目賀田の戦い①

冬の寒さは何処へやら、5月に入ると春の暖かさが舞い戻ってきた。積もっていた雪もほぼ完全に溶け、山の一部にほんの少しだけを残す程度になっている。


「正吉郎様、目賀田摂津守貞政はこちらの使者を受け入れることもせず、勧告を完全に拒否したとのことにございます。おそらく徹底抗戦に出るつもりでしょう」


俺は目賀田家へと最後通告を行った。もちろん降伏勧告である。目賀田家は六角家中で大きな権力を持っていた名門。降伏することは絶対にないだろうと思ってはいたが、目賀田はこの戦に全てをかけているようだ。使者を拒むとはな。


それも仕方のないことだろう。寺倉は元六角の陪臣であり、六角を滅ぼした元凶でもある。兵力差があるとは言えど、ここで降伏するは武士の恥というものだ。六角への忠義は素直に敬意を表することのできるものだと感じる。


「予想した通りだな。それで、目賀田に与する者は?」


「目立ったところでは愛知郡の吉田、神崎郡の和田、永田、伊庭、三枝が目賀田に付くようにございます」


「こちらも大方予想通りだな。愛知郡・神崎郡共に大部分が目賀田に付いたか」


目賀田はこの戦いに全てを賭けてくるはずだ。所謂背水の陣を敷いてくるだろう。ほぼ全軍を持って対峙してくるに違いない。こちらは守備兵はある程度残さなければならない。出せる兵数は2500程度になる。


目賀田は2000近い兵数は出してくると予想される。


「源右衛門、準備はできているな?」


「もちろんにございます」


真正面から衝突すれば勝利は出来てもかなりの被害は避けられないだろう。寺倉にとっては初めて兵数で有利に立つ戦だ。頭では分かっていても、戦場では慢心が顔を覗かせる可能性も十分考えられる。


そこで俺は虎高に兵の損失をなるべく減らすための策略を授けた。これは高い質の練度や信頼が求められる。虎高は指揮能力に長けた名将だ。必ず成功させるはずだと信じている。


「おそらく六角の陪臣に過ぎなかった寺倉に対して六角六宿老の一角だった目賀田がよもや籠城など選ぶまい。必ず打って出てくるはずだ。よろしく頼むぞ」


「はっ」


虎高は小さく頭を下げ返事をする。後ろには政長が控えており、一緒に頭を垂れていた。


政長には虎高の采配を見て成長してもらいたい。名将になるための第一歩だ。


「よし、では3日後に出陣だ。それまで各自しっかりと準備を整えておけ!」


「「「「「はっ」」」」」


俺は力強く告げた。寺倉は今や近江三家の一角。愛知郡の目賀田領への出兵に際し、既存の家臣らに加え、新たに加わった国人らも召集し、共に戦うことになっていた。そんな新たに従属をした国人衆らは、値踏みするように俺の一挙一動をチェックしているが、威厳は足りているだろうか。それを知る由は俺にはないのだが。


城下には守備兵を含め3000の兵が駐在しており、そのうちの2500が出陣を今か今かと待っている。


確実に勝利をするには、入念な準備が欠かせない。油断して準備を怠るなど言語道断だ。それは皆熟知していることであろう。


3日はあっという間に過ぎていった。出陣の時が来た。





◇◇◇




目賀田摂津守貞政。


六角六宿老の一角だった、目賀田家の当主である。


そんな貞政は目賀田城の評定の間、激しい言い合いに興じる家臣達を前に、耳を傾けることもなく難しい顔をして虚空を睨みつけていた。


「やはり籠城すべきでございます!元は六角家の陪臣とはいえ、今は地力で圧倒的に劣っております。国人衆と力を合わせてもこちらの方が兵数が不利なのです。打って出て勝ち目があるとは思えませぬ!」


「しかし六角を滅ぼした一因である寺倉家でございますぞ!籠城など六角六宿老としての尊厳を失ったも同然。今は亡き承禎様に忠義を示す機会にございます。断固打って出るべきかと存じます!」


話は平行線を辿っていた。


貞政は宇曽川で父を亡くしてからしばらくは、目に光が見えず心ここにあらずという状態であった。しかし、寺倉がここ、目賀田領へと進軍する準備を始めたとの噂を聞きつけ、雷に撃たれたような感覚に陥った。それからの行動は迅速だった。


愛知郡、神崎郡の国人衆に声をかけ、共闘して寺倉を撃退する戦への参加を呼びかけた。大半の国人衆はそれに応じ、すぐに戦への準備に取り掛かった。


寺倉が進軍し始めた、との報せが入った時、諸将はすでに集結し、目賀田にて待ち構える体制が整いつつあった。


しかし打って出るか、籠城するかという議論が、前日になっても決まらずにいた。目賀田の家臣は六角六宿老としての立場を崩さず、徹底抗戦に出るつもりでいた。一方、国人衆は軒並み籠城に票を投じていた。国人衆にとっては六角六宿老としての矜持など関係ない。目の前の勝利には変えられぬ!という言葉が目立っていた。


それもそうだろう。六角六宿老以外の連中からすれば、“尊厳”よりも何より寺倉を撃退するという“勝利”を望んでいるのだ。


貞政の心の中ではもう既に決まっていた。口を出していない、ただそれだけだった。


ーー六角六宿老としての矜持、見せるは今こそなり。そして必ずや敵の大将、寺倉掃部助を討ち果たすべく、目賀田は打って出る!


強い決意を胸におもむろに立ち上がる。非常に静かなものだったが、厳かな空気が漏れ出していた。言い合いをしていた両派閥も一瞬固まった後、ゆっくりと貞政へと顔を向けた。


「我らは誇りを忘れぬ。寺倉の雑兵など蹴散らしてくれようぞ!ここで守りに徹すれば、それこそ武門の名に傷が付く。今こそ父上の仇を取るときだ!」


この戦いにかける貞政の思いは並大抵の言葉では片付けられないものだった。


六角家という主家を失ったこと、そして何より貞政を戦へ駆り立てたのは父の死だった。


今近江三家と呼ばれている大名は、目賀田だけでなく、裏切った蒲生を除いた六角六宿老にとって到底許せない存在だったのだ。そして父が討たれたのも同じく仇であった。父上の仇討ち。それこそが貞政の力強い声色の源になっていた。


打って出ることに反対していた国人衆も、その強い意志をあからさまに孕んだその言葉に息をのんだ。そして口を出そうとするも、言葉は出なかった。この厳かな雰囲気に水を差すことが憚られたからである。


貞政は家臣らに目を向けることもなく、まっすぐ目を向いて評定の間を出て行った。一瞬弛緩しかけた空気もすぐに引き締まる。


いつの間にか籠城派の国人衆らに打って出ることに反対する者が居なくなっていた。


その目には妥協といったものは全く含まれていない。


打って出ることを決心した目賀田軍は、日の出の早い五月、目賀田城から二里ほど離れた場所に陣を構えた。


そして、目賀田家の存亡をかけた一大決戦がついに幕を開けるのだった。







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