群雄割拠の南近江
元六角六宿老の内の三人・後藤賢豊・平井定武・進藤賢盛は一堂に会し、近く攻めてくる蒲生に対する話し合いを行っていた。場所は進藤家の本拠・木浜城である。後藤館は蒲生の観音寺城から程近いため、今回はこの場所での会談が持たれたのである。
「蒲生が向けてくる兵は3000を超えるやもしれぬ。背後には同盟を組む寺倉がいる。守備に重きを置く必要がないからな」
まずは六角家の譜代家臣筆頭で、宿老の中でも蒲生に次ぐ二番目の地位を確立していた後藤賢豊が口を開いた。
「我ら三家が組んだとしても2500の兵にも届かぬ。だが野洲郡・栗太郡の国人領主の反応は良く、殆どがこちらへと味方するだろうな」
“六角の両藤”と呼ばれていた、進藤賢盛が冷静な声色で言葉を返す。
この進藤賢盛は幕府との外交においても活躍しており、宿老の中でも三番目の地位にあった知将である。
平井定武は、浅井長政に娘を追い返されており、言うまでもなく執拗な対抗心を露わにしていた。浅井に靡いた蒲生も敵意の対象となっており、その目からは並々ならぬ決意と怨恨が伺えた。そんな定武は静かに二人の会話を見つめながら頭の中に同じような考えを巡らせていた。
国人衆の兵を合わせれば合計で3000の兵力に達し、十分対抗できる勢力になり得る。力を合わせれば必ず勝てるであろうと踏んでいたわけだ。
「六角六宿老としての誇り、ここで示そうぞ。亡き承禎様の仇はここで取るのだ」
賢盛と定武は静かに頷いた。三家の連合軍は、この日から蒲生に対抗するための準備を進めていくことになった。
◇◇◇
1561年5月。日本の副王・三好長慶は、居城の飯盛山城で南近江の動向に目を向けていた。
(まさかあの六角が倒れるとはな。我らと畿内を争っていた大名とは思えぬ。巨人の命も儚きものよ)
その事実に自然に笑みが溢れる。そう、畿内の大部分をその手に収めた三好家は、南近江への進出を狙っていたのだ。当然といえば当然だろう。今までは六角の存在が畿内の情勢を保っていたが、その六角も浅井との戦で呆気なく滅びた。
長慶は天下を制する思わぬ好機を得たのである。
しかし三好も一筋縄ではいかない。4月に四弟・十河一存が急死したのだ。原因は細川晴元の手によって料理に毒を盛られたことにあるのだが、長慶にそれを知る術はない。
弟の急な死に精神的にまいっていた長慶だったが、なるべく考えないように戦へと思考を傾け、その話に明け暮れていた。
「蒲生が南近江の平定を行うため、着々と兵を集めているようにございます」
重臣・伊沢大和守が跪きながら長慶に告げる。その顔は少し痩せこけているように見えたが、無視して言葉が紡がれるのをじっと構える。
「そうか。まぁ当然というべきであろうな」
さして驚かない様子の長慶。伊沢大和守は少し拍子抜けしたが、国人領主が群雄割拠する南近江を元六角六宿老が手中に収めるのを蒲生が黙って見ているわけがない。長慶の予想にも当然あったのだろう。
「元六角六宿老であった後藤・進藤・平井は手を組んで、蒲生に対抗する模様。蒲生が平定できるかは不透明にございますな」
物生山会談で策定された境界線の内、蒲生が分取った領域には六角六宿老のうち四家が健在だが、その三家が手を組んで対抗しようという。側から見ればどちらが勝つか予想できないが、長慶には結果が見えていた。
「この戦い、蒲生が勝つだろう」
「はっ?」
大和守は驚きの顔を浮かべるが、長慶は一瞥した後、今一度考えを巡らせる。
六角六宿老の中でも、力の差は当然存在した。表立って言われることはないものの、決まった序列があったのだ。
二位から後藤、進藤、平井、三雲、目賀田と連なるが、その上に君臨していたのが蒲生だ。蒲生は他の五家と比べても抜きん出た力を持っていた。
六角家は定頼の時代が最盛期だったことは火を見るより明らかであったが、それ以前は幾度となく苦境に立たされた。
まだ将軍家の力が健在だった頃、当時蒲生家の当主であった貞秀は、観音寺城を捨てて落ち延びた定頼の父・高頼を居城の音羽城で匿う。必死の籠城戦の末、細川政元の支援を受けて高頼と対立していた伊庭貞隆と和議を結び、復権を遂げたという経緯があった。
蒲生家はそんな六角家への多大な貢献が考慮され、六宿老の中でも「客将」という扱いを受けていたのだ。蒲生家がほかの五宿老と比べて突出した力を持っていたのはそういったことが由来している。
宇曽川で蒲生が裏切ったのは、六角にとって予想以上の衝撃と損失であったに違いない。
そして残る一つの甲賀衆を束ねる三雲家は野戦での戦を好まない故、手を組んで対抗する様子は見られないという。
「だが、このまま何もせず南近江の動向を座視しているだけでは蒲生や浅井の思う壺だ。志賀郡にもいずれ兵を差し向けてくることになるだろう。今すぐに志賀郡に攻め込むぞ」
蒲生には寺倉、浅井が付いている。近江三家と呼ばれる蒲生・浅井・寺倉はそれぞれ同盟を締結しているが、摂津を中心に山城・丹波・和泉・阿波・淡路・讃岐・播磨を支配下に収める日ノ本一の大大名である三好には遠く及ばないが、力の差があり勝利が間違いないと言われていた「野良田の戦い」で六角を滅ぼした程だ。正面から戦えば何があるかわからない。敵対する前に接収できるのならばそれに越したことはないというわけだ。
「御意」
大和守は静かに頭を垂れ、短い返事の後部屋を出て行った。
長慶にとって弟を失くしたことはその精神を蝕んだ。それでもなおその威勢を保ち続けており、それはまごう事なき天下人の姿であった。
その威勢が徐々に崩れ、三好の天下に翳りをもたらすことになるのは、この南近江への戦いに足を踏み入れてからであった。しかしそれを察する者はこの三好家には誰もいなかった。
長慶は南近江への侵攻を決め、目賀田の戦いの直後に志賀郡へと進軍を始めたのであった。
◇◇◇
一方、蒲生宗智の居城・観音寺城。
三好が志賀郡へと攻め込む準備を進めているとの報せを受け、宗智は冷や汗をかいていた。
「そうか。三好が志賀郡に……」
普段は動揺など滅多にすることのない父が、額に大粒の汗を浮かべているのを見て、忠秀は目を逸らす。
(三好が手を出すことは勿論予想していたが、ここまで手が早いとは思わなんだ)
宗智が危惧していたのは”三好との敵対“である。三好は10倍の力を持つ大大名。正面から戦うことになればすぐに踏み潰されてしまうだろう。
その三好と志賀郡を争って心証を悪化させるのは得策ではない。浅井を押し切って志賀郡をもぎ取っただけに、宗智の中を駆け巡る失意は大きかった。
「だがこうしてはおられぬ。一刻も早く栗太郡と野洲郡を制圧するぞ!忠秀、準備を急げ!」
志賀郡を最悪捨てることになっても、この二郡だけはなんとしても手中に収めなければならない。流石に現時点で三好に喧嘩を売る真似は間違っても出来ない。
「はっ!」
もう少し時間をかけて制圧しようと思っていたが、それは厳しくなった。蒲生は目賀田の戦いとほぼ同時に野洲郡・栗太郡へと兵を差し向けたのであった。
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