高島郡の動向

高島郡には高島家を筆頭とする、分家の朽木・永田・平井・横山・田中の六家、そして別系の山崎家を加え、高島七頭と呼ばれる勢力が力を持っていた。


山崎家を除く六家は全て佐々木高信を祖としているといい、血統の上では強い結びつきを持つ武士団である。特に高島家は六角家から佐々木源氏の公称を許されており、幕府の奉公衆としての地位も持っていた。


戦国時代に入ってからは六角家の傘下に入り勢力を維持し続けていたものの、六角家が滅亡したことで西近江で孤立無援の状況に陥っていた。


血縁関係を持っているとはいえ、その関係は複雑である。朽木家は細川家や三好家に追われた代々の足利家の将軍を本拠の朽木谷で保護していた。しかし、12代将軍足利義晴に味方したことで、朽木家の現当主・朽木元綱は、父・晴綱を本家である高島家の高島越中守との戦いで失っている。


高島七頭は浅井に対抗するために、高島家の本拠・清水山城で集まって話し合いを行っていた。七家合わせても五万石程度であるため、強い結束が求められるのだ。


表立って敵視しているのを露わにすることはないものの、高島・朽木の両家は相互に敵愾心を内に秘めていた。


「やはり浅井は攻め込んでくるか……」


そんな険悪な空気を肌で感じ取りながらも、高島越中守は静かに口を開いた。その額には汗が滲んでいる。


越中守は諦めず最後まで対抗しようという意思があったものの、他の面々の顔にはそんな考えは存在していなかった。


高島越中守以外の六家は浅井家への従属を望んでいたのだ。つまりは領土の安寧を望み、御家存続を第一に考えていたというわけである。


そんな考えの相違からも、高島越中守と朽木弥五郎元綱は互いに睨み合っていた。


高島七頭は高島郡の南西部が勢力範囲であり、北東部は弱小国人の勢力下だ。高島郡全体で結束し、攻め入る浅井に立ち向かったとしても、こちらは7万石余程度だ。それに比べて浅井は浅井郡・伊香郡・坂田郡の北部を所領としており、倍以上の15万石の大名だ。はっきり言って勝ち目はない。


それでも高島越中守は強硬策を貫いた。浅井への徹底抗戦を望んでいたのだ。


高島越中守はプライドだけは異常なほど高かった。浅井などという成り上がりの下に付くぐらいならば戦って死んだ方がマシである。本気でそう考えていたのだ。


一方で、朽木元綱は保守思考が強かった。元綱は金ヶ崎の退き口の際、朽木谷の通行を許可し、信長の命を救ったことで有名だ。その後も豊臣につき、関ヶ原の戦いでは東軍に寝返ったりと、とことんリスクを嫌う人間だった。


言うなれば真逆である。高島越中守が意固地になるのも頷ける。それに元綱は2歳の時に父を亡くしており、歳もまだ数え13でしかない。プライドの高い越中守は、元綱の考えに賛同することができなかったというわけだ。


だが、いつもなら越中守に味方するはずの他の五家の旗色は芳しくなく、今回ばかりは元綱側についた。


「お言葉ですが、越中守殿。まだ浅井と戦おうというおつもりか?」


13歳の元綱の声に対し、露骨に顔を歪める越中守。その言葉には浅井と戦おうなどと馬鹿なことを...という嘲笑が含まれていた。


「お主には佐々木源氏の血筋を受け継ぐ者としての誇りはないのか?」


越中守は鋭い目線で告げる。しかし元綱は怯むどころか、逆に語気を強くして言葉を繰り出した。


「六角無き今、いずれ苦境に立たされることになるでしょう。蒲生や寺倉、三好の手が伸びてくるやもしれませぬぞ。誇りなどと言って戦えば、近く死を迎える他ござらん」


この腑抜けが、と越中守は思った。周りの五家も遠慮がちに小さく頷いている。そう、敵は浅井だけではないのだ。浅井の傘下に入れば、ある程度の安全を得られるのは間違いない。浅井は単体ならば心もとないかもしれないが、寺倉・蒲生と相互に同盟を組んでいる。手を出そうという者はそう現れないだろう。


「我らが結束すれば勝てるかもしれぬであろう!」


越中守は負けじと声を張り上げる。まだ子供の元綱に言いくるめられるわけにはいかなかった。


「この戦乱の世、確実でない戦に身を投じるは愚の骨頂。我らのような後ろ盾のない国人ならば尚更だ!」


「ふん、それは雑魚が考えることだ!」


強情な言葉に、元綱はあからさまにため息をついた。越中守は癇癪を起こし、拳を強く握る。頭に血が上っているのは顔色ですぐに伺えた。


「では勝手になさるが良かろう。これ以上越中守殿の妄言に付き合ってはおられぬのでな。我らは浅井に従属を申し出る。負ける戦に我らを巻き込むのは御免被る。では、失礼致す」


怒りが頂に達したのを見計らい、元綱は一転して冷静な表情を浮かべ、スッと立ち上がった。そして背を向けて部屋を出て行った。


そしてその背中を追うように、五家の面々もそそくさと部屋をすぐに出て行ってしまった。


そして越中守は地団駄を踏む。


「なぜだ!六角の仇を取ろうとは誰も思わぬのか!この腰抜け共が!」


その叫び声は虚空に消えていく。虚しさを感じた越中守は座り込んで、頭を抱えながら考えをまとめた。


ーーやはり私も浅井に臣従する他ないのか……。


七頭の内六家が従属という選択に踏み切ったということは、北部の国人の協力は得られないだろう。つまり戦うことになれば高島家単独ということになる。そうなれば勝ち目どころの話ではない。後世の人間にも後ろ指を指され、笑い者になることだろう。


プライドの高い越中守はそれを認めることはできなかった。歯を食いしばりながら項垂れる。


越中守も渋々ながら浅井への従属を取り決めた。こうして浅井の高島郡制圧は、一兵も失うことなく成されたのであった。



◇◇◇



(ふふ、思った以上に上手く事が運んだな)


長政は、小谷城で朽木と高島の使者が帰った後、静かに含み笑いを浮かべていた。


朽木元綱の父親が高島越中守に討たれた経緯から両者の確執が大きいことを察した義兄殿の策略が見事に的中した。


最初に朽木元綱を好条件で懐柔し、朽木に他の5家を説得させて、本家の高島家を孤立させたのである。


戦わずして高島七頭を下せるとは、長政にとって兵も兵糧も損なわず望外の成果だ。


(後は、高島七頭の当主たちをこの城に呼び出して、浅井への臣従を誓わせなければならぬな。高島越中守だけは面従腹背だろうから要注意だ。若狭への侵攻の際には先鋒として使って武功を競わせよう。そうすれば浅井の兵の損耗も減らせるだろう)


長政は望外の結果に驚きつつも、内心では高笑いが止まらないのであった。




◇◇◇




目賀田の戦いと同時期に、蒲生が野洲郡・栗太郡へと侵攻を始めた。それを見てからなのかは定かではないが、三好が志賀郡へと出兵してきた。これには俺も驚いた。南近江を虎視眈々と狙っていたのは知っていたが、蒲生を挑発するように志賀郡に進軍したのは予想外であった。


同時に浅井は高島郡を戦うことなく制圧したらしい。新九郎に授けた策は上手くいけば儲け物程度の期待であったが、見事に成功したようだな。やはり高島七頭の結束もさほどは強くはないようだな。浅井もこれで寺倉と同じ22万石か。


野洲郡と栗太郡を抑えれば、蒲生はほぼ26万石に達することになるだろう。


寺倉は「目賀田の戦い」の勝利によって22万石になっている。


蒲生は今後藤・進藤・平井の連合軍と野洲川で対峙し、睨み合いを続けているという。戦が勃発するのはすぐのことだろうな。


宗智は珍しく焦っている。それも仕方がないだろう。三好が志賀郡へと攻め寄せてきているのだ。一刻も早く野洲郡と栗太郡は手中に収める必要がある。


志賀郡は間違いなく三好が接収するだろう。群雄割拠の南近江は大勢が決まりつつある。


浅井が目指すは北になるだろう。今秋には若狭で起こる内乱に乗じて出兵を行う。寺倉もそれに援軍を送る予定だ。それまでに準備を進めておかなければな。

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