嵐の前の静けさ

「何、武田と上杉が和睦しただと?!」


俺は初めこの報せを受けた時、何かの間違いではないかと疑った。しかし平静さを失いどこか落ち着きのない光秀の様子を見ると、嘘だとは思えなかった。


宿敵同士である武田と上杉の和睦と甲越同盟の締結。これで史実の「第五次川中島の戦い」はなくなったことになる。長きに亘る対立を考えれば予想だにしない結果だ。戦の結果を聞く限り、第四次川中島の戦いは、上杉の大勝利に終わったようだ。武田の被害が4000に上る一方で、上杉の被害は僅か500程度。戦国史でも稀である激戦であったはずのこの戦いは、その結果を大きく変えることとなった。


俺はその要因に心当たりがあった。川中島の戦いの直前、俺は書状を政虎に向けて送った。その内容は、史実では使われなかった、善光寺平の善光寺近くに置いた兵5000をこの戦いに参加させるということであった。しかし、戦の前では政虎が善光寺近くに兵を待機させておくというのは政虎以外は誰も知らないことである。ここではっきりと言ってしまえば思わぬ疑念を与えてしまうだろう。


俺はそう危惧して少し内容をぼかした。戦場において兵を遊ばせず、全力を以って武田とぶつかるべきだという内容にしたのである。


その結果、上杉は武田の本隊の挟撃に成功し、多くの重臣を討ち取ることができたらしい。多くの兵を失い、更には信玄が最も寵愛していたという弟・信繁を含める多くの重臣を亡くしたことで、当然ながら武田家の国力は大きく低下した。


これ以上上杉と戦うことは不可能だと悟った信玄は、上杉に対して和睦の提案を持ちかけた。そして生まれたのが「甲越同盟」である。信玄は和睦にあたっての境界線に関して、かなりの譲歩を余儀なくされたようだ。


上杉と同盟を組んだということは、北への懸念がなくなり、一方向に戦力を大きく集中させることも難しくなくなったということである。


ここでまず考えられるのは群雄割拠の遠江であるが、すでに今川の支配から脱却しているため三国同盟を破棄する必要もなく、北条の介入もない。力を大きく削がれた武田にとっては恰好の的である。しかし、遠江は真っ先に飛びつけば毒餌にもなる。織田は東三河を接収したことで、遠江と国境を接している。織田が遠江の制圧に出るのは来年以降だろうが、もはや時間の問題だ。遠江を狙って武田が動けば、織田との戦を誘引することにもなるのだ。


川中島以前の武田ならば互角以上に渡り合えることは間違いないだろうが、今の状況を鑑みれば、尾張・三河の81万石を有する織田との交戦は、何としても避けたいはずである。


そして西の美濃は遠江と違い海がないため塩は採れない上、美濃国は58万石と日ノ本有数の石高を誇る。対する武田は、27万石という肥沃な土地である北信濃の五郡を完全に失ったことで54万石の規模にまで縮小された。


美濃を治める一色家は、森部の戦いで敗れたことで戦力は減退気味とはいえ、ここに攻め込んだところで美濃を獲ることは不可能に近いと言える。


そうなれば東の関東は同盟を結ぶ北条の領地で難しいとなると、狙いはただ一つに絞られる。今川が治める駿河国だ。石高は17万石と低いが、海に面して塩が得られるうえに海運による商業収入も多く、信玄の目には魅力的に映るだろう。三国同盟の一角を相手取るとはいえ、義元が盛り立てた威光も風前の灯火。東三河、遠江の反乱を鎮圧できず、大きく衰退している。勢力の回復と拡大を狙う信玄にとって三国同盟は足枷でしかないはずだ。


今川家は、駿河を攻められたらひとたまりもないだろう。氏真は政治には長けているものの、武略では信玄に遠く及ばない。重臣の多くが離反してしまった今、武田の侵攻に耐え得る力は恐らく無いはずだ。


結局、俺は政虎に手紙を送って武田を破る策を授けたが、それが今川家の滅亡を早めることになってしまうのであれば、奇禍であったと言わざるを得ない。寺倉では両家の戦に手を出すことはできない。武田の動向に常に目を光らせるよう氏真に強く言わなければならない。


上杉・武田の同盟の報は瞬く間に広がり、この近江でも大きな話題になったのであった。





◇◇◇




9月下旬になり、稲の収穫時期を迎えた。


目賀田の戦い以前の領地だった犬上郡と坂田郡の全てで行った塩水選と正条植えのおかげで、去年までとは稲の実りが全く違い、誰の目から見ても明らかに収穫量が増加していた。


俺は田植え前に検地と戸籍作成への協力を求める代わりにこの手法を伝授した。協力を求めたといったが、領内では塩水選と正条植えにより、鎌刃城下は収穫量が大きく増加して豊作になったことは誰もが知っていることであり、農民たちは寧ろ我先にと半ば競い合うような形で申し出てきた。


来年は新たに領地となった愛知郡と神崎郡の住民にも、この検地と戸籍作成の協力を頼む代わりにこの手法を随時教えていくつもりだ。


10月になると、織田家から譲ってもらった種を使って栽培した綿花も収穫に至り、木綿の入手に成功した。来年からは今年採れた種を使って事業を拡大していく予定だ。



◇◇◇



「若狭にて、収穫したばかりの逸見、武田の村々に対して計画通り偽装部隊にて襲撃を行いました」


10月も下旬に差し掛かると、本多正信に計画を一任していた若狭内乱計画に大きな動きがあった。


「そうか。手応えはどのような感じだ」


正信の声からすると、順調に事が進んでいるようだ。


「まずまずといったところでしょう。逸見は武田に挑発されたと勘違いし、反乱を前倒しにすることを検討しているようにございます。三好の援軍が望めなくなった今、先に武田による挙兵を警戒しております。このままいけば早期決起に踏み切ることは間違いないでしょう」


三好は南近江に出兵したことで、若狭まで兵を向けることが難しくなっている。この様子なら内乱に乗じて敦賀と若狭に攻め込むことができそうだ。


「志能便に命じ、敦賀郡司の朝倉景垙の動向を監視せよ。逸見の反乱鎮圧に動くはずだ。その朝倉景垙が動き次第、我らは浅井の兵とともに若狭と敦賀へと侵攻する。準備を進めておけ」


「はっ」


史実においては、武田は逸見の反乱を鎮圧できず、幕府に頼んで朝倉に援軍を要請している。朝倉はこの反乱を軽んじ、大した兵力を向けることがなかった。朝倉が後詰めを行う可能性は低いはずだ。この援軍が出陣するのを契機に敦賀へと攻め込む算段でいる。


浅井と逐一意思疎通を図らなければならないな。この若狭侵攻が成功すれば、寺倉も大きな利益を得ることができる。



◇◇◇



寺倉の仕掛けた謀略によって、このすぐ後、逸見昌経は挙兵し反乱を起こす。武田義統はこの鎮圧に兵を挙げることになり、若狭は内乱へと突入していくのだった。


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