第四次川中島の戦い①
8月16日。
関東管領・上杉政虎は、善光寺に5000の兵を残し、善光寺平の南、武田が守る海津城からほど近い妻女山に13000の兵を率いて着陣した。
これに対し、海津城を守る城代・高坂昌信からの報せを受けた武田信玄は、すぐさま躑躅ヶ崎館から2万の兵を持って出陣した。
高坂昌信は信玄の到着を待つため、ひたすら籠城に徹した。海津城は東条城と並ぶ武田家の最前線の城である。この城は政虎が北条との戦で関東に出兵する際、信玄が同盟国である北条の援軍要請に応え、北信濃侵攻を敢行した際に築造された城である。
重ねてこの川中島は、越後と信濃を結ぶ交通の要所であり、肥沃な土地で米の収穫高が非常に高く、経済的な要所でもあった。それ故に信玄と政虎は幾度となく争ってきた。
政虎は義を重んじる武将。最初は武田の信濃侵攻に静観を貫いていたものの、北信濃への侵攻を決めた理由には、有力国人であり、信玄に敗れて亡命してきた村上義清の救援要請と、信玄の攻勢によって本拠の中野から追われ、越後との国境の飯山にまで追い込まれていた、縁戚・高梨政頼への救援を決めたことがあった。さらには善光寺平から山を越えたすぐ北には政虎の居城・春日山城があり、上杉家としても安全保障上の理由から北信濃を武田が制圧するのを黙って見ている訳にもいかなくなり、両者の因縁とも言える対立の構図が生まれたのである。
9年に渡る両者の確執。それを象徴するのがこの「第四次川中島の戦い」である。史実では五度に渡る川中島の戦いの中で、最大の戦いだ。
8月24日、信玄は政虎が布陣している妻女山の西、千曲川を挟んだ先にある塩崎城に入城した。これで東の海津城、西の武田本陣とで妻女山の政虎を挟みこむ形になったが、信玄は政虎の軍略と指揮能力の高さを警戒し、睨み合いを続けた。
双方とも動きを見せることはなく、先に痺れを切らした信玄は、29日、兵を動かし川中島を横断し、海津城へと入城した。
それでも一向に動こうとしない政虎に対し、信玄は我慢比べをするように動こうとはしなかった。しかしそれも時間が経つにつれ厳しくなる。開戦派の声が徐々に増しつつあるのを信玄は察知する。上杉の13000に対し武田は2万もの大軍を率いていた。このまま攻め込まず静観していれば、兵の数で圧倒的に優っているのに弱腰な態度を取っていると思われ、「武田は上杉に対して臆している」と見られかねない。
同時に戦況の膠着と戦意の低下を危惧した信玄は、馬場信房と高坂昌信に命じて軍事戦略を練らせ、本隊と別働隊に分けて兵を動かす「啄木鳥戦法」を使うことによって、上杉との開戦を決意したのであった。
そして一方、政虎は正吉郎から送られてきた「全ての兵を遊ばせずに無駄なく活かすべし」という内容の手紙に従い、機を見て善光寺に配置した兵に指示を送り、政虎の合図に合わせ北から八幡原に向かわせるよう命じた。
これが歴史を大きく変えることになるとは知らずに。
◇◇◇
9月9日。
政虎が布陣する妻女山。ここは敵に囲まれやすく、移動は容易でない。そのうえ補給も困難であるという、所謂戦術における「死地」であった。
政虎はあえてこの「死地」に陣を敷いた。政虎に対して一際用心深い信玄は、ただ陣を敷いているだけでは動かない。政虎はわざと隙を見せて、信玄に挑発紛いのことをしていたという訳である。
「弾正少弼様。やはりここは危険でございます。すぐに陣を移すべきかと存じます」
「今は待つのだ。信玄は必ず打って出てくるはずだ」
「とは言いますが、自ら劣勢に身を置いていることで、兵たちは精神的に少しずつ消耗しております。これ以上ここに留まっていれば戦意の低下は避けられないでしょう」
「……来たようだ」
「は?」
間抜けたような声をあげる。それもそうだろう。武田が出陣するような前触れは他の誰も感じることはできなかった。
「あれを見よ」
家臣たちは、政虎が声とともに視線を移したその方向に目を向けた。
「……あっ!」
一瞬の沈黙の後、重臣の一人で上杉随一の猛将・柿崎景家が驚きの声をあげた。
「海津城から見える炊煙がいつもより明らかに多い。武田は間違いなく今夜のうちに動く。おそらく隊を二つに分け、我らが別働隊による攻勢を受けて下山し川中島へと兵を進めた所に、信玄の本隊との挟撃を加える算段だろう」
政虎は迷うそぶりも見せず言い切った。政虎は信玄の動きを見破っていたのである。
「ま、まさか。そこまで考えた上で....?」
「信玄は我らが死地に布陣すれば、必要以上に警戒して必ず何か策を講じてくることは分かっていた。だが詰めが甘かったな、信玄よ」
政虎は鋭い眼光で眼下の海津城を見つめながら、静かに笑った。そして唖然とする家臣らに言葉を続ける。
「お主らは諸将に命じよ。もうじき武田がこの妻女山へと攻め込んでくる。その前にこの山を速やかに下山する、と。決して音は立てるな。こちらの動きを察知されるような動きは絶対に謹め。分かったな」
政虎は、闇夜に乗じて武田に動きを先読みする行動を取ることに決めた。
「は、はっ!」
「そして今善光寺平にて待機している兵に、南進し八幡原にて南北から我らと武田の本陣を挟撃するよう命じよ」
「御意」
政虎が諸将に命じてからの動きは迅速かつ粛然としていた。一切の物音を立てることなく、整った隊列で武田方に気付かれることなく下山に成功し、そのまま流れるような動きで千曲川を渡河した。そしてもぬけの殻となった妻女山に攻め寄せた武田の別働隊が、武田の本陣と戦う上杉の本陣へと急行するのを足止めするため、甘粕近江守景持、村上義清、高梨政頼に1000の別働隊を与え、渡河地点に布陣させた。
政虎の本隊はそのまま北進し、八幡原のある地点に布陣した。
そして午前三時、いつもなら皆寝静まっているはずの時刻に、高坂昌信率いる別働隊12000が妻女山の政虎に夜襲をかけるため進軍を始める。その行軍には時間をかけていた。武田にとってはこの作戦が命である。万が一にも失敗は許されない。辺りへの警戒に警戒を重ね、のっそりと歩く巨人が如くゆっくりと慎重に行軍していた。
まだ真っ暗な闇が支配する未明の朝四時を過ぎた頃であろうか。静まり返っていた妻女山に咆哮のような声が響いた。
「妻女山に布陣している上杉本隊を叩け!!!敵を殲滅するのだ!!!」
ーーおぉぉぉおおおおおおお!!!!
一斉に攻め立てた武田軍であったが、すぐにその違和感に気づく。
ーー上杉本隊の姿がない。
そのことに最初気づいたのは、この別働隊の大将である高坂昌信であった。
「まずい!上杉本隊は逆に我らの本隊へと攻めかかるつもりだ!今すぐ八幡原に向かうぞ!!!」
その言葉が一気呵成に妻女山に突っ込んでいった兵たちに届くには、かなりの時間を要した。
なにせ、闇夜で視界がはっきりしないため、中には敵と勘違いして同士討ちを行う者までいたのだ。その混乱は周囲に波及していき、味方しかいない中で混沌とした乱戦状態に陥った。
そして兵たちが辺りに味方しかいないと気づいたのは、日が昇り周囲が完全に明るくなった頃であった。
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