美濃侵攻③ 美濃の新国主

「奇遇だな。実は私も人心の一新のために改名したいと考えていたのだ。だが、いい名が思い付つかなくてな」


さすがは半兵衛だ。人心の一新には町や城の改名が効果的だと理解している。


「そうだったのか。例えば一つの案だが、井ノ口の町を『岐阜』、稲葉山城を『岐阜城』と改めては如何だ?」


史実では美濃国を奪った信長が、幼い頃に教師役を務めた臨済宗の僧・沢彦宗恩が提示した3案から『岐阜』を採用して改名した。俺はこの史実を借用することにしたのだ。


「『岐阜』? 正吉郎、馴染みのない名だが、一体どういう由来なのだ?」


「学問好きな半兵衛なら知っているとは思うが、古の周の文王は鳳凰が舞い降りた伝説のある岐山の麓で周の国の礎を築いたという。その岐山の『岐』の字と、学問の祖である孔子様の故郷で儒学発祥の地である曲阜の『阜』の字を併せて、『太平と学問の地であれ』という願いを込めた名なのだが、如何だろうか?」


「おお、なるほど。それは誠に素晴らしいな。特に『学問の地』というのが気に入った。では、井ノ口の町を『岐阜』、この稲葉山城を『岐阜城』と呼ぶことにしよう!」


「明日の評定で西美濃衆に『岐阜』と『岐阜城』への改名を発表し、名の由来を説明すれば、西美濃衆も感銘を受けるだろう。そうなれば、その場の主導権は半兵衛のものになり、主君として論功行賞がやり易くなるはずだ」


「かたじけない。正吉郎には世話になりっぱなしだな。この恩はいつかきっと返させてもらう」


「俺たちは親友じゃないか。対価の西美濃だけで十分だ」


俺はそう言葉を返して、話を締め括ることにした。半兵衛にはまだ西美濃衆の論功行賞を考える仕事が残っているからだ。


◇◇◇


翌日の未の刻(午後2時)、大広間で評定が始まった。半兵衛が上座の中央に座り、その左斜め後ろに、如何にも半兵衛の後ろ盾だと示威するように俺が座った。


下座の最前列には西美濃三人衆が座り、その後ろにその他の国人たちが並んだ。


「皆の者、此度の美濃平定の戦、誠に大儀であった。暗愚な国主、一色治部大輔を討ち果たし、美濃を食い物にしていた佞臣、斎藤飛騨守も排除できた。心から礼を申す」


半兵衛はまず最初に西美濃衆への感謝を表すと、決意を込めた言葉を発する。


「これからはこの竹中半兵衛重治が新たな美濃国主となり、美濃の民に平穏と繁栄をもたらすと誓おう!」


狙いどおり主導権を握った半兵衛が美濃国主への就任を宣言した。少し唖然とした様子の国人たちに異論を挟ませないよう、半兵衛は言葉を繋げる。


「そして皆も承知のとおり、此処におられるのは我が竹中家と盟約で結ばれた義兄弟の寺倉掃部助殿だ。竹中家と寺倉家は『天にあっては比翼の鳥となり、地にあっては連理の枝とならん』の言葉どおりの固い絆を誓っている。だが、美濃の民が豊かで安らかに暮らせるようにするためには、皆の助けが必要だ。どうか、この私に力を貸してほしい。義父殿、如何だ?」


「はっ。この安藤伊賀守守就。これからは竹中半兵衛様を主君と仰ぎ、親族として竹中家を支える所存にございまする」


半兵衛が事前に協力を頼んでおいた甲斐があり、安藤守就は半兵衛に頭を深く下げて臣下の礼を取った。


半兵衛の舅で信頼できる安藤守就には、今の倍近い石高の領地を提示したのだから当然だ。今後は竹中家の親族衆の筆頭として活躍してくれるだろう。


「竹中様。稲葉伊予守もおりまするぞ。某も今後は重臣の一人として、竹中家を盛り立てて参りまする」


機を見るに敏と言うべきか、守就の臣従を見た稲葉良通が倣うように頭を下げて臣従の言葉を紡いだ。


西美濃三人衆の2人が臣従を誓うと、半兵衛の背後に控える俺の視線に、残る氏家直元も抵抗は無駄だと悟ったのだろう。額に苦渋の汗を滲ませながら徐に頭を垂れた。


「この氏家常陸介直元も微力ながら竹中様を支えて参りまする」


西美濃三人衆が臣従したことにより、他の国人たちも異を唱えられるはずもなく、ドミノ倒しのように次々と半兵衛に臣従を誓っていった。


「皆、この私に仕えてくれるのだな。皆の忠誠、嬉しく思うぞ」


皆の顔を見渡した半兵衛の声のトーンが少し上がった。国主就任と西美濃衆の臣従という最大の難関をクリアしたのだから無理もない。


だが、語尾は少し涙声のようにも感じた。一色龍興から疎外されてきた半兵衛が、国主として認められたのだ。きっと胸に去来するものがあったのだろう。


「では、美濃国主としてまず始めに、美濃国主が交代したのを機に人心を一新するため、井ノ口の町を『岐阜』、そして、この稲葉山城を『岐阜城』と改名する!」


半兵衛は明瞭な声で告げると、脇に控えていた小姓が大きな字で『岐阜』と墨書きした紙を掲げた。それを見て真っ先に反応したのは西美濃三人衆だ。3人は顔を見合わせると、代表して安藤守就が訊ねる。


「半兵衛様。『岐阜』とは如何なる意味でしょうか?」


「うむ。『岐阜』の由来は、古の周の国の文王が国の礎を築いたという岐山の『岐』の字と、学問の祖である孔子様が生まれた地である曲阜の『阜』の字を併せ、『太平と学問の地であれ』という願いを込めた名だ。いい名であろう?」


守就は顎を撫でながら、「ほぅ」と感心したように頷いた。


「恥ずかしながら某は無学にて存じませなんだが、『太平と学問の地であれ』との意味は竹中様に誠に相応しいですな。『岐阜城』、良き名かと存じまする」


他の国人たちも同様に頷くのを見て、半兵衛は微笑を浮かべて嬉しそうに頷いた。


「うむ。では続いて、此度の美濃平定の論功行賞を行う」


途端に下座の国人たちの目が爛々と光を帯び始めた。


半兵衛はメリハリのある進行で、西美濃衆の中美濃や東美濃への領地替えを申し渡していく。これまで領地が山地だった者には念願の平野部を、平野部が領地だった者には石高を2割ほど加増しつつ、街道の要所は竹中家の直轄地とする絶妙の采配だ。


「我が竹中家も垂井からこの井ノ口改め、『岐阜』一帯に領地替えする」


西美濃三人衆を含め、国人たちは喜びの表情を見せながらも、一様に眉をひそめていた。半兵衛の意図が今一つ読み取れないのだろう。


最後に半兵衛は自らも領地替えすると告げると、俺の方を向いた。


「掃部助殿。此度の美濃平定にご助力いただき、誠に感謝申し上げる。寺倉領に侵攻した一色軍を殲滅した上に治部大輔を捕縛し、大垣では中美濃勢を討ち破り、さらには岐阜城の留守を守ってもらわねば、我らはこうも容易く美濃の平定は成し得なかったであろう。予てからの約定どおり援軍の対価として、寺倉家に揖斐川以西の西美濃を割譲いたす」


「うむ、確かに承った」


俺は静かに一度頷き、半兵衛と目を合わせた。そして、半兵衛は西美濃衆に向き直ると、説得するような口調で呼び掛けた。


「皆の者。寺倉掃部助殿には此度の援軍の対価として西美濃を譲る約定であったのだ。寺倉家の助力がなければ美濃平定はあり得なかった。どうか納得してくれ」


寺倉家に領地を割譲するならば、隣接する西美濃となるのは至極当然なことだ。国人たちはようやく不可解だった領地替えの意図を理解したようだ。


俺は膝立ちで一歩前に進み出ると、西美濃衆に告げる。


「西美濃衆の方々。父祖伝来の地を離れるのは大変辛かろうが、この寺倉掃部助蹊政が必ずや西美濃をこれまで以上に豊かな地にし、西美濃の民を慈しむと約束しよう!」


「善政の誉れ高い寺倉家ならば、安心して後を託せよう」


俺の決意表明に反対する者は一人もおらず、一人の国人が声を上げると、次々に西美濃の割譲を容認する声が続いていった。


「寺倉掃部助様。どうか我らが生まれ育った西美濃の地を、西美濃の民を、宜しくお頼み申しまする」


「「「よろしくお願い致しまする」」」


安藤守就が皆の同意を代表して深々と礼をすると、背後の国人たちも一斉に頭を下げた。


こうして、半兵衛の美濃国主就任と論功行賞は、無事に終わりを告げたのであった。

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