今川氏真の亡命
11月30日。
12代にわたってこの東海道に遍く繁栄をもたらした今川家は、武田の一方的な裏切りによって滅亡した。今川家重臣の岡部元綱や朝比奈泰朝の奮戦も虚しく、駿府館は焼け落ちた。
駿府館が落城したことで駿河の今川の残党は一斉に降伏した。
戦国大名としての今川家最後の当主・今川氏真は、側近の岡部正綱に連れられて辛くも駿府館を脱出していた。氏真は駿河湾を渡る船の上で目覚めた後、普段からは考えられないほど鋭い形相で正綱を責めたが、早川殿と寿桂尼に宥められると落ち着きを取り戻した。
一行がまず向かったのは、北条家が支配する韮山城である。
この城は史実で豊臣との激しい攻防戦を経験し、その堅固な様から「龍城」との異名を持つ伊豆国屈指の堅城である。一行は北条氏康の四男・北条氏規に入城を許可され、氏規と氏真は面会した。氏規は幼少の早川殿が氏真に嫁ぐまでの間の人質として今川家に送られ、数年間駿府で過ごした後、今年の春に北条家に帰還し、韮山城城代となっていた。氏規の母は今川義元の妹であるため氏真とは従兄弟同士であり、氏規の妹・早川殿の夫である氏真とは義理の兄弟でもあったことから、駿府時代の二人は親しい関係であった。
したがって、本来ならば氏規と氏真は今年の春以来の再会を喜ぶべきところであったが、久しぶりに対面した氏規の対応は非常に冷たいものであった。
「治部大輔殿、残念ながら貴殿を北条で庇護することはできませぬ。これは我が父からの伝言でして、その意図は分かりませぬが、どうかお許しいただきたい」
氏規は後ろめたそうな表情で氏真にそう告げた。その理由として、北条が今川に援軍を送らない代わりに、武田が駿河の富士川以東、いわゆる河東の地を北条に割譲する取り決めがなされていたからである。
北条が氏真を受け入れれば、武田にあらぬ疑いをかけられて身柄の引き渡しを要求され、引き渡しを断れば約定を反故にされる可能性がある。武田信玄は冷徹な人間だ。必要とあらば父・信虎や長男・義信のように肉親さえも切り捨てる事を厭わない男であることを、氏康はよく理解していたのだ。
氏真は優しい性格の持ち主というだけでなく、非常に聡い人間であり、北条が武田との関係が拗れて迷惑をかけることを嫌がっただけでなく、北条にとって邪魔な存在となる自身の身の危険を理解した。故にその言葉を抵抗なく受け入れ、城を後にした。正綱は最後まで氏規を説得していたが、当の氏規は頑なに首を横に振るばかりであった。
氏規は妹である氏真の妻・早川殿と、氏規にとっても祖母となる寿桂尼だけは受け入れると言っていたが、本人たちが拒否した。早川殿は氏真と非常に仲睦まじく、たとえ茨の道になろうとも氏真と一緒の人生を選んだのである。
氏真は何度も早川殿に頭を下げた。「苦労ばかりかけて本当にすまぬ」「私が選んだ道です。彦五郎様が謝る必要などありませぬ」というやり取りがこの後も永く続いたのはまた別の話である。
氏真一行は西伊豆から航路で尾張の津島へと向かった。陸路だと武田に制圧された駿河を通ることになるため、当然ながら船での移動となった。
織田領では当然武田の追っ手はない。とはいえ織田は長年の宿敵であり、当然ながら友好的な関係ではない。氏真としては和解したいと考えていたところだったが、不安定な自身の立場を鑑みて織田との接触は控えた。
一行が目指したのは寺倉領である西美濃だ。同盟関係があった北条に実質的な手切れを言い渡された今、氏真にとって頼れるのは唯一友好関係を築き続けていた寺倉家だけだった。一行は津島から川舟に乗り換えると、揖斐川を遡って大垣城を訪ねた。ここからはもう寺倉領であり、大垣は西美濃で最も栄える町で重要な戦略的拠点となっており、この城を治めるのは朝倉景紀であった。
氏真が名を名乗ると、度が過ぎる程の歓待を受けた。その日は城内に泊まり、翌朝には氏真と正綱は馬、女性は輿に乗って護衛が付けられ、東山道を通って垂井の町を越えて、夕方ようやく寺倉家の本拠・物生山城へと無事に辿り着くことができたのであった。
◇◇◇
「彦五郎殿、よくぞご無事で! 久しぶりにお会いできて誠に嬉しうござる!」
俺は今朝早くに大垣城の朝倉景紀から氏真の身柄を保護したという連絡があり、眠気を吹き飛ばすほどに勢いよく飛び上がった。
氏真は史実のように北条から庇護を受けられず、尾張の津島まで航路でやってきたそうだ。その日の夕刻、氏真はわずかな供の者を連れて大垣城へと入城したようである。
「このような形での再会になってしまい、本当に情けないと思うておる。此度は突然来訪することとなり、迷惑をかけて誠に申し訳ない」
氏真が頭を下げる。心優しい氏真のことだ。俺に頼る以外無くなってしまったことを、本当に心苦しく思っているのだろう。
「親友の彦五郎殿の来訪を迷惑に思うはずがなかろう。風呂も用意しているので、まずは彦五郎殿と供の方々はゆるりと長旅の疲れを癒していただき、今後のことはそれから考えることに致しましょう」
氏真の目元には微かに隈ができていた。昨夜は寺倉領に着いて安心し、久しぶりにぐっすり眠れたのだろう。顔色は悪くない。だが、駿河から近江までの長旅の疲労が溜まっているのは間違いないだろう。
俺は小姓である蹊祐に耳打ちし、氏真とその供、そして女性陣に充てた部屋に布団を敷くよう伝えた。布団はその高価な値段もあり、未だ東国へは伝わりきっていないが、氏真には贈り物として羽毛布団を送っており、お礼の手紙で非常に喜んでいたのも記憶に久しい。
庶民向けの鶏の羽毛を使った比較的安価な布団は需要が高く、既に大量生産に向けて移行しつつある。しかし、水鳥の羽毛100%の布団を買うのは大金持ちの商人くらいで、需要は少ない。
客人用には当然一番良いものを提供することにした。氏真は客将としてこの物生山城に滞在してもらうつもりで考えている。
「それには及ばぬ。私は今後のことを既に決めている」
氏真は俺の言葉に首を振る。俺は怪訝そうに眉を顰めるが、その真剣な目つきから身構えた。
そして氏真は言葉を続ける。
「私、今川治部大輔氏真は、寺倉掃部助蹊政様にお仕えしたく存じます。不躾ながら、誠心誠意精進して仕えて参りますので、どうか聞き入れていただきたい」
氏真は突然俺に頭を垂れると、平身低頭臣下の礼を取った。俺は一瞬固まってしまったが、氏真の目を見てその決心に応えることを決めた。
「......本当に私でよろしいのか?」
しかし、俺の口から出たのは氏真の決意を疑うような言葉だった。
「はい。既に心は決め申した」
なんて失礼なことを言ったのだろう。氏真の真っ直ぐな目を見て受け入れることを決めたのに、一体どうして俺はここまで悩んでいるのか。
「...左様ですか」
そうか、俺は今川氏真、いや、今川家当主という存在を背負いこむことになるという事実に足がすくんでしまったのだ。
これから日本を平定しようという者が情けない。俺は視線を逸らしながら自嘲した。
「私は何があろうと正吉郎様、貴方を支えて参りまする。悩み事や苦しみなど、貴方の親友である彦五郎が受け止めて差し上げまする」
その言葉に俺はハッとなった。
そうか、無理に背負いこむ必要はない。足を並べて共に歩んでいくのでも十分ではないか。同じ志を共有する仲間、それで十分だ。
俺は吹っ切れた。氏真と同じように強い決意を含んだ目で氏真の目を真っ直ぐに見据える。
「わかった。では今川治部大輔氏真殿、貴殿を我が家臣として迎え入れよう。これからよろしく頼む」
「よろしくお願い申し上げまする」
こうして、今川氏真が家臣となった。氏真は戦国大名としての才能は皆無であったが、文官としての才能が開花し、将来、「寺倉六奉行」の筆頭として名を馳せることになるのであった。
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