湯治と布団
「お仙、寺倉家は慣れましたか?」
「はい。とても良くしていただき、私には過ぎた環境だと思います」
「ふふ、榊原殿はどうですか?」
「こ、小平太様ですか?それは...」
お仙は顔を真っ赤に染める。名前を出すだけでこうなってしまう。バレバレだ。
「顔が真っ赤ですよ。隠さずとも良いのに」
「これは温泉が熱いからです」
手をヒラヒラと仰ぎ、熱いからという理由を見せつけようと、目を逸らしながら告げる。
「今はそういうことにしておきます。阿幸、新九郎様は如何でしたか?」
私はこれ以上追求するとのぼせてしまうと思い、話題を変えて横にいた阿幸に尋ねた。
「とても良い方だと感じました。新九郎様となら私はやっていけそうだと思っています」
阿幸はまだ11歳。私が嫁いだときは嫌で嫌で仕方がありませんでした。しかし、“武家の娘だから”とか”兄上のため“ということではなく、阿幸はこの結婚が嫌々ではないというのが伝わってきます。新九郎様は信用できる、と直感したのでしょう。
「それは良かったです。正吉郎様は阿幸を不幸にさせてしまうのではないか、とずっと悩んでおられました。そうはならなそうで一安心ですね」
「兄上様が、ですか? そこまでお気になされていたとは...」
阿幸は後ろめたそうな表情を浮かべました。阿幸は正吉郎様にとても懐いているのですが、幼くして父を亡くしたからか、正吉郎様が父親のような存在と考えているようなのです。そんな正吉郎様を悩ませていた、というのが心疚しそうな表情の原因なのでしょう。
「正吉郎様は阿幸に笑顔でいてもらいたいのです。貴方はその想いに応えられるよう、幸せになるのですよ」
「...はい!」
阿幸は少し考え込んだ後、元気よく返事をしました。もう大丈夫そうですね。
私はその後も雑談をしながらゆっくりと温泉を堪能しました。とても良い日を過ごすことができました。
◇◇◇
正吉郎は浅井長政との会談を終え、今年最初の仕事は終わった。近時丸は留守役として物生山城へと残してきたが、市は連れてきていた。年を越してからは寒さが日に日に増している。正吉郎は市と阿幸、そして市の侍女になったお仙を連れて須賀谷温泉へと訪れた。去年一年は目が回るほど忙しかった。その疲れを取るためでもあるが、市とお仙がより仲良くなれるよう“裸の付き合い”も目的としてあった。
須賀谷温泉は、史実でも市が愛したといわれる名湯だ。長政の居城・小谷城の麓にあり、多くの武将が湯治に訪れるのだという。
この時代では混浴が普通であるのだが、正吉郎にはやはり抵抗が大きかった。鎌刃城にいた時も、物生山城でも正吉郎は市と混浴したことはまだない。
市たちは気にせず正吉郎を誘うわけだが、正吉郎自身が許せなかったため、時間をずらして入ることにした。
(三人が一緒に温泉に入ったことで、距離が幾分縮まっているように見えるな。市はとても満足そうな顔をしていたし、物生山城にもしっかりと整備した温泉を作りたいものだ。どこかに温泉が湧いているところはないのだろうか。無ければ新しく領地になった伊吹山で取れる薬草で風呂を作るというのもアリだな)
正吉郎は同行していた光秀と慶次、蹊祐も連れて入った。
(風呂は薪代が高く普段は蒸し風呂ばかりだから、湯舟に浸かることができるのは久しぶりだったな)
毎日風呂に浸かっていた正吉郎にとって、毎日湯に浸かれないのはストレスになっていた。それにこの時代の温泉はそのほとんどが整備もろくにされていない。
(整備して庶民にも広めたいところだな。大きめの建物を建てて温泉施設を作り、安価の銭湯を城下に作るのも良いかもしれない。湧いているのはないにしても地下を掘れば湧き出てくる可能性は高いだろう)
正吉郎はそんなことを考えながら物生山城への帰路についたのであった。
◇◇◇
物生山城も鎌刃城と同じく山城だ。冬は城下の町よりも更に冷え込む。そうなると、夜は寒いことこの上ないのだ。
この冬の間命じておいた水鳥の布団が遂に完成した。赤子用に小さいサイズにまとめた布団は利蹊の沼上へと送った。俺と市用に作ったものも同じく100%水鳥の羽毛布団だ。命じた通り寸分違わず精巧に作られており、俺は素直に驚いた。これを作るのに一体どれだけの労力をかけたのであろう。その布団の高級さが見て取れる。
庶民にも広げたいところだ。庶民に対しては、鶏の羽毛を多く混ぜた布団で麻布を使っているものを提供すれば、手が届く値段まで落とせるはずだ。触り心地など様々な面で差が出てくるのは言うまでもないが、畳でさえ貴重だったこの時代の人間にとってそんな部分は気にならないだろう。むしろ布団は画期的とも言える発明だ。冬に凍えていた庶民には多少高く感じられても買うはずだ。その階級に分けて鶏の羽毛の割合を変えていき、それぞれ分けて販売するつもりだ。
鶏は羽毛だけでなく卵や鶏肉としても作物の肥料としても使える。卵や鶏肉に関しては早く普及させたいところである。今こそ現代の料理知識を使う時だろうな。卵や鶏肉を使った美味しい料理など無限にある。
敷布団は毛足の柔らかい害獣の毛皮で作ったこれをセットで売ろうと考えている。
俺は市に就寝まで部屋に入るのを止め、別室で過ごしていた。そして就寝の時間になり、俺は市の手首を掴み、布団が敷いてある寝室へと連れて行った。
「市、今日はこれを使ってみてくれ」
「これは何ですか?」
市は膝をつき、その触り心地を確かめるように、ポンポンと優しく叩いたあと俺に尋ねる。一度触っただけ、いや、見た瞬間に市が驚いた表情を見せたのは印象的だ。この表情を見るためにこうしてサプライズのように敷いておいたのだ。
夜着を被って硬い床に寝転ぶだけが常識のこの時代の人間にとって、布団は見るからに画期的で、とても暖かそうに見えることだろう。
「これは布団というものだ。市、夜は寒いだろう?毎年休息をとるはずの夜に凍えていたら心も休まらないだろう。この布団さえあれば暖かく寝ることができるというわけだ」
「布団、ですか?これを体に被って使うということでしょうか?」
「物は試しだ。一度入ってごらん」
「は、はい」
市は恐る恐るというように布団に入る。その途端、市は目を見開いて瞬時にこちらへと振り返った。
「や、柔らかいです!こんなもの、初めてです!」
「はは、そうだろう。布団は体の上からかけるんだ」
「はい!こうやって使うんですよね!」
俺の言葉に従って市は掛け布団に手をかけた。そして布団を頭まで覆うように被った。
「わわっ。これはとても暖かくございますね。これなら夜も全く寒くないと思います!」
やがて少しずつ苦しくなってきたようで、ぷはぁ!と勢いよく顔を出した。
「わははははは!市よ、布団は顔まで被るものではないぞ。それでは息苦しいであろう!」
俺は大笑いしてしまった。
市は慌てて布団から顔を出したその顔は真っ赤に染まっている。
「むう、それぐらい分かっていますよ!」
市は布団から顔を覗かせて、頰を膨らませながらそっぽを向いてしまった。市もやはり布団のふかふかな魔力には勝てなかったか。未踏の領域だからな、無理もない。
「すまんすまん。それで、布団は気に入ったか!」
「はい!」
市は屈託のない笑顔を浮かべ、迷うことなく返事をした。よかった、満足してもらえたようだ。近時丸や志波姫にもあげないとな。
布団のおかげで市はいつもより早く寝てしまい、お互い寒さで起きてしまうことは一度もなく、清々しい朝を迎えたのだった。
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