若州騒乱④
浅井軍6000が僅か200の朝倉景紀軍を包囲すると、景紀は観念して潔く降伏した。
景紀は捕虜となり、浅井と寺倉の陣へと連れて来られた。
一時的に縛っていた後ろ手の縄を解き、俺と長政は景紀に向き合う。その姿は百戦錬磨の老将というのが相応しい存在感だ。伸ばしている髭もきちんと手入れして清潔感があり、その高潔さを如実に感じるいで立ちであった。
「某は朝倉九郎左衛門尉景紀と申す」
景紀は短く伏し目がちにそう告げた。捕虜となったことで、命を失う覚悟を決めたというところだろうか。己の運命を全て受け入れ、儚げに柔らかく自然に口角を上げている。悟っている、という言葉が相応しいのかもしれない。
「某は寺倉掃部助蹊政と申す。貴殿が朝倉宗滴公の跡を継いだ名将と名高い、朝倉九郎左衛門尉殿か。お会いできて光栄に存じまする」
何か後ろめたさを感じずにはいられなかったのか、口ごもる長政を横目に俺は口を開いた。
それに続くように、長政は心なしか早い口調で名乗りだす。
「拙者は浅井新九郎長政と申しまする」
「某は朝倉の守り神と謳われた偉大な養父とは比べるまでもない凡才の老いぼれにござる。新九郎殿とは10年ほど前のまだ童の頃に、一乗谷で一度お目にかかった記憶がございまするが、覚えておられますかな?」
優しい口調で長政に告げる。
浅井と朝倉が手を取り合い、強い絆で結ばれていた頃、長政がまだ猿夜叉丸だった時、一乗谷城で二人は顔を合わせたことがあるようだ。
その姿が目の裏に浮かんでいたからか、その顔は幼き我が子を見つめるような、それでいて死の間際に見せるような神々しい輝きを放っているように、俺は錯覚してしまった。
「確か父に連れられて左衛門督殿に挨拶に伺った時でござるな。覚えておりまするぞ。まだご健在だった金吾様と並んで座っておられましたな」
長政はその柔らかい口調に答えるように優しく微笑みつつ懐かしむ。
「よもやこのような形で再会するとは夢にも思いませなんだが……。此度の戦は敵ながら天晴な采配でしたな。あまりに見事な完敗に恨み言を言う術もありませぬが、倅の景垙はやはり…?」
悲哀を孕んだその表情に、長政は思わず目を伏せる。我が子を失った悲しみは想像に易くない。
「……うむ。孫九郎殿はお気の毒だが、討死なされた。立派な最期であった」
長政は一瞬黙り込んでしまうものの、唐突に下を向いていた頭を上げ、景紀の目をしっかりと見つめつつ力強く告げる。その言葉に、その真っ直ぐな視線に当てられ、景紀は微かな無念を顔に滲ませながらおもむろに目を瞑った。
「左様でござるか…。某が止めるのも聞かずに先走った愚息の自業自得ゆえ、仕方ありませぬな。戦国の世の習いとは言え、親よりも先に逝きおって、親不孝者めが……」
悪態、というほど声色も荒くない。しかしその声は涙ぐんでいた。どんなに反抗的な印象が強かったとしても、景紀にとっては大切な息子であったことには違いないのだろう。涙を頰に伝わす景紀を俺は気遣うように静かに言葉をかける。
「……九郎左衛門尉殿。孫九郎殿は偉大な亡き宗滴公や九郎左衛門尉殿を尊敬し、憧れていたのだろうと存じます。優れた祖父や父を持った子供は、功を挙げて自分の力を認めてもらいたいとの思いから、意固地になりがちだったのでしょうな」
「左様でござるな。景垙の心情を察してやれなんだ某の責任でござるな。お気遣い、かたじけなく存じまする」
優秀な父や祖父を持った景垙の気持ちは、相当複雑だったに違いない。名将の誉れ高い父に頼ることなく、自らの力で功を挙げることで自分の事を認めて欲しかったのだろう。
「九郎左衛門尉殿。正直に申せば、我々は貴殿の知勇兼備の才を敵として恐れておりまする。ですが、貴殿の命を奪うつもりは毛頭ございませぬ。ご安心召されよ」
長政は、景紀を力強く見つめたまま告げた。しかし、そんな言葉に心を揺り動かされる事なく淡々と言葉を紡ぐ。
「息子二人に先立たれて、最早生きる望みも失った隠居の身ゆえ、今さら命乞いをするつもりなどござらん」
死ぬ覚悟を固めていたのだから、今更命乞いなどみっともない。そう考えたのかもしれない。意固地なところは親も子も変わらないな。
「左様に早まったことを申されますな。ただ今後、浅井家が敦賀を治めるにあたって、朝倉家の一門衆の重鎮である貴殿を敦賀に易々と帰す訳には行きませぬ。それはお分かりいただけますな? そこで、拙者は貴殿の次男の孫四郎殿に敦賀を治めてもらおうと考えておりまする」
その覚悟を崩そうと、浅井軍に従軍していた景紀の次男・景恒が存命であることを告げる。この言葉には流石の景紀も目を見開き、腰を浮かせて驚きを隠せない様子を見せた。
「な、なんと! 孫四郎は生きておるのですか!」
俺の方に迫り来るかの勢いで声を張り上げる。先ほどまでの落ち着き払った態度は何処へやら。それも仕方のないことだ。死んだと思っていた息子が実は生きていた。息子二人の死を嘆き悲しんでいた景紀が、そんな事実に心動かぬわけがない。
「孫四郎! よもや生きておるとは......!」
そしてついに景恒は景紀の前に姿を現した。堪えていた堤防が決壊し、景紀は大粒の涙を次々と地面に垂らしていく。
「父上こそ、よくぞ御無事で……。金ヶ崎城を守れず申し訳ございませぬ」
景恒も再会に頰を濡らしていた。俺はもらい泣きしそうになってしまったが、どうにか堪える。
「孫四郎は某が40歳も近い頃に授かった子でしてな。体も弱く母親に似て優しい心根ゆえに武将になるのは無理だと考え、僧籍に入れて育てており申したが、その孫四郎が還俗してすぐに討死とは、あまりに不憫だと嘆いておりましたゆえ、孫四郎を助けていただき、誠にかたじけなく存じまする」
景紀はしばらく嗚咽を漏らした後、徐に話し始めた。景紀は心優しい景恒を寵愛しており、それはそれは大切に育てていたのだろう。
「孫四郎殿は自身の命を以って城兵の助命を求めて降伏され申した。勝敗は兵家の常とはいえ、武辺者の武将にはできない高潔な決断だと、この長政、深く感じ入った次第にて、家臣の信望の厚い孫四郎殿ならば信頼して敦賀を預けられるとの考えに至り申した」
「そこでだが、九郎左衛門尉殿。某は亡き宗滴公の篤い薫陶を受けた貴殿の才を高く評価している。その貴殿を隠居させておくのは余りにも惜しいと考えている故、朝倉家とは国境を接していない我が寺倉家にて貴殿を召し抱えたいと思うておるのだが、いかがかな?」
俺は景紀との対面の前に景紀の身柄について長政と話し合い、朝倉に寝返る危険の少ない寺倉にて景紀を預かることで合意していた。
「……孫四郎はその人質、という訳ですかな?」
一瞬の沈黙の後、真顔の景紀が短く言葉を紡ぎ出した。しかし、そういったつもりは微塵もなかった俺は、二度首を振り説得するような口調で告げる。
「孫四郎殿が人質ならば、わざわざ敦賀の統治を任せるはずはあるまい? 我が寺倉家はな、今でこそ近江三家の一つと呼ばれておるが、数年前までは小さな国人領主の成り上がり者ゆえ、貴殿の識見と経験は我が家にとって大きな力となると期待しておるのだ」
人質であれば小谷城で幽閉した方が寝返りや謀反などなくよっぽど安全だろう。敦賀の統治は非常に重要な役割である。敦賀は明や朝鮮との交易が最も盛んな場所だ。人質に統治を任せるほど浅井が人材不足なわけでもない。
「左様ですな。大変失礼を申しましたな。お許しくだされ。寺倉家の善政の評判は敦賀まで届いており申した。某のような老いぼれが如何ほどお役に立てるかは存じませぬが、掃部助様がそれほど某を買ってくださるのならば、老骨に鞭を打って冥土の土産にもうひと働きさせていただきまする」
物生山は琵琶湖の水運を活かした商業の町である。敦賀にも通ずるものがあるに違いない。敦賀を治めていた景紀の経験は必ず大きな益をもたらしてくれることだろう。
「うむ、そうか。ありがたい。まだまだ長生きして寺倉家のために働いてくれ。期待しておるぞ!」
かくして、朝倉九郎左衛門尉景紀が寺倉家の家臣となった。朝倉景紀は「寺倉十六将星」の一人として名を馳せていくことになる。
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