井、織田、竹中と近隣の有力大名も集い、領主の嫡男誕生を祝福する領民たちの笑顔で溢れていたのも、至極当然と言うべきだろう。
大広間には上座下座の差別はつけていない。これは招待を受けてくれた大名に対する敬意でもある。
俺から向かって手前左に大名家の面々が座り、手前右に光秀を筆頭とする寺倉六芒星と呼ばれる譜代の重臣が座った。その奥には有力な国人領主や寺倉家の他の重臣が並んだ。
「御嫡男の誕生、誠にお祝い申し上げる」
まずこの中で家格が最も高く、妻・市の実家である織田家の当主・織田信長が祝いの言葉を贈ってくれた。普段は必要最低限の言葉しか発しない言葉足らずの信長だが、さすがにこのめでたい祝いの席での振舞いは心得ていたようだ。
それに続いて、他の面々も一斉に口を揃えて「お祝い申し上げまする」と俺に告げる。俺は一度大きく頷いた後、徐に所信表明を述べた。
「皆様方の祝いの言葉、誠にかたじけなく、深くお礼申し上げる。蔵秀丸は将来は寺倉家を継ぐ者となりまする。蔵秀丸が家督を継ぐ頃には、日ノ本は平定されておるであろう。よって、日ノ本の平穏と安寧を守り、日ノ本をさらに豊かにしていくという重責を担うに相応しい男となるよう、蔵秀丸を妻と共に育てていく所存にござる。これからも皆様方のご高配を賜りたく、何卒よろしくお頼み申しまする」
今日は嫡男のお披露目ということで、市も出席してもらっている。市は自分の居場所がないようで、頰を仄かに赤く染めながら、集める視線から目を背けていた。信長はそんな妹を、優しく見守るような眼差しを送っていた。かわいい妹と久しぶりに会ったからか、喜びを隠せないのだろう。さすがシスコンの戦国代表だ。
「そして嫡男誕生を祝して、この物生山城を改名し、本日より『統麟城』と名を改めることとする! 統麟城の由来は「天下を『統』べた後、颯爽と城に凱旋する麒『麟』」という意味である。天下泰平の世に姿を現すと伝説に言われる麒麟である。天下泰平を掲げる寺倉家にとって、誠に相応しい名前であろう!」
俺の横で小姓が「統麟城」と大きく墨書きした紙を掲げると、突然の俺の発表に皆はかなり驚いて、一瞬場の空気が固まったようだったが、皆顔を見合わせるようにした後、「誠にいい名前だ」という声があちこちから上がった。
そして、御披露目は光秀の進行により恙無く進み、無事に終わりを告げる。その後は予定どおり盛大な祝賀の宴が催され、夜遅くまで酒宴の盛り上がりが絶えることはなかった。
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