今川滅亡
11月に入り、織田信長が遠江侵攻を開始した。犬居城の天野家や、高天神城の小笠原家など、一部の有力国人を除き、群雄割拠の状態で後ろ盾のない弱小国人は、事前の調略の甲斐あって次々と降伏・臣従をしていった。
信長は駿河侵攻の動きを見せる武田を警戒し、尾張・三河の全兵力とも言える2万の大軍を率いてこの遠江に侵攻していた。まともにぶつかっても勝ち目はないと慄いた、御家存続を第一に掲げる弱小国人には、戦うという選択肢すらなかった。
さらに、織田の遠江侵攻と同時に武田が三国同盟を破り、突如として駿河へと攻め入った。氏真は前々から正吉郎に武田の動向には気をつけろと言われており、氏真自身細心の注意を払って武田を警戒していた。だが武田を止めることはできなかった。悪夢が現実となってしまったのである。
武田はあっという間に駿河国の北東部を制圧し、今川家の本拠・駿府館へ向けて西進した。しかし今川家にも意地があった。
高い山地が駿河湾に飛び出す東海道随一の難所に聳え立ち、天然の要害である蒲原城。駿河屈指の堅城であり、今川が北条・武田との抗争で幾度となく衝突した際の最前線となった城である。
この蒲原城は、庵原忠胤が守備する城である。武田の大軍を前に怖気づくことなく、徹底抗戦を貫いた。庵原家は太原雪斎を輩出したことでも有名な、今川家の重臣中の重臣だ。
蒲原城の本丸では、庵原家の面々が険しい顔で最後の戦時評定を行っていた。
「ふふふ、武田信玄とやらも存外大したことありませぬな。我らに対してここまで苦戦して頂けるとは」
まるで勝ち戦のような和やかな雰囲気。庵原忠胤の義弟・忠縁の口調は皮肉に塗れていた。その言葉に家臣らも一斉に笑みを零す。
しかし、実際は軽口を飛ばせるほど状況は芳しくなかった。いや、絶望的であった。駿河屈指の堅城と呼ばれた蒲原城だが、武田の1万5000という大軍に耐え得る力は持っていなかった。当然今川本家からの援軍が期待できるはずもない。
言うなれば孤立無援である。周囲からの援助も期待できず、兵糧の補給もままならない。武田は力攻めで落とすつもりだったようだが、兵の損耗が激しいために途中から兵糧攻めに戦術を変更したらしい。
そしてついに兵糧は底を尽きた。飢え死にするくらいならば、討って出て一人でも多くの兵を討ち取る。次の日には城内から包囲軍に対し総攻撃を加えることになった。
「今川はもう耐えきれぬだろうな。雪斎様の支えた今川が、こうも容易く崩れ去るとは思わなんだ」
遠い目で現実を口にする。人間は絶望を前にすると涙さえ出ないものなのだな、と忠胤は感じた。無論忠胤自身只で死ぬつもりは毛頭ない。城内500の兵で武田の兵を一人でも多く討ち取るのが仕事だ。今川は勝てないかもしれない。それでもやらなければならないのだ。
忠胤は翌朝の全軍突撃を前に、家臣との別れを惜しむ、最後の晩酌に耽ったのであった。
◇◇◇
翌朝、庵原軍500は捨て身の突撃を敢行した。その狂気にも似た勢いに気圧された武田軍は、楽勝な戦い故の油断を突かれたこともあり次々に討ち取られていった。数1000、いや、1万にも思うほどの威圧が武田軍を包んだ。敵は数百。されど数百である。中には同士討ちを始める者も出て、戦場は阿鼻叫喚の様相を呈していた。
しかし多勢に無勢である。1万5000の兵は勢いで倒せるものではなかった。500の兵は瞬く間にその命を散らしていった。自ら刀や槍を振るっていた庵原一族も決死の抵抗虚しく、全員が壮絶な死を遂げた。
この蒲原城の戦いで武田軍は全体の一割にも当たる1500を超える損害を出した。この戦いは皮肉にも今川家最後の抵抗戦になるのであった。
◇◇◇
戦国の雄、今川家当主の今川氏真は、窮地に陥っていた。「海道一の弓取り」と称えられた父・義元が桶狭間で討ち取られてから、僅か二年の間での凋落だ。この駿河で栄華を極めた今川家も、織田に三河を奪われ、遠江で内乱が起こった。大名を失った遠江は他の大名からすると美味しすぎる場所だった。これを狙ったのはやはり織田であった。
既に今川の手から離れた遠江が侵攻されたからと言って、駿河一国を治めるのに手一杯な今川が手出しできるはずもない。
そこまでは良かった。家臣からは猛反対を受けたが、氏真は織田が関東を狙うのならば、遺恨を重ねてきた長年の対立関係を和解し、同盟を組むこともやむを得ないとまで考えていた。
だが、三国同盟で背中を預け合っていた武田がここで裏切り、突如この駿河に侵攻してきたのだ。同盟を結ぶ北条に援軍を頼むも、上杉の動きが怪しいからと素気なく断られ、援軍を出す気配は全くなかった。今川家にとっては孤立無援の八方塞がりだ。
今川の存亡をかけた戦い。既に今川を見限り武田についた家臣や国人も多く、今川はこの駿府館に追い込まれ兵もかき集めてようやく3000という有様だった。最も天下に近い存在だった頃の面影は、もう何処にも残っていない。
「私は今川を守ることはできなかったのだな」
氏真は自身の行いを悔いるように小さく呟く。戦火に晒される城下の街を見て、ようやくその事実を理解した。
「殿。この城はもう持ちませぬ。どうかお逃げくだされ」
ああ、もう終わりなのか。そう覚悟し顔を引き締めた氏真は振り返り、背後の家臣へと向き直る。
「そんなことできるはずなかろう。私は父上から受け継いだこの今川家を守ることができなかった。だとしても、お主らの命だけは私が守ってみせる。私が信玄を説得し、私の命と引き換えにしたとしてもだ。たとえ死ぬことになろうとも、私はお主らを見捨てたりはしない」
主家がここまで追い詰められようとも、こうして自分に力を貸してくれる忠臣を、氏真は見捨てることなどできなかった。離反していった家臣のことを責めるつもりもない。彼らは“強い今川家”に仕える家臣であり、周辺諸国から虐げられ、今や滅亡を迎えようとしている今川家に仕えているわけではないのだから。
だからこそ、共に戦う忠臣を見捨てるわけには行かなかった。できなかったのだ。
「そのようなことを仰いますな。戦は時に退くことも必要なのですぞ」
「私は逃げてばかりだ。父上が討たれてから今まで逃げなかったことがあったか?」
自責の念に駆られる氏真を、目前の重臣、岡部元綱は少し困ったように見つめていた。その隣にも同じく忠臣、朝比奈泰朝がいた。その目は駄々をこねる子を見つめる親のようにも見えた。
「私はもう童ではない。お主らには幾度と無く迷惑をかけた。最後くらいはその忠義に報いなければ気が済まぬのだ」
話が平行線のままで、最後の最後で頑なな態度を押し通す氏真を見て、元綱は目を強く閉じて思案する。その様子には、哀しさがありその目からは涙が溢れ出していた。
「ど、どうしたのだ。今は泣くときではなかろう」
急に涙を流した元綱を見て、氏真は困惑を隠せずにはいられなかった。
「いえ。殿もご立派になられたものだと思いまして」
元綱は少々からかうような口調で氏真に向けて告げる。そして、その横に座っていた従弟・正綱に耳うちをした。
氏真は何かと思い首を傾げるが、その正綱が急に立ち上がって氏真の元へと歩み寄る。
「殿、失礼します」
そしてその直後、目にも留まらぬ速さの手刀が氏真の首筋を捉えた。氏真が気付いた時にはもう時すでに遅し。氏真は意識を手放し、部屋の中には静寂が広がっていた。
正綱はそのまま倒れ込んできた氏真に軽く会釈をしながら支える。
「次郎右衛門尉。お前は氏真様と早川殿らを連れて逃げろ」
「ご、五郎兵衛殿はどうされるのですか?!」
「俺はこの城と運命を共にする。最後までこの城を守り抜くのだ。治部大輔様が愛した、この駿府を.....」
歯ぎしりが部屋に響く。城下の街はすでに火の海と化しており、10代にわたって栄えた駿府の街は、終焉の時を迎えようとしていた。そんな絶望的な状況を目に映しながらも、元綱の目に浮かぶ決意の炎は決して弱まることがなかった。
桶狭間の戦いで鳴海城を守り、主君・今川義元の首との交換で開城して帰還した今川家屈指の猛将、岡部五郎兵衛元綱はすでに覚悟を決めている様子で、正綱は何を言っても無駄なことを察した。それは隣の朝比奈泰朝も同じで、この城と運命を共にする決意を固めていた。
「殿、お達者で」
短い言葉だったが、その重みは計り知れないものがあった。深く深く頭を下げ、今生の別れを悲しんでいた。
「では、五郎兵衛殿もお達者で。ご武運をお祈りいたしまする」
元綱の目にも、自然と大粒の涙が溢れ出していた。主君との別れというだけではなく、親しかった血族同士の別れでもあるのだ。従弟の正綱にとって悲しくないはずがない。
「ああ...お前も達者でな」
正綱は背を向け、気持ちを入れ替える。主君、氏真だけは命に代えてでも守り抜かなければ自分の存在意義はない。そして意識のない氏真の身体を背負いあげる。
(かように細い体で、今川の全てを背負ってこられたのだな)
正綱は存外に軽い氏真の体温をしみじみと感じ、従兄との今生の別れと今川の滅亡を身を以て実感した。正綱は誰にも聞こえないような声で静かに嗚咽を漏らしながら、小走りで早川殿と嶺松院、寿桂尼がいる奥の間へと向かったのだった。
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