蓮華の誓い

6月29日、織田、寺倉、竹中、そして浅井の当主が岐阜城に集まり、大広間で車座の形で座った。


「此度は岐阜城にお集まりいただき、かたじけなく存じまする。某は美濃国主となった、竹中半兵衛重治にござる」


まずは三家を迎え入れた立場として半兵衛が、そしてそれに続くように、信長と長政が続けて短く挨拶をした。


「某、寺倉掃部助蹊政にござる。此度は私の提案に応じていただき、かたじけなく存じまする。本日、皆様方にご足労いただいたのは、文にも書いた通りこの日ノ本を早期に平定するために、日ノ本の中心に位置する我ら四家が連携し、侵攻方向を分担して協力するという四家同盟の締結と、今後の四家の侵攻方向について話し合いたいと考えたからにございまする」


信長は俺の言葉に首肯した後、「構わぬ、続けろ」と俺を促した。長政も静かに俺に目配せし、異論はないことを伝えてきた。


「では、まず四家同盟は今後10年の不戦と相互不可侵、相互軍事支援を内容とし、同盟終了の半年前までに事前通告がない場合は自動的に10年延長する、としては如何でしょう」


まずは今後10年の安全の確保。その10年の間にもし関係が変化することがあれば、事前の通告が為された際にのみ再び検討されるという内容だ。


「四家の領地は日ノ本の中心で背中を預け合う形に位置しております。したがって、四家同盟により我々は後顧の憂いなく、戦力を一方向に集中して侵攻することができます。今後の四家の侵攻方向についてですが、織田家は東海道を東に南関東を目指して進み、竹中家は東山道を東に北関東を目指し、浅井家は北陸道を北に越中西部を目指した後は西の山陰道を進んではいかがでしょう。我が寺倉は伊勢から紀伊に進む所存にございます」


言うなれば史実の清洲同盟の発展版である。中日本で背中を預け合う形になれば、背後を心配することなく全兵力を予め策定した侵攻方向へと向けられるというわけだ。


「越中西部までというのは、やはり上杉ですか?」


すかさず長政が口を挟む。越中となれば上杉と衝突する可能性も考えられる。上杉と直接的な友好関係のない浅井にとって、上杉は分が悪い相手だと考えているのだろう。


「我ら寺倉は上杉家といささか友誼を交わしており、越中東部は不介入としたいと考えている。関東管領殿は民の幸福を願って政を成しておられる方ゆえ、いずれは上杉家とも盟約を交わせればとも考えている。日ノ本の安寧を望む関東管領殿であれば、我らに協力してくれるに違いない」


納得した表情を浮かべる長政を横目に、半兵衛も便乗するように俺に訊ねる。


「そうなると我が竹中も北信濃には不介入となるな」


「では、近江三家同盟を結んでいる蒲生家とはどうされるおつもりか?」


重ねて長政が俺に質問を投げかける。近江三家で同盟を組んでいるのだから、気になるのは当然だろう。蒲生とは約定通り敵対するつもりはない。浅井にとっても近江に侵入した三好という存在が頭の隅をちらついている筈だ。寺倉としても、出来る限り蒲生とも協力体制を維持したいと考えている。


「蒲生家とは近江三家同盟を維持する方針に変わりはないが、現状は甲賀郡の制圧にかなり手間取っている状況で、平定するには来年までかかるだろう。仮に平定できたとしても西の畿内には三好がいる。「教興寺の戦い」で敗れたとはいえ、依然として三好の力は大きく、しばらくは動けまい」


そう、蒲生は予想以上に甲賀郡の制圧に手間取っている。三雲の巧みな指揮による甲賀衆を用いたゲリラ戦術により、蒲生は掌の上で転がされている状態だ。他の六角六宿老は全て三雲に身を寄せており、それらの残党が集まった三雲は非常に手強い敵なのである。甲賀五十三家も連携を強めており、今年中の制圧は難しいだろう。


「寺倉家も紀伊まで進めば三好と接してしまうぞ」


半兵衛の鋭い突っ込みが入る。


「我が寺倉も今は三好と事を構えるのは得策ではないゆえ、伊勢から紀伊へと進んだ後は、好機が訪れるのを待つつもりだ」


そう言うと、半兵衛と長政は成る程と言うように頷いた。すると、これまで黙り込んでいた信長が厳かに口を開いた。


「今川と公方は?」


「三郎殿。我が寺倉は今川家とは友好協商協定を結び、当主の治部大輔殿とは個人的に友誼を交わしております。ですが、ご存じのとおり今川は今や駿河一国に閉塞し、おそらく甲越同盟を結んだ武田が早晩に三国同盟を破って駿河に攻め入ることでしょう。治部大輔殿には何とか撃退してほしいと願っておりますが、遠く離れた駿河の地ゆえ、某にはどうしようもありませぬ。もしも今川が敗れ、三郎殿が駿河から落ち延びた治部大輔殿とお会いする機会があれば、どうか某のところにお送りくだされ。お頼み申しまする。そして、公方様についてですが、私が描いている天下泰平の世には公方様は不要です。いや、むしろ足利将軍家は世を乱す邪魔な存在だと考えております。日ノ本を平定し、天下泰平の世を作るためには、いずれは公方様を排除し、幕府を滅ぼさざるを得ないと存じます」


俺と氏真が初めて出会った時、率直に「この人を死なせてはいけない」と感じた。今川が武田に敗北し、本拠の駿河を追われることになれば、行くあてもなく彷徨うことになるだろう。今は歴史が変わっている。史実のように北条や織田の庇護を受けて生き延びるのは難しいだろう。将軍家だってどうなるかわからない。


史実では現在、まだ健在だった六角家が三好に変わって京を治めている頃だ。その六角が滅亡した今、本来ならば三好の独壇場になっても何らおかしくはなかった。その三好も久米田、教興寺と立て続けに敗れ、大きく力を減退させた。そして旧勢力の畠山が畿内で大きな力を持ち始め、旧体制の復活もあり得る状況になっている。こうなれば氏真がどうなるかわからない。もし駿河から逃れてくることがあれば、この寺倉で氏真を受け入れようと考えている。そうならないに越したことはないが。


「是非もなし、だな」


信長自身、公方の存在を少なからず邪魔に思っていたに違いない。だからこそ俺に訊ねてきたのだろう。そして俺がきっぱりと「不要な存在」だと言い放ったのは、親幕府側の者からすれば甚だ不遜で過激な発言ではあったが、信長は清々とした様子で微かに口角を上げ、俺の言葉を流した。


「ただ、今川にはすでに織田家に対抗する力が残っていないのは明白。友誼を結んでいる私の元に届いた文には、「三郎殿に対する恨みは一切ない」と、そう申しておりました。織田家が南関東に向けて侵攻する際には、どうか今川と友好的な関係を結んで頂きたい。むしろ、これから裏切るであろう武田が遺恨の元になりましょう。もし今川と同盟を組めれば、北条とも平和的な交渉で降伏させられるかもしれませぬ」


「そうか。考えておこう。俺も今更今川が敵対行動を取るとは思えぬ。出来る限りのことは尽くそう。だが、それでも決裂した時は、容赦なく攻め込ませてもらう」


俺は小さく頷いた。それで構わない。


「では、これで今後の四家の侵攻方向も合意されましたが、四家の繋がりをもっと強固なものにするために、四家の領地を繋ぐ東山道、大垣街道、北国街道を整備し、関所を廃止してはいかがでしょうか。街道が整備されて関所がなくなれば、人・物・金の流れが格段に増えて商いが活発となり、敦賀湊や小浜湊に入る明や蝦夷の品々が安価で清洲まで届くようになり、民の暮らしも豊かになるはずです。当然、関所の税収は減ってしまいますが、その代わりとして当家の領内で行っている米の収穫を増やす方策を伝授する用意がございます」


俺は四家同盟の締結を機に四家の商圏の統合を狙って、塩水選と正条植えを餌にして関所の廃止を三家に提案した。だが、三家は直轄地での関所廃止は問題ないが、国人領主の領地では関所の収入がなくなることへの不満を抑える必要があり、この件は一旦持ち帰って検討することとなった。


「最後に一つ皆様方にご提案があります。その前に、半兵衛は何月生まれだ?」


「ん?9月だが、それが何だ?」


「そうか。俺は春の生まれだから俺が半年だけ年長だな。さて、ここに集いし皆様は私とは義兄弟の関係にあります。そこで、あの「三国志」の「桃園の誓い」のように、織田三郎殿を長兄とし、私が次弟、半兵衛が三弟、新九郎が四弟という義兄弟の契りを交わしてはいかがでしょうか?」


信長は長兄という言葉に耳をピクッと動かした。表情からは窺えないが、満更でもないのだろう。半兵衛も三国志の話題が出てきた事で気を良くしたのか、三兄ということは気にしていないようだった。長政も三国志は好きらしく、桃が咲いていない事を残念がっていた。


半兵衛は小姓に酒と杯を4つ持ってこさせると、酒を注いで杯を掲げた。長兄である信長の音頭で、誓いの言葉が発せられる。


「我ら4人、生まれし日、時は違えども兄弟の契りを結びしからは、」


「心を同じくして助け合い、戦乱の世を治め、困窮する者たちを救わんと誓う。」


「同年、同月、同日に生まれることを得ずとも、」


「同年、同月、同日に死せん事を願わん」


そして、次弟、三弟、四弟の順に言葉をつなげていくと、揃って杯を飲み干した。


その口には自然と笑みが綻んでいた。この強固な同盟関係があれば、天下泰平も本当に夢ではなくなる。俺は父親を亡くしたあの日を振り返り、今までの道のりを振り返った。自然と涙が出てくるのは、かけがえのない義兄弟を得たからなのか、それともこれまでの波乱に満ちた人生を思い起こし、改めてその過酷さを身に染みて感じたからだろうか。


どちらでもいい、そう思えたのは、信長が浮かべる柔らかい表情が目に映ったからであった。天下泰平を共に志す同盟者、そして同じ価値観を有する仲間を得た信長は、これまで以上に頼りになることは間違いない。


こうして、俺たち四家の当主は義兄弟の契りを交わした。今後は約定通り、各々の侵攻方向に向けてそれぞれ圧力を強めていくことになる。




◇◇◇



この4人の義兄弟の契りである「天下泰平の誓約」は、後世には岐阜城の池に咲いていた蓮の花から、「蓮華の誓い」と呼ばれることとなるのであった。





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