新年の挨拶(1561年)
年越しの後、数日間は予想外に忙しい日々を送っていた。元旦ともなればそれなりにやることが多いのだ。諸大名からも年始の挨拶ということで使者が参っており、その対応にも追われていた。
ただ、3、4日も経てば年始特有の仕事も減り、落ち着きを取り戻していた。俺は年始の挨拶と今年嫁ぐ妹の阿幸と長政の顔合わせを兼ね、長政の居城・小谷城へと向かっていた。兵数は約100といったところで、上洛の兵よりは幾分少なかったが、俺が動くと多くの人間を動かす必要があり、大名という立場の大きさを改めて実感することとなった。
「明けましておめでとう、新九郎」
「ああ、明けましておめでとう。正吉郎、今年もよろしく頼む」
事前に伝えていたこともあり、すぐに登城することができた。明けましておめでとう、という言葉は現代では何気なく使われている言葉であるが、この時代では“年始に歳神様を迎える際の祝福の言葉”とし、祭神様の到来を心から喜び合うことを表しているそうだ。
上座に俺と新九郎が並び合う形になっていた。これは浅井家が寺倉家を対等と見ている証拠だろう。浅井家の面々にとって寺倉家は概ね良い印象を持っているようだ。少しの間とはいえ敵同士となった間柄ではあるが、浅井家に非があったことを認め、心から友好関係を構築したいと考えているようである。むしろ尊敬の念さえも感じられるほど。
「本日は新九郎と夫婦の契りを結ぶことになる阿幸姫を連れてきた。年始の挨拶と重ねて一度顔を合わせて欲しいと思ってな」
「ふむ、ではそなたが阿幸殿か?」
阿幸姫は上座から降りたすぐの場所に正座していた。まだ10歳ということもあり、この場には少々場違いな印象を受けたのだろう。阿幸だと一目で分かったようだ。
「は、はい。寺倉阿幸と申します」
「そう緊張するでない。とはいえ初対面だ。緊張するなという方が難しいだろう。終わった後ゆっくり話そうではないか」
阿幸は少し人見知りなところがある。周りには知らない人間が多くいるのだ。緊張するのも無理はないだろう。長政の言葉にこくんと小さく頷いた後、ホッと胸を撫で下ろした。
口上ではあるが、つつがなく新年の挨拶は終わった。その後長政と阿幸は二人きりで話し合ったようで、終わった頃には満更でもない表情を浮かべていた。気が合いそうで何よりだ。形上は政略結婚とはいえど、妹にはやはり名前の通り幸せになってほしい。史実の浅井のような運命は絶対に起こさせるわけにはいかない。
婚礼は3月に行われることになった。浅井家との婚姻は寺倉が嫁ぎに行く側だ。主な用意は浅井家が引き受けていた。大名家の当主と姫との婚礼だ。どれほどの規模のものになるか、今から楽しみなところではある。
俺はこの浅井家訪問のもう一つの裏の目的として、長政との直接的な意思疎通があった。文書で伝えても伝えきれないこともある。直接顔を合わせて話すからこそ意味があるのだ。
「新九郎。寺倉は昨年西美濃の竹中家と婚姻同盟を結んだ。内容は浅井家と同じく“相互不可侵・相互防衛”と“相互軍事支援”だ。竹中家は西美濃三人衆の一人、安藤家とも婚姻同盟を結んでいるから、我々にとっては東の一色の直接的な脅威が少しは和らいだと考えていいだろう」
近江には北に越前の朝倉、東に美濃の一色、西に三好という三方を囲まれた状況だ。江北の浅井にとっては東の一色家は常に警戒するべき相手であり、浅井は朝倉ともほぼ断絶状態。二方に気を向けながら領土の接収を行わなくてはいけないのだ。
そこで寺倉が竹中と婚姻同盟を結んだことで、実質的に浅井にとっても東への脅威が減ったことになるというわけだ。
「それは真か?!その話が本当ならば、浅井が高島郡の制圧を終えた暁には今後の侵攻方向が若狭か敦賀になるだろうな。長く友好的な同盟を結んでいた朝倉家とももはや断絶状態だ。やむを得まい」
浅井は去年のうちに独立性が高く不安定だった坂田郡の北部を制圧した。今年から本格的に接収に向けて動き出すようだ。浅井が侵攻するのは高島郡。高島郡は高島七頭を代表とした厄介な国人領主が軒を連ねており、制圧には時間がかかると俺は見ている。
「若狭の武田家当主の武田義統は公方様の妹を妻に迎えている幕府の国持衆だから、若狭に手を出すと幕府を敵に回すことになる、といっても六角を滅ぼした近江三家は既に幕府の敵であろうから今更だがな」
俺はあくまで“御部屋衆に任じられた“ということは伏せておいた。ここで要らぬ誤解を与えるのも良くない。
「若狭を攻める場合は正吉郎にも援軍を頼むことになるだろうが、幕府との関係も考慮すべきだな」
相互軍事支援の協定を結んだし、当然援軍は出す。ただ、これがきっかけで幕府に敵視されるのは好ましいとは言えない。出来るだけ将軍家との関係は良好に保ちたいものだ。
「だが、数年前に先代の父・信豊が義統の弟に家督を譲ろうとして義統と内紛となったと聞いた。信豊は近江に逃げたそうだが、まだ若狭では火種が残っているようだ。今年には再び内乱が起きるかもしれないぞ」
史実では今年の6月に三好の支援を得た重臣の逸見昌経が反乱を起こすはずだ。確か義統は朝倉から援軍を受けて勝利するはずだが、三好が南近江を優先した場合はどうなるか全く見当もつかない。
「もしあり得るとすれば、幕府側の若狭武田を狙って、丹波から三好が手を出してくる可能性が考えられる。そうなった時には義統はおそらく幕府の伝手を頼って、親幕府の朝倉に助けを求めるだろう。状況次第だが、三好と武田・朝倉が若狭で争っている混乱に乗じ、横から若狭に介入して小浜を奪うか、背後の敦賀を奪うという手が考えられるな」
「ふむ、漁夫の利を狙う戦略というわけか。いずれにしても浅井としては小浜か敦賀のどちらかの湊はぜひとも手に入れたいところだな」
長政は相槌を打ちながら大きく頷く。混乱に乗じて領地を掠め取る。狡い策略と言われるかもしれないが、かなり有効だろう。
「だが、三好は今年はまず南近江の大津に攻めてくるのは間違いないだろう。そうなると、はたして同時に若狭に手を出してくるかどうか」
六角が滅んで一番得をしたのは三好家だ。
去年は畠山との戦もあり近江に手を出す余裕はなかった三好家だが、今年になれば万全の体制を整えて大津に侵攻するのは間違いないだろう。
「三好が近江に介入してくるのは厄介だな」
「河内の畠山との火種も残っているはずだ。常識的には大津や坂本のある志賀郡を押さえた後で、来年あたりに若狭に攻めてくるのが順当であろうな。その場合、もし今年若狭で三好の介入なしに内乱が起きたらむしろ戦いやすくなるだろう。これは逆に我らにとって好都合と言えるわけだ」
「正吉郎の申す通りだ。ただ、さすがに三好相手では今の我々の戦力では敵うまい。三好の介入がない時こそが狙い目だな。その時は正吉郎、いや義兄殿、ぜひとも助力を頼む」
「わっはっは。そうだな、新九郎とは義兄弟だからな。義弟の頼みとあらば、義兄としては断る訳にはいかないな。任せておけ」
そう、俺は”義兄“なのだ。理由は単純明快で、俺の方が年上だからだ。長政はその大人びた雰囲気、口調、顔つきなど全てで俺よりも年上に見えてしまうが、実際はまだまだまだ高一の年齢なのだ。驚くほかない。
義兄が義弟の頼みを断るわけにはいかない。浅井には負けてもらったら困るからな。最大限尽力させてもらおう。
◇◇◇
正吉郎との会談を持ったが、彼の戦略眼はさすが義兄殿だと感じた。私は国境を接する朝倉のことは無論眼中にあったが、幕府や三好のことまでは考えていなかった。
やはり寺倉家と婚姻同盟を結んだのは正解だったようだな。
阿幸殿はまだ幼いから、跡継ぎができるのはまだ先のことではあるが、寺倉家と浅井家とを繋ぐ架け橋だ。この身を以って大事にせねばな。
私は正吉郎が俺に話したことを頭で反芻しながら、決意を新たに固めたのであった。
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