一乗谷崩れ

永禄5年(1562年)9月9日。越前国亥山城。


大野郡司・朝倉景鏡は、謀反の決行に先立ち、思案を練っていた。朝倉景鏡は押しも押されもせぬ一門衆筆頭である。朝倉家の当主が義景に変わってからも、及び腰な義景に代わり当主名代として度々戦に参加していた。


今回の加賀一向一揆の采配は殆ど全て義景が行っており、景鏡は戦には不参加であった。理由は景鏡が謀反を秘密裏に計画していたからである。勿論義景は一門衆の筆頭である景鏡がそんなことを計画しているなど知る由も無いし、考えるはずもない。景鏡はこの戦で朝倉軍が負けることを察していた。いや、それを望んでいたのである。


加賀一向一揆の兵数は朝倉の全軍を以ってしてもそれを上回る大軍だ。まともにぶつかっても勝ち目は薄い。それに奴らは僧兵に率いられた死兵だ。「死ねば極楽」などと念仏を唱えて狂気としか思えない信仰心によって洗脳されており、何をしでかすかわからない。計算高い景鏡にとってはこの上なく不気味な相手なのだ。総大将としてこの戦に出て敗れるようなことがあれば、敗戦の責任を問われて朝倉家中での地位を落とし、自身の立場も危うくなりかねない。権力に対して異常なまでの執着心を持つ景鏡はそう危惧したのだ。


負けることが濃厚ならば、敗戦の責任を全て義景に押し付け、殺して乗っ取って仕舞えばいい。そう考えたのである。加賀一向一揆との戦では、浅井がこちらへの侵攻を目論んでいるという噂を義景の耳に入れ、その備えのため今回の戦に参加することができないと出陣を断った。


朝倉義景は平和主義で危険な橋を渡ろうとは絶対にしない。それ故に欲深い景鏡はそんな義景を疎んじていたのである。これを好機と見た景鏡が、朝倉家の乗っ取りを計画した。


朝倉家の面々は、義景に扇動される形で浅井への恨みを露わにしている。浅井が攻め込んでくるという噂を、景鏡は逆に利用することにした。


「一方的に裏切った浅井」が攻め込んでくるからその対応のため出陣できない、攻め込んできた時には命をかけて守りぬく所存だという意思を強く示したことで、むしろ好意的に受け止められることができた。


景鏡は自らの掌の上で面白いように転がせていることにほくそ笑みながら、闇夜に不敵な笑みをこぼしていた。




◇◇◇



9月11日。日付が変わってすぐの時間、朝倉家当主・朝倉義景は、怪しい気配を感じて起き上がった。


(なんだ、この気配は。嫌な予感がする)


義景は自らの直感を信じ、部屋を出て屋敷の裏から出ようと足早に移動する。義景が住んでいるこの朝倉館は、一乗谷の山合いに位置し、山上にある戦時用の一乗谷城からは離れた場所にある。そのため、万が一の時に備え朝倉家は屋敷に裏口を設け、有事の際にはそこから脱出するという仕組みになっていた。しかし、それは当然一門衆が裏切ることを想定しているわけではない。一門衆はほぼ全員が裏口の仕組みを熟知していたのである。


そのため、謀反を計画した景鏡は、義景が間違いなく裏口から逃げるはずだと確信していた。そして案の定、義景は裏口に向かった。この屋敷には城のように昼夜問わず働く守備兵は僅かである。景鏡はそれを知っていたため、人が少ない上に守りが薄いこの時間帯を選んだ。


正面から襲撃した囮は守備兵と交戦し、何人かが命を落とすも、その程度の犠牲で景鏡の計画に狂いが出ることはない。多勢に無勢、屋敷の守備は崩壊し、義景は事前に裏口へと回っていた景鏡らに包囲された。


「まさか、お前がこのような暴挙に出るとは、気でも狂ったか!」


「ふふふ、朝倉は強くなくてはなりませぬ。加賀一向一揆に敗戦した貴方には責任を取っていただかなくては、打倒浅井に燃える他の者達にも示しがつかぬでしょう」


「それならば我らに協力すれば良い話ではないか!如何してこのような真似をする!」


「私が求めるのは朝倉家当主という地位。それには貴方の存在は邪魔なのですよ」


「儂の死は高くつくぞ、景鏡。儂が死ねば越前は更なる混乱を迎えよう。それをお前が抑えられるとは思えぬ。無論、加賀の一向一揆には到底敵わぬだろう」


「それは戯言に過ぎませぬぞ。私が朝倉をまとめ上げ、宗滴様の時代の栄光を取り戻して見せましょう。安心して天に召されよ」


その目には朝倉家の最盛期を築きあげた、今は亡き朝倉宗滴への尊敬の念が孕んでいた。こやつは幻想に取り憑かれているのだ、と義景は遠い目をしていた。


「ふん、命乞いをしても無駄だということか。それほど朝倉家の当主になりたければ、なってみるがいい。お前は儂が死んで初めて気付くことになるだろう、腐敗した朝倉の現実をな」


「言いたいことはそれだけか?ならば覚悟して頂こう」


景鏡は義景の忠言を軽く流し、その顔を睨みつける。義景は目を瞑ったまま悟ったように目前に迫る死の時を待った。少しぐらい無様な姿を見せてくれれば、心を痛めることもなかっただろうに。とそんなことを思いながら、景鏡は無表情のまま刀を一閃したのだった。




◇◇◇




越前国坂井郡長崎城。


「朝倉家で内乱が起きたか。まさかここまで上手くいくとはな」


加賀一向一揆の主導者・七里頼周は朝倉の惨状を聞き、顔から漏れ出る笑いを堪え切れずにいた。浅井が越前侵攻を計画しているという噂が流れたのは、頼周が家臣である杉浦玄任に命じたからである。


朝倉景鏡が欲深い人間だということは頼周自身よく理解しており、この隙をつかない手はないと考えたのだ。つまりは、景鏡が義景を謀殺するように仕向けて、掌の上で転がして高みからほくそ笑みながら俯瞰していたのである。


「こうも簡単に罠に掛かってくれるとは、存外と朝倉も大したことなかったですな」


玄任が頼周の笑みを見て、吊られるように笑っている。朝倉を内部から崩せたことで、越前制圧が現実的なものになった。その事実に喜ばないはずもない。


「朝倉景鏡は野心家で家中では人望がないと聞いておる。主君殺しの男に従う家臣は多くはなかろう。朝倉を滅ぼせば来年には敦賀、そして念願の近江も目前だ。だが油断は禁物だ。すぐに一乗谷に侵攻する兵を集めよ。朝倉家中が混乱している内にここで一気に崩す!」


頼周は用心深い男ではあったが、一旦決断したら行動に移すまでが非常に早い。朝倉が混乱に包まれる今こそ、越前を獲る好機なのだ。頼周にとってここを逃すわけにはいかない。


「はっ!」


玄任に兵を集めるよう命じると、頼周は松明に持っていた酒をかけ、暗い廊下へと姿を消していったのだった。

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