若州騒乱③三方の戦い

「何、金ヶ崎城が落城しただと?!」


朝倉九郎左衛門尉景紀が声をあげる。この援軍における総大将は、紛れもなく景紀の長男の景垙であったが、その内情は複雑なものであった。


朝倉景紀は、朝倉家の実質的当主とも言われ、朝倉家を“越前の雄”と呼ばれるまでに導いた、稀代の名将・朝倉宗滴を養父に持つ、文武に長けた朝倉家の一門衆である。


今は隠居して長男の朝倉景垙に家督を譲っているものの、未だにその武勇と機略縦横の頭脳は衰えることを知らず、依然家中で大きな権力を握っている。


「はっ。金ヶ崎城を落とした後、すぐに西進し、ここ小浜に向けて一路進軍している由にございます」


「くっ。内乱に乗じてこの若狭を掠め取る算段だったわけか。兵数はどれくらいだ」


「一万を超えるとのことです」


「一万.....」


景紀は絶句する。朝倉軍は金ヶ崎城の兵を総動員して1500程度。まともに立ち向かったところで勝ち目はない。景紀は小さく息を吐いた後、握りこぶしをこめかみに当て、しばらく考え込んだ。


それを遮るように景垙が話しかける。


「父上、ここは引き返して浅井と寺倉を討ち、景恒の仇を討つべきでしょう」


「しかし、西進しているということは、十中八九狙いは小浜、若狭国全土であろう。このまま小浜まで進軍し、武田殿の後瀬山城で籠城戦に持ち込む方が賢明だ」


微かに呆れを孕んだその声に、景垙はムッとなった。随分と長い間、この親子の対立は続いている。景垙は家督を相続してから自分勝手かつ傲慢さを露わにした行動が目立った。景紀に相談もせず全てを自らの思うままに下していたのである。


この援軍も、当初景垙は反対していた。しかし家中において景紀の力は非常に大きく、家臣らからも全幅の信頼を置かれていたため、家臣の説得もあり結局は景垙が折れることになったのだ。


景垙も表面上はへりくだって接しているものの、自分の考えを真っ向から否定してくる景紀の存在を非常に疎ましく感じていた。


景垙は父上の言葉には従わぬ! と一歩前へと出る。


「父上、籠城戦は後詰めがある場合の策ですぞ。既に一乗谷には雪が積もっており、春まで左衛門督様からの援軍のない我々は戦うしかありませぬ。皆の者、我らは引き返し、三方郡にて浅井・寺倉軍を迎え撃つ!」


景垙は景紀の反対をあえて無視し、矢庭に声を張り上げた。景垙の重臣たちも、景紀に対し後ろめたさを感じたが、主君であり総大将の決定に逆らうことはできないと、顔を俯かせたまま陣を出て行った。


頑固なところは一体誰に似たのか。景紀はそうため息を吐くしかなかった。こうなったら付いていく他ない。例えそこに滅びが待ち受けていようとも。


景垙を総大将とする朝倉軍1500は、西進してくる浅井・寺倉軍1万を迎え撃つため、湯岡城を出て三方郡へと進軍を始めたのであった。





◇◇◇




浅井・寺倉連合軍の総大将・浅井新九郎長政は、一万の大軍を率い小浜に向けて兵を進めていた。


「申し上げます!朝倉軍1500はこちらに向かって進軍し始めたとの由にございます。このまま進軍し続けると、戦場は三方郡になるかと思われます!」


「ふむ、三方郡か。ご苦労」


長政は伝令兵に労いの言葉をかけ、おもむろに虚空を見つめだした。


「どうした、新九郎」


「いや、かつての同盟相手であった朝倉軍と戦うというのは少々気が引けてな。だがそうも言っていられぬ。私はこの軍を率いる立場なのだからな」


「ならばここは我ら寺倉軍に任せてはくれないか?」


「義兄殿が?如何するつもりだ」


「我らが目賀田を破った時の戦術を使うつもりだ。此方には軍の指揮に長けた名将・藤堂虎高がいる。まずは開けた場所で比較的少ない兵に朝倉本隊と衝突させ、その後退却を装って狭い山道に誘い込み、道の両側に潜伏させていた兵に脇腹を突かせるという策だ。三方郡は山間部が多い場所だから、この地形を是非活かしたい」


「ふむ、分かった。ここは義兄殿に任せよう。我らはどうすればいい?」


「狭い山道で襲えば、必然的に退路は前か後ろかになる。前は野戦陣地から鉄砲で攻勢を加える上、退却する虎高の軍が待ち構えている。故に、新九郎は背後の退路を塞いで欲しい」


「成る程、了解した」


藤堂虎高1000は山間部を背後に控えた開けた場所で陣を敷き、東進してくる朝倉軍を待ち構えるのであった。





◇◇◇





「何、待ち受けている浅井・寺倉軍が僅か1000程しかいないだと?そんなはずはなかろう!」


景垙は憤懣を露わに、伝令兵を怒鳴りつける。伝令兵は肩を震わせて慄いていた。


「孫九郎、落ち着け。罠かもしれぬ」


「父上の口出しは無用!奴らは1500の我らには1000の兵で十分だと侮っている。これは寧ろ好機だ!一気に殲滅するぞ!」


景垙は勢いのまま本陣を出て行った。自らの言葉を一切聞き入れようとしない景垙に景紀は頭を抱える。口を出すべきではなかったのかもしれないと自省し、高く昇った太陽を朧げに見つめていた。


間も無く、怒りを露わに陣を飛び出した景垙の先導で、1500の朝倉兵は精鋭を集めた寺倉軍1000に突っ込んでいく。1.5倍の兵に対し、寺倉の精鋭は善戦を繰り広げる。虎高の指揮により、兵の士気は非常に高かった。


しかし兵数の差によって戦況が不利に転じた瞬間、虎高は退却を命じた。


拍子抜けするほどあっさり引いて行った寺倉軍に、景垙はほくそ笑む。そして、慌てふためいて脱兎のごとく無様に退却していく寺倉軍は、まさに敗軍のそれであった。虎高は目賀田の戦いから更に精度を上げ、不自然に整然と並んでいた退却を自然なものに変えたのである。


「今だ! 皆の者、追撃せよ!」


そして景垙はまんまと引っかかり、追撃を始めた。


最初は景垙の後を追っていた景紀も、微かな違和感に気づく。目の前の山が近づいてきたからである。


(まさか...... 山に誘い込む気か!)


そう気づいた瞬間、景紀は声を張り上げた。


「これは罠だ!これ以上の追撃はならぬ!」


必死の叫びも虚しく、景垙の耳には届かない。景紀の声で追撃をやめたのは、景垙の兵に釣られなかった僅か200の兵であった。


その瞬間、景紀は項垂れる。景垙は罠に気づく事なく、まんまと山間部に誘い込まれてしまったからである。


景紀の悲痛な表情を見て、兵たちは次々戦意を失っていった。そして立ち止まった景紀の軍にのっそりと向かう大軍。浅井軍6000であった。




◇◇◇




山間部に誘い込まれた景垙率いる朝倉軍は、野戦陣地に逃げ込んだ藤堂虎高軍を見て全てを察する。



ーーこれは罠だったのだ、と。



朝倉兵の中に依拠していた悪い予感は的中し、野戦陣地から鉄砲が放たれ、両側から兵が雪崩れ込んできた。突然の奇襲に兵たちは混乱し、細長く隊列を組んでいたために脆い脇腹をつかれた朝倉軍は瞬く間に瓦解していった。


大将である朝倉景垙の周りも例外ではなく、狭い山道の中ではその守りは非常に薄かった。このような奇襲を全く予想していなかったのもあるが、景垙は緒戦の勝利に酔いしれて、完全に油断していたのである。


両側からなだれ込んだ寺倉軍により、朝倉景垙は恨み言一つ発せぬまま、あっさりと討ち取られてしまった。大将を失った朝倉軍は統率を失くし、今通ってきたばかりの狭い山道を我先にと逃げ出していった。


こうして寺倉の「釣り野伏」は完璧に成功し、浅井・寺倉連合軍の完勝に終わったのであった。



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