寺倉仮名目録

閏3月下旬、俺は重臣たちを集め「分国法」の制定について協議していた。


「今川家の目録を参考に?」


今川氏親が亡くなる二ヶ月前定めたという「今川仮名目録」は、東国最古の分国法だ。分国法を制定した理由は、嫡男の氏輝がまだ14歳であったため、家臣の争いを防ぐ目的と、幕府の支配を逃れる意味を同時に持っていたのだという。


このように今川家が守護大名から戦国大名へと立場を改めたものとして有名だが、これの最も重要な部分は守護不入を否定し、幕府の権威を認めない部分だ。


幕府の御部屋衆である寺倉家は、幕府との対立を避けるためこの部分だけは取り入れるわけにはいかないが、これ以外は的を射た項目が殆どで、参考にするにはうってつけなのだ。


今川家は足利一門であり、いざという時は将軍にもなり得る血筋を継いでいる名家である。桶狭間での敗戦で勢いを失い、上洛がかなり遠ざかった今川家だが、未だ駿河と遠江の二国を治め、存在感を依然残す大名だ。


氏真は忙しく動き回り再興に動いているようだが、雲行きは良くないようだ。松平がいないため三州錯乱・遠州錯乱が起こるかどうかは不透明だが、起きれば今川はさらに没落していくだろう。


どうにか助けたいところだが、織田家の手前表立った援助は好ましくない。俺は今川仮名目録の写しを送ってもらう代わりに援助を行うことにした。


信長は元康の死によって東の抑えを失い、北の美濃と東の今川に挟まれる形になっており、軍事行動が取りにくい状況だ。これに対し井伊直親や飯尾連竜、天野景泰らはどう見るのか。織田になびくか今川に従い続けるか。正直予想がつかないところだ。


ただ、寺倉はまだ遠くに目を向けられるほど盤石な状況ではない。間接的な援助で手一杯だ。


今川家は史実では滅亡の一途を辿るが、今は状況が全く異なる。氏真には頑張ってほしいところだ。


「ああ、領地をよりよく治めるためには分国法の制定が必要だ。私は彦五郎殿に頼み込んで今川の目録を入手した。これを基に寺倉目録を制定する」


寺倉は広くなった。俺の目が全て届くわけではない。定めておくべきことは最低限定めるべきなのだ。まず四公六民だが、これ以上上げることは許さない。秘密裏に税率を上げて税を懐に忍ばせようものなら領主は死罪だ。このように寺倉独自の項目もいくつか取り入れることにした。



大雑把にまとめると、現代の六法を参考にして


1.「土地の所有権について」~民法

2.「相続あるいは金品の所有権について」~民法

3.「商取引あるいは債権の返済について」~商法

4.「犯罪の処罰について」~刑法

5.「その他の訴訟案件について」


といった風に分けることにした。将来的に改定することを考えても、こうした方が良いだろうと考えたわけだ。


特に犯罪に対しては細かく制定することにした。


・軽犯罪~詐欺、窃盗、贈収賄、恐喝、軽度の暴行、軽微な過失加害事故など


・重犯罪~誘拐、強盗、強姦、傷害、殺人、放火、騒乱(一揆)など


軽犯罪は弁済・罰金あるいは有期の強制労働を課して、重犯罪には終身強制労働あるいは死罪、といったようにその度合いに従って罰を臨機応変に下すことにした。


簡易な民事や軽犯罪の判決は総務担当官の虎高に任せて報告だけもらい、重大な民事や重犯罪の素案を検討させ、評定で俺の決裁を得て決定するという形も同時に取り決めた。


喧嘩両成敗で罪を受ける者が逃げたときに妻子が咎められる連座制など、俺の価値観から過度なものもいくつか見受けられたため、その度重臣らに相談しつつ修正を加えた。


新たに寺倉に従属した勢力に対して不和を残さないためにも、こうして細かい部分まで取り決めることで信用を得ようという考えもあった。


こうして4月1日、俺は寺倉仮名目録の公布を領内全土に対し行ったのであった。





◇◇◇




領内で鶏を飼育し始めたものの、京からほど近いこの北近江の住人は鶏を食べることに対して未だに抵抗感を持っていた。


潜在的に忌避しているのか、領内の市場に流通させても売れ行きは良くないようだった。猪の肉はもうほとんど抵抗なく浸透しているが、鶏肉を食べることは未知の領域。気が引けるのも仕方がないことだろう。


鶏は昔から日本に存在する鳥で、手軽に捕獲し食すことができるはずだ。この時代の人間は朝告げ鳥と呼ばれる鶏のトサカを日の出に連想して尊い存在として捉えていたのだという。


卵も同様で食べられることはほとんどないらしい。


俺はそんな先入観に囚われ鶏肉を忌避することに痺れを切らし、手始めに家臣らに食べてもらうことにした。


鶏肉といえば一つしかないだろう。そう、唐揚げだ。しばらくご無沙汰だったから、俺が食べたかったという理由もあった。


俺は当然だが鶏を捌くことはできない。だが料理番には俺が肉を時たま食べるようになってから、皆捌くのに慣れて鶏くらいなら問題ないらしい。


俺はいつもの通り少し離れたところで指示を飛ばした。


今回も揚げ物だ。シシカツを作った時と作り方は少し似ているな。


猪のラード、つまり油は有り余るほどある。ラードは石鹸に使っているが、領内で猪を飼っていることに加えて狩人が見つければ喜んで飛びつくような動物だ。それを石鹸だけでなく肉として食べることもでき、余分な油もこうして使えるわけだから、猪はなかなかバカにできないと実感している。


鶏肉は一口大に切ってもらい、塩と胡椒を振る。胡椒は高級品だ。寺倉家の本城・物生山城の経済を支える湊町・松原は日ノ本の物だけでなく大陸や南蛮からも様々な物が行き交っている。胡椒は簡単に手に入るようになったし、そもそも何度か献上されており困らないほど量はある。


唐揚げに必須なのは酒、たまり醤油、生姜、ニンニクだ。


この時代にもニンニクと生姜は普通にある。どちらも500年以上前にはすでに存在していたらしく、問題なく手に入った。


これらを混ぜ込んで下味がつくよう肉に揉み込んでいく。これが一番重要で、時間をかけて下味をしっかりつける。


俺は唐揚げを作るために片栗粉を作っておいた。現代ではジャガイモから作られることが多い片栗粉だ。難しい作業もなく、簡単に作ることができた。


作り方だが、まずはジャガイモをすりおろし、サラシで包み込む。そして水の中で時間をかけて振ったり揉んだりし、 しばらく置いておく。すると片栗粉の成分が徐々に沈殿するのだ。その上澄み液だけを捨て、再び水を加えて同じ作業を2、3回ほど繰り返すと白く綺麗なトロッとしたものになる。それを乾燥させれば片栗粉の完成だ。


じっくり漬け込んだ肉に片栗粉を付け小麦粉をまぶし、ラードに入れて揚げる。どれくらい揚げればいいかはは分からないので、料理番の裁量に任せることにした。


出来上がった唐揚げはすぐ食べるのが一番だ。評定を終えた後に家臣らをそのまま待機させていたので、直ぐに持って行かせた。俺は猫舌だから食べてしまうと火傷するので、食べるのは皆が食べる様子を見届けてからだ。


シシカツの時と同じく、家臣らは最初は少しためらっていたものの、猪肉という前例があるため、疑う顔も見せず直ぐに口にした。


家臣らは口に入れた瞬間目を丸くした。そう、その顔を見るために作ったんだ。


「これは美味いな!」


「もしかするとシシカツより美味しいかもしれん...!」


良く噛んで味わっていた家臣らは口々にそう話し出した。見る限り大半が感動して目に涙を浮かべながら笑っている。


この時代の人間からしたら未知の美味しさだろう。正直これまで食べたことないレベルだと感じているはずだ。


「正吉郎様、これは何という料理でございますか?」


「唐揚げだ。鶏肉に味付けをして油で揚げたものだ」


「唐揚げでございますか。いやはや、驚き申しました。これほど美味しいとは思ってもみませんでしたな。これが鶏肉...正吉郎様が言う通り身体を大きくし、健康にも良いのであればこれまで食べられなかったことが馬鹿らしく感じまするな」


光秀が自嘲を孕ませた笑い声をあげる。うん、気に入ってもらえたようだな。だが揚げ物は食べ過ぎると逆に体に毒だから気をつけてもらいたいものだ。


「よし、では皆これを美味しいと感じたのであれば、領内でそのことを広めるのだ。そうすれば領民にも少しずつ鶏肉を食べることが浸透していくだろう。作り方も教えておこう。領民に振舞ってもらっても構わん。良いな」


「はっ!」


光秀が代表するように声を上げた後、ほかの家臣も続いて一斉に頭を下げた。


唐揚げはこの日を境に瞬く間に広まり、領内で流行することになる。俺は唐揚げを出す料亭でも作ろうかなどと心の中で画策し始めたのだった。

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