若州騒乱②敦賀陥落
12月5日。
疋檀城を落とした浅井・寺倉連合軍は、敦賀に到着すると、金ヶ崎城の支城である天筒山城を落とし朝倉景垙が援軍のため若狭に出陣したために空き家同然となっていた、金ヶ崎城を取り囲んだ。
敦賀湾を一望できる美しい山城、金ヶ崎城にて留守居役を命じられていた朝倉景垙の弟・朝倉孫四郎景恒は、喧騒に包まれる金ヶ崎城の本丸・月見御殿で、毒気を抜かれたように青白い顔で眼下の大軍を見つめていた。
朝倉景恒は僧籍に入っており松林院鷹瑳と名乗っていたが、景垙が援軍として金ヶ崎城から出陣することになり、子もいない景垙が唯一信頼する弟に、金ヶ崎城の留守居役を任せたのである。そのため、景恒は一時的に還俗して金ヶ崎城の留守居役として城を守っていた。
しかし、生来から気が弱く心優しい性格で、武将には不向きである故に僧籍に入れられていた景恒にとって、眼下で整然と佇むその大軍は非常に大きな脅威に感じられ、額に汗を滲ませて動揺を露わにしていた。
それは家臣らも同じであり、この城を守るよう命じられた景恒は、どうにかこの混乱を収めようと絞り出すように声を上げる。
「み、皆の者!落ち着くのだ!」
声色に倉皇を含んだその声は、喧騒に包まれる本丸の中に意外なほど綺麗に響き渡る。
動揺が孕んでたとはいえ、狼狽していた家臣たちを黙らせるには十分すぎる程の声量であった。
じっと腕を組んで喧騒の中に身を置いており、唯一冷静な思考を保っていた重臣・萩原八郎右衛門尉宗俊が静まり返った水面に波を打つように話しだした。
「この城を包囲しているのは、浅井と寺倉の兵だと思われます。浅井の三つ盛亀甲と寺倉の二つ剣銀杏紋の旗印が掲げられておりまする。その数約1万に上るかと」
「い、一万だと...?」
景恒は驚愕して目を見開く。主力の兵が出払っている今、一万の兵を相手取るのはどう考えても不可能だ。
その言葉を聞いた諸将は再び狼狽し、騒めきだした。
それを収めようと、景恒は一回り大きな声を響かせる。
「狼狽えるでない!兄上様は必ずこちらへと戻ってくるはずだ。それまで耐えれば必ず勝機は見えてくる!」
景恒の言葉に諸将は「そうだ、そうだ」と声を上げ、その顔に希望の色を見せるが、萩原宗俊が淡々と告げる。
「しかし、この城に残っている城兵は僅かに200程。朝倉宗家からの援軍も見込めないでしょうな。朝倉左衛門督様は優柔不断かつ楽観的なお方ではございますが、六角家を滅ぼした浅井と寺倉に対してだけは無類の憎悪を向けているとのことにございます。本来ならすぐにでも援軍を送ってきましょうな」
「それなら...!」
景恒の顔が一瞬喜色に染まる。しかしその一片の希望は宗俊の言葉によって瞬く間に潰えることになる。
「ですが、越前の北部ではすでに雪が積もり始めております。左衛門督様がお決めになったところで、兵を動かすことは不可能でございましょう」
「......では我らに残った手段は兄上様の帰還まで籠城を貫くしかないというわけか」
景恒は歯を食いしばり、悔しそうに呟いた。その声は力無く虚空に消えて行ったが、家臣らの耳にはしっかりと届いていた。
「左様にございます」
そして、宗俊が静かに返事をする。景恒はしばらく俯いていたが、突然意を決したようにバッと顔を上げた。
「この兵力差では籠城したところで大した抵抗はできぬ。200の城兵の命を無駄に散らすだけになるだろう。やむを得ぬ。我らは浅井と寺倉に降伏する」
景恒の決断に、家臣らは苦虫を噛み潰したように視線を背けたが、反論するものはいなかった。1万の大軍に対して僅か200の兵で籠城したところで、皆勝ち目がないことは理解していたからである。
朝倉孫四郎景恒は、史実において金ヶ崎の戦いで織田の大軍の猛攻に耐えられず、降伏勧告を受け入れて開城した経歴がある。その時に降伏を受け入れたことにより、“朝倉名字の恥辱なり”と一門衆から痛烈な批判を受けた武将である。
降伏の原因は織田の猛攻に屈したというだけではなく、朝倉家での一門衆の権力争いが大きな原因でもある。一門衆筆頭で大野郡司であった朝倉景鏡が、金ヶ崎城への後詰めに出陣したが、突如進軍をやめて日和見に徹したことで、後詰めを得られなかった景恒は止む無く開城を決断したのだ。
そして景恒はその時と同じように大軍を目の前にして、金ヶ崎城を開城しようとしていた。
「異論ないな。お主らと城兵は全て助命してもらえるよう、私自ら浅井の本陣に出向こう」
「なりませぬ、ここは某が!」
「いや、某が参りまする!」
皆自分が行くと声を上げるが、景恒は小さく首を振って微笑んだ。我ながら良い家臣を持った、そう感じたからである。
「ならぬ。これは命令だ。間違っても後を追うような真似をするではないぞ」
その言葉の後、家臣は一様に涙を流した。景恒自身もすすり泣きを止められずにいたが、やがて意を決し、家臣らに背を向けて足早に城を出ていったのであった。
◇◇◇
「我が命を引き換えに、城兵の命は全て救って頂きたい」
金ヶ崎城の留守居役を任されていたという朝倉孫四郎景恒は、刀も鎧も身につけず、無腰で浅井の本陣へとやってきた。俺は少し驚いたが、一万の大軍を前にすれば、降伏が最も賢明な選択肢であることは間違いないだろう。
しかしその肩は微かに震えていた。死ぬことはやはり怖いというのだろう。しかし、長政も俺も景恒を殺すつもりは毛頭なかった。
「孫四郎殿、良く決断してくださった。貴殿の命も無碍には扱わぬ。安心召されよ」
長政は膝をついて頭を下げる景恒に対し厳かに淡々と告げた。
「......我が命を、救うと申されるか?」
景恒は驚きの表情で俺たちを見上げた。殺されると思っていたのだから当然だろう。
勿論、ただ助命をするだけではない。利用価値があろうとなかろうと助命はしていただろうが、この景恒にしかできない役目がある。
「もちろん、暫くは捕虜として我らとともに従軍してもらう。貴殿の兄・孫九郎殿は金ヶ崎城を奪還しようと引き返してくるだろう。勝敗は兵家の常ゆえ、戦になれば大将の孫九郎殿の命はなくなるやも知れぬ。もしそうなった場合は貴殿には敦賀郡司を継いでこの地を治めてもらいたい。ただし、その際には貴殿の嫡男・権丸を人質に差し出してもらうことになるが、宜しいか?」
「......これも戦国の定め。甘んじて受け入れまする」
少し考え込んだ後、景恒は答えを出した。
こうして景恒は浅井の捕虜として従軍することになった。景恒を助命したことで景恒の家臣らは感涙し、以後景恒とともに浅井家に忠節を尽くしていくことになる。
浅井・寺倉連合軍は、金ヶ崎城を一兵も失うことなく制圧し、敦賀はついに浅井の領土になったのであった。
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