諜報員養成所

4月に入り、寺倉家は戦の準備を進めていた。美濃の一色家はやはり近江への侵攻を目論み、兵を集めているとの報告が志能便から入ってきている。近江が侵攻目標となれば、真っ先に狙われるのは当然のことながら領地を接するこの寺倉領だ。


一色との戦に備えて意思疏通を図るため、俺は沼上郷の副代官である沼上源三を物生山城に呼び出していた。


利蹊とともに命じていた二つの堰は冬のうちに完成を迎えており、雪解け水も十分に溜まりつつあるとのことで、沼上の民も一色軍の侵攻を迎え撃つ体勢が整っている。沼上の民はようやく得ることのできた安住の地を守るべく、戦う意気込みは十分だという。幾度となく命の危険と戦ってきた者たちだ。ハングリー精神は並大抵のものではないだろう。


沼上の守備兵の殆どは現地の人間で賄われており、所謂職業軍人は存在しない。寺倉の全兵力は沼上の堰で一色軍を壊滅させた後、美濃に侵攻するための兵力として残しておかなければならない。無論援軍は差し向けるが、あくまで作戦の主力となるのは沼上の民である。なぜなら、この援軍は沼上で一色軍を撃破した前提でのものだからだ。


背後は浅井、蒲生と同盟者であるため、守備兵を残すことなく全兵力をこの美濃侵攻に注ぎ込むことができる。二年越しの綿密に組んだ計画だ。この好機を逃すわけにはいかない。


「源三、狼部隊の結成はどうなっている?」


「はっ。それに関しましては、現在までに既に20匹が集まっております。これも正吉郎様が考案なされた、狼の親子を同時捕獲した場合の報酬の増加による効果でございましょうな」


狼の親子を同時に捕獲することで、報酬の増加を狩人に提示したところ、子狼の確保が容易になった。これまでは報酬が少なく、捕獲が忌避されがちだった狼も、今では猪と並んで多く捕獲されている。ある程度成長しており、人間を親の仇として認識するような子狼は殺す以外ないが、親の顔も認識できないほどで、生まれたばかりの子狼はそうではない。その子狼を沼上郷に集めて従順で人間の命令に従う強い狼の育成を進めている。実用化にはもう少し時間がかかりそうだが、来年の戦での実戦投入を目標に源三には育成を頑張ってもらいたい。


「ご苦労、来年には戦で使いたいと考えている。引き続きよろしく頼む。今日はご苦労だった。下がって良いぞ」


「誠に勿体無きお言葉にございます」


深く頭を下げた後、静かに退出する源三の背中を見送る。


新戦力には期待したいところだ。順蔵に命じた諜報員の育成では、この冬にも新たに多くの孤児が加わり、候補生はすでに50名近くなったという。


極秘の諜報員養成ということで、施設は山中の入り組んだ場所にある。場所は父・政秀の代からの重臣・松笠勘九郎が治める男鬼入谷城から、さらに山合いに入った場所にある。


領内ということで、俺は蹊祐と志能便を護衛につけて諜報員養成所の視察へと向かった。そして俺は、各々武術や体術の訓練に励む生徒達を木の陰から見ることにした。


俺は男鬼入谷城の勘九郎以外に対しては視察について何も言っていない。すなわち、この訪問は完全なお忍びであると言っていい。いきなり出て行くのもマズイだろう。まずはありのままの姿を見せてもらうことにしよう。


「そこにいるのは誰だ!」


そう考えていたのだが、生徒の一人にすぐ気づかれてしまった。息を潜めていたつもりだったのだが、訓練をじっくり見る暇もなかった。


さすが諜報員見習い、と言ったところか。しかし、俺の存在に気づいたその生徒は、明らかに他の者とは一線を画した動きを見せていた。


大声を上げて俺の存在を周りに示したことで、ほかの生徒もぞろぞろと集まってきてしまい、俺はやむなく姿を現わす。志能便が目を光らせているため危害を加えられる心配はないが、悪戯が親に見つかってしまった子供のような気分に陥ってしまった。


姿を現した俺に、教師らしき男が近づいてくる。しかし、その目は怪訝そうな意は全く孕んでおらず、男の表情からは純粋な驚きと喜びが溢れていた。


そしてその教師は突然俺の前に跪く。その表情を見て、なぜか感激に似たものを感じた。理由が分からず不思議に感じていた俺だったが、その男の顔を見てようやく得心がいった。


「お主は、あの時の...!」


教師は俺の言葉に、表情がパッと明るくなり、嬉しそうに話し出した。


「掃部助様、覚えていていただき誠に光栄に思いまする!お気づきの通り、私は一乗谷で掃部助様に命を救っていただいた金次でございます!お久しぶりでございます」


「おお、やはりお主か!あれから息災であったか?」


「はい、掃部助様に命をお救い頂いてから、怪我により素破としての責務は全うできなくなりましたが、今こうして次世代の寺倉家を影から支える子どもたちの教師という重要な役目を頂きました。掃部助様にはいくら感謝してもしきれませぬ」


金次はあの時の怪我が響き、第一線から身を退かざるを得なくなったそうだ。それは残念なことだが、こうして教師として諜報員の育成に携わっているのだから、もはや金次も寺倉に無くてはならない存在と言える。


「そうか、第一線で働けなくなったのは残念だが、お主が次世代の志能便の教師として活躍していることは誠に嬉しく思うぞ!これからも精一杯励んでお主の経験を子供たちに伝授してやってくれ」


「もちろんにございまする!」


俺と金次の会話に付いて行けず、口をポカンと開けていた生徒達も、会話が終わったことに気づき、ハッとなって一様に跪いた。金次の態度から直感的に身分が高い人間だと気づいたのだろう。


「それはそうと掃部助様、今日はどのようなご用件でこのような山奥にまで?」


「ああ、順蔵からここの報告を聞いてな。近くに用事があったついでに立ち寄ってみたのだ」


「それでしたら先触れを遣わしていただければお迎えに上がりましたのですが」


「いや、それでは子供たちが構えてしまって、普段の修行の様子が見られないと思ってな。こっそりと木の陰から覗かせてもらったのだ」


「そうでございましたか。わざわざ視察にお越しくださいまして誠に恐縮でございまする」


「もっともその小僧にすぐに気づかれてしまったがな。まだまだ気配を抑える修業が足りないようだな。わっはっは。ところで、お主、なかなかいい動きをしておるな。どこかで学んだのか?」


「オ、オイラですか?!い、いえ。習ったというより自然と身についたというか... オイラは信濃で生まれた戦争孤児なので、生き抜くためにはこうして自ら生きる術を身につける他なかったと言いますか...」


少年の受け答えは異質な存在、というのはその動きだけではない。話を聞く限り、相当な苦労をしてきたのだろう。目を見据えればその苦しい経験が透けるように感じ取れる。自己流でここまで完成した動きをできるというのは、驚きの話だ。


「信濃から?!ではそこから寺倉の噂を聞きつけて遠路はるばる歩いてきたと申すか?」


「は、はい。オイラは7つの頃から武田の傭兵だった親父を亡くし、11になるまでは信濃国小県郡で、狩りをして飢えを凌いでおりました。主に猪や鹿、狼を狩って食料を調達しておりましたが、その猪や狼を狩れば高値で買い取っていただけると聞き、ここまで歩いて参りました。そして物生山城下の寺で厄介になっていたところを、成り行きで金次様に拾っていただき、ここでこうして修行をして食わせてもらっています」


七歳で戦争孤児だって?それでよくここまで生き延びることができたものだ。そう言いたい衝動を抑え、少年の目を見つめる。

信濃は武田が治める国だが、本拠の甲斐よりも重い年貢や兵役が課せられて貧しい国だという。並大抵の努力ではこんな子供一人で生きてはこられなかっただろう。


「......そうか。お主、今いくつだ?」


「13です」


「名はなんと申す」


「甚八と言います」


「では甚八よ、私はこの地を治める寺倉家の当主、寺倉掃部助蹊政だ。お主が更に成長した暁には、志能便の頭領である植田順三に預け、将来の幹部候補としての教育を受けさせてやろう。ただし、それも全て今後のお主の努力次第だ。他の子供たちも努力次第で同じように取り立てるゆえ、挫けずに頑張るのだぞ。期待しておるぞ」


俺は一方的に会話を打ち切り、微妙な顔で俺と甚八を交互に見つめる蹊祐に目配せした後、早足で立ち去った。


「え、え、寺倉家のお殿様? まさか...このような場所に?!大変なご無礼を。どうかお許しくださいませ!」


一気に騒めく生徒達を尻目に、俺は養成所を後にしたのであった。金次の話によると、その後は大騒ぎだったらしい。皆興奮しきっており、授業をするどころの話じゃなかったと聞いた。甚八は全員の羨望と嫉妬を集めてしまい、憔悴した様子だったそうだ。


ただ邪魔しに行った感が否めないが、懐かしい顔も見ることができたし、将来の優秀な諜報員の卵たちの様子を垣間見ることもできた。一定の収穫はあったと見ていいだろう。

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