目賀田の戦い②

暖かな春の陽気に包まれる草原。穏やかに草を揺らす風とは裏腹に、そこには尋常ではない殺伐とした雰囲気が濃縮されていた。


目賀田軍と寺倉軍。両者は睨み合うように布陣している。


「敵の数は?」


「500程だと思われます」


「何?些か少なくはないか?」


貞政が想像していた数よりも大分少ない。いや、少なすぎる。そんな寡兵で対峙しているなど、信じがたいことだ。寺倉は3000の兵力を持っている。少なくとも2000はいなければおかしい。


「いえ、私も最初は疑ったのですが、どうやら本当のようで」


「真か。伏兵の姿は?」


「物見を放ちましたが、姿はございませぬ」


「ふむ、だが怪しいな。寺倉掃部助は謀略に長けていると聞く。なにを仕掛けてくるかわからん。警戒を怠るな」


「はっ」


貞政は伏兵の姿を探すように周りを見渡す。だが物見を放って見つからなかった伏兵を見つけられるはずもない。


正吉郎はある場所で目賀田の動きを注意深く見つめていた。


(本陣が寡兵だと目賀田は必ず怪しむだろう。自分から行動を起こすことは控えるはずだ)


虎高率いる本陣(仮)はたったの500。あまりにも少なすぎる。そして寺倉の戦法はこれまで全てが奇襲作戦だ。真正面から戦う可能性の方が低いと考えているはずだ。


その代わり目を血眼にして360度目を向けているに違いない。だが、今正吉郎がいるのは目賀田の目から確実に逃れられる場所だった。


そんなことを目賀田貞政が知る由もなく、目賀田本陣の周りの伏兵の捜索に躍起になりつつ、虎高の本陣の動きを注視していたのであった。



◇◇◇



「全軍、突撃ーー!!!!」


そんな一声が戦場に響いたのは、眼上の太陽が昇りきるかきらないかの頃であった。


その軍を繰り出したのは藤堂虎高、寺倉きっての名将である。だがその数は500。怒涛の勢いで突っ込んでくる寺倉兵に対し、目賀田の軍は士気十分だった。


ーー寺倉もこの程度か。我らが手を組めば一捻りであったな。


目賀田軍の諸将の半分はほくそ笑んでいた。4倍の兵を相手に突っ込んでくる寺倉軍に対し、恐怖心は微塵もなかった。


だが慢心はあった。2000の軍にとって500など恰好の的に過ぎなかったのだ。左右に伏兵の姿も見当たらない。そんな余裕が油断を生んだ。


衝突してしばらくは、両者が拮抗していた。寺倉兵は目賀田には想像もできない策略が頭に入っており、負けることはないと信じていた。これがその作戦の肝になるということも自覚しており、気持ちは昂ぶっているものの、頭は落ち着いていた。


しかし、多勢に無勢。徐々に勢いは削がれていき、寺倉軍は完全に劣勢へと陥った。


「退却だーー!!!!」


そんな声が刃を交える両軍の耳に届いた。寺倉軍はその言葉を聞いた瞬間、相手に背を向けて、退却の隊列を組み出した。その一連の動きは極めて迅速で、予め訓練をしていなければ到底不可能な動きであった。


緒戦は目賀田の勝利に終わったのであった。しかし目賀田の兵は知らない。


ーーこれも作戦の一つであることを。




◇◇◇



目賀田の兵は退却していく兵を見て、一旦の勝利に沸いた。目賀田貞政はあっさりと引いていった兵を見て眉を顰める。


(なんだ、この違和感は。本当に勝ったのか?)


怪訝そうな表情を浮かべる貞政に目もくれず、家臣と国人衆の諸将はその背中を見て、すぐさま追撃を加えた。


目指すは一つ。本陣の壊滅であった。


貞政は勢いのままに背中を追う目賀田の兵を見て、違和感の正体に気づいた。


(隊列が綺麗すぎる。敗戦し退却する軍とはとても思えぬ)


その考えに至った瞬間、貞政は叫んだ。


「これは罠だ!!!追撃は控えよ!!!」


そんな声は喧騒の戦場に消えていく。国人衆らは目前の兵が囮の餌だと気づくことはない。戦場という特異な環境に気分が昂り切っていたのもあるが、その目には目の前の武功しか映ってはいなかった。


貞政の願いも虚しく、叫び声が国人衆の耳に届くことはなかった。そして我先にと欲の皮を張った国人が競い合うように本陣の背中を追う。


国人衆は寄せ集めの烏合の衆だった。意思の疎通はもちろんのこと、指揮の統一すらなされていなかった。前日までの言い合いが原因で、国人衆と目賀田家臣の間にも亀裂が走っており、貞政の声に辛うじて気づいた家臣らが馬を走らせ国人衆の軍を追うも、取り合おうともしなかった。


貞政はその光景を見て歯噛みする。同時にその目には諦めの表情で染まり始めていた。


目賀田の軍は500程度。その7割も餌に釣られて国人衆についていき、貞政の声に気づき足を止めたのはたったの150程度であった。国人衆の連合軍1500はいつの間にか、餌に釣られるように開けた戦場を通り過ぎ、両方を森に狭まれた道に誘い込まれていた。


そして国人衆には一目散に退却している様に見えた寺倉軍が野戦陣地に逃げ込み、待ち構えていた鉄砲兵が三段撃ちで再び攻勢を加えてきたのだ。


国人衆らはそこで気づく。我らは誘い込まれたのだと。ここで初めて周りを見渡すと、左右に森があったことにも気づいた。


「全軍、突撃せよーー!!!!」


その声は左右から聞こえてきた。


寺倉が用いたのは、島津のお家芸「釣り野伏」であった。




◇◇◇




「全軍、突撃せよーー!!!!」


俺は虎高の軍が目の前を通り過ぎるのを見て、姿を隠していた森の中から一気に飛び出した。


俺から向かって正面からも同じ動きを大倉久秀と堀秀基が指揮する部隊が行なっており、三方向から挟む形になっていた。


野戦陣地に誘い込み鉄砲で三段撃ちを行う。これが島津の「釣り野伏」からアレンジをした寺倉家独自の「釣り野伏」だ。


釣り野伏を行うには敵を誘引する中央の囮部隊が重要だ。誘引するといっても寡兵の部隊での作戦となる。寡兵で正面から当たり、退却するように見せて、伏兵を置いた場所に誘い込み挟撃を行う戦法だ。しかし、それには高い練度と士気を備えた兵士と、戦術指揮能力に優れて冷静に状況分析ができ、かつ兵と高い信頼関係にある指揮官が揃う場合にのみ扱えるものだ。「統率のとれた退却」は最も困難な軍事行動であるからだ。付け焼き刃で行なったとしても兵は混乱して逃げ出し、やがて四散してしまうだろう。戦場での退却は容易に潰走に陥りやすい上、敵に警戒されないように自然な退却をしなければ決して成功しない。


まだ粗が多いように見えるが、今回の戦は相手が良かった。国人衆の寄せ集めであり、統制が取りきれていない目賀田の兵ならば、退却していく兵に追撃を行わないわけがないと考えたのだ。勝ちを目前にしたと考えると、武功を挙げようと後先考えず突っ込んでいくのは戦況からすれば至極当然と言えるが、この作戦においては命取りだ。


まだこの作戦行動の訓練を始めてからそう時間が経った訳ではない。だが初めての実戦ということを鑑みれば、上出来というべきだろう。短期間でここまで仕上げた虎高の指揮能力には素直に脱帽だ。


虚を突かれた形になった目賀田の兵は、三方からの攻撃に為すすべもなく、次々と命を散らしていった。


そして勝ち目がないと気づいた兵たちは次々と逃げ出していく。背後から残った150を持って追ってきた目賀田貞政だったが、混乱し切った味方が貞政の本隊を敵だと勘違いし、訳もわからず同士討ちを始めてしまう。


冷静な頭を保っていた150の本隊は食い止めるものの、それが隙を生んだ。


逃げた兵を追撃しにきた大倉久秀の兵が、やんごとない雰囲気を醸し出す身なりから目賀田貞政だと気づき、瞬く間に囲い込んだのだ。


「勝利は目の前だ!目賀田貞政を討ち取れ!!!」


「くっ、もはやここまでか……!」


貞政は無念に顔を歪ませる。そして一矢報いようと自ら飛び出していった。


「摂津守様!お下がりくだされ!」


そんな兵の声を聞き入れることもなく、貞政は包囲する大倉軍に単騎駆け出したのであった。












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