美濃侵攻② 美濃平定
5月22日の戌の刻(夜8時)過ぎ、竹中半兵衛は斎藤飛騨守を討った直後、失血死寸前の一色龍興にも自ら止めを刺した。
「美濃の民を苦しめた元凶、一色治部大輔と斎藤飛騨守を討ち果たしたぞぉー!!」
「「「オオオォォーー!!!」」」
半兵衛が槍の穂先に龍興の首を掲げると、稲葉山城の本丸に西美濃勢の声高らかな勝鬨が響き渡る。
「正吉郎。遂にやったぞ」
「やったな、半兵衛。だが、まだ"大掃除"が残っている。もうひと踏ん張りだぞ」
"大掃除"とは中美濃と東美濃に残った一色家臣や一色派の国人領主を討伐し、美濃を平定するという意味だ。
「ああ。ここからは私たち西美濃勢が為すべき事だ。正吉郎の手を借りる訳には行かぬな」
半兵衛が自分の手で美濃を平定しないと、今後の美濃統治の大義名分を得られないからな。
「そうだな。半兵衛が美濃を平定する間、俺は稲葉山城を奪われないよう留守を守るとしよう。義兄の織田三郎殿には手出し無用と伝えてあるが、犬山城主の織田十郎左衛門が独断で攻めてくるやもしれぬからな」
半兵衛が西美濃勢を率いて留守にする間、俺たち寺倉軍は稲葉山城を奪われないように留守番を務め、兵力の無駄な損耗を防ぐつもりだ。
しかし心配なのは尾張だ。さすがに信長は市の嫁ぎ先の寺倉軍に手出しはしないだろうが、信長の従弟の織田信清は面従腹背だ。火事場泥棒の空き巣狙いで攻めてくる可能性があるので油断はできない。
「うむ。正吉郎が稲葉山城を守ってくれれば、後顧の憂いなく美濃の平定に全力を傾けることができる。恩に着るぞ」
「水臭いことを言うな。それに、援軍の対価を受け取るのだ。これくらいの働きをして当然だ」
「ああ、俺たちは無二の親友だな。ふふふっ」
翌5月22日の朝。半兵衛率いる西美濃勢4500は中美濃と東美濃を平定するため、稲葉山城を出陣していった。
さて、源四郎たちの方は上手くやっているかな?
◇◇◇
美濃国・大垣。
東山道を東進してきた大倉久秀率いる寺倉軍の主力部隊5千は、大垣の東で揖斐川を挟んで中美濃勢3千と対峙していた。
「ふむ。正吉郎様は無事に稲葉山城を落とされたか。では、そろそろ向こうにも伝わる頃合いだな」
大倉久秀がそう呟いた頃、対岸の中美濃勢の本陣では、稲葉山城が西美濃勢に落とされ、一色龍興と斎藤飛騨守が討ち取られたとの報せが届き、慌てた中美濃勢の将たちが軍議を開いていた。
「稲葉山城が落ちたとは、真なのか?」
「国主様と飛騨守様が討たれたとなると、もはや後詰めはないぞ」
「それどころか、稲葉山城から西美濃勢が向かって来れば、我らは挟撃されるぞ」
「如何するのだ? 悩んでいる暇はないぞ」
中美濃勢の将たちが対応を協議している間、陣中に潜り込んだ志能便たちは兵たちの間に、稲葉山城が落とされ、背後から西美濃勢が攻め寄せてくるという噂を流し始めていた。
「おい、稲葉山城が西美濃勢に落とされたらしいぞ!」
「何だと? それじゃあ、俺たちは挟み撃ちじゃないか!」
「こうなりゃ、逃げるしかないぞ!」
やがて中美濃勢の兵たちは挟撃を恐れて逃げ出す者が続出し始めるのを見た久秀は、機を逃さず直ぐさま号令を発する。
「よし、今だ! 皆の者、川を渡り、中美濃勢に討ち掛かれぇー!」
寺倉軍は揖斐川を渡り、中美濃勢に攻め掛かると、半数の兵が逃げ出し瓦解した中美濃勢は、間もなく寺倉軍に撃破された。
寺倉軍の主力部隊は正午には稲葉山城に到着し、正吉郎の別働隊と合流すると、寺倉軍6500は稲葉山城の守備に就く。
だが、寺倉軍の主力部隊が稲葉山城に入城するのを密かに見つめる者がいた。それは正吉郎が危惧したとおり犬山城主・織田信清配下の素破である。信清は素破から報告を受けると、さすがに6500もの兵の守る稲葉山城は落とすのは無理だと、火事場泥棒を諦めるのであった。
◇◇◇
半兵衛率いる西美濃勢は「斎藤六宿老」の残党による抵抗に遭いながらも、5月中には難なく中美濃を制圧すると、そのまま東美濃に侵攻した。
既に中美濃が制圧されたため東美濃の国人の抵抗は少なく、降伏勧告を受けた弱小国人は、領地を召し上げ、銭雇いの家臣とするという条件を受け入れ、次々と降伏していった。
一部の有力国人は最後まで抵抗したが、半兵衛の知略に加えて、中美濃と東美濃の半分を制圧した西美濃勢の勢いには抗えるはずもなく、あっという間に加茂郡と可児郡、土岐郡の東美濃を平定した。
ただし、東美濃の東端の恵那郡を治める遠山家は織田家と武田家に両属しているため、今回の恵那郡の制圧は見送りとなった。
そして、6月10日。恵那郡を除く美濃国を手中に収めた半兵衛率いる西美濃勢は、寺倉軍が守備していた稲葉山城に凱旋する。
日没近い黄昏時だったが、半兵衛の凱旋に井ノ口の町の領民たちは総出で出迎えた。長い圧政を耐え抜いた誰もが、一色家の滅亡を知って全身で喜びを露わにし、悪政を敷いた国主を討ち破った半兵衛を英雄と称えた。
もう既に夕暮れ時であり、各人の褒賞を策定しなければならないことを考慮し、論功行賞の評定は明後日へと持ち越されたが、半兵衛はこれから美濃国主になる自覚を持ちながらも、心中では一抹の不安が燻っていたように見受けられた。
◇◇◇
翌6月11日の昼前、半兵衛は俺の居室を訪ねてくると、明日の評定を控えて俺に不安を打ち明けた。
「……正吉郎。明日の評定だが、論功行賞で加増されるとは言え、領地替えを告げられた西美濃衆の一部からは反発の声が出るのは間違いないだろう。だが、正直言うと、私には全員を説得できる自信がないのだ」
「ならば、明日の評定には半兵衛の後見役として、俺も同席しよう。最も重要なのは、半兵衛がこれまでの西美濃衆と同格の国人領主という立場から、西美濃衆の主君になることを認めさせることだ」
俺は間髪入れずに答える。西美濃衆の領地替えに不満が出るのは確実だが、温和な性格の半兵衛が一人でそれを抑え切るのはなかなか困難だろうと、俺も考えていた。
「ああ、そのとおりだな」
「だが、戦も交渉事も機先を制して主導権を握ることが大事だ。故に、評定の最初に半兵衛が美濃国主の座に就くと宣言し、その際に俺という同盟者の存在を利用して威圧すれば、異論は抑えられるだろう」
半兵衛の同盟者である俺が評定の場に同席することに、表立って文句を言う者は居ないだろうし、俺の同席によって半兵衛が美濃国主となることに反対する者も出ないだろう。
「なるほど。正吉郎の助力、本当に恩に着る」
「だが、念には念を入れて、事前に舅の安藤伊賀守殿にも力添えを頼んだ方がいいな」
稲葉良通は問題ないだろうが、問題は西美濃三人衆の中でも随一の勢力を誇る氏家直元だ。評定で半兵衛一人が国主になると意思表明しても、異論を唱える可能性は十分に考えられる。
だが、半兵衛の舅である安藤守就に協力を頼めば、味方に付いてくれるだろう。さらに俺が評定に同席して後見役として睨みを利かせれば、氏家直元も表立って文句は言えないはずだ。
「確かにそうだな。ならば、この井ノ口を尾張から守る要衝である笠松と羽島の地を領地として約束すれば、義父殿も快く力添えしてくれるであろう」
「それはいい考えだな。それと半兵衛に一つ提案なのだが、美濃国主が一色家から竹中家に代わったことを内外に知らしめ、人心を一新させるための策として、この井ノ口の町と稲葉山城を改名すると発表しては如何だろうか?」
領主にとって領地を統治する上で民心を掌握することは、軍事力の掌握と同じくらい重要事項だ。昨日の凱旋を出迎えた井ノ口の民の様子を見る限りは問題は無いとは思うが、井ノ口以外の領民については不明だ。
そこで、美濃国主の交代を領民たちに最も身近に認識させるために、俺は井ノ口の町と稲葉山城の改名を提案した。街や城の改名には大した費用は掛からない反面、効果は極めて大きく、コストパフォーマンスの高い施策だ。
ここは奇をてらわず、史実に忠実な改名を提案するとしよう。
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