忌み子

榊原亀丸は正吉郎と上洛に同行していたが、物生山城下に充てられた屋敷に仙を留守居として任せていた。


帰ってきて半月ほど一緒に暮らしていたものの、仙の顔には様々な感情が見え隠れしていた。女子にも色々なことがあるのだろう、と思考を放棄し、大の字になって寛いでいた。すると、仙が意を決したように何やら剣呑な表情を浮かべながら側に正座した。


「亀丸様、お話があります」


その声も至って真面目で、中には恐怖に似た感情が感じられた。亀丸は目を細める。


「どうした」


亀丸は仙と向き合った。そして一回り小さな手を握ると、微かに震えていた。


「これ以上ご厄介になるのは心苦しく、お暇させて頂きたいのです」


「お仙、お主……」


「亀丸が仰ったことは私も理解しております。こんな私を受け入れてくださった、これ以上その好意に甘えることがわたしにはどうしてもできないのです!どうか、私のためを思って、何卒お願い致します」


「それがお主の本心なのか?」


「……はい」


変な間があった。それに、間違いなくそうは思っていない、それが証拠として顔に出ていた。


「ふん、そのような申し出、受けられぬな。何よりお主は自分自身の気持ちに嘘をついておる。何が不満なのだ」


「ふ、不満など畏れ多い!わたしにはむしろ恵まれすぎていて……以前の生活の方が私にはお似合……」


その言葉が最後まで発されることはなかった。


「二度とそのようなことを申すな!!!あのような仕打ち、何があろうと許されるはずがなかろう!お仙よ、お主にも幸せになる資格があるのだ」


「……寺倉掃部助様も私のような忌み子を受け入れるわけがありません」


「正吉郎様が望むは天下泰平、そして民が皆笑顔であることだ!それには当然お主も含まれておる!お主を差別などするはずがなかろう。嘘だと信じぬのであれば、明日正吉郎様に直接聞こうではないか」


「私のような下賎な者は、お殿様に謁見など許されるはずもございません」


「そんなことはない。正吉郎様はどんな者にも分け隔てなく接する奇特なお方だ。何があろうとお主を下賎な者として、そして忌み子として見ることはない」


「しかし……」


「ええい、つべこべ言わずついて来ぬか!今からでも行く、何を言おうと絶対に離さぬからな!」


亀丸はムキになっていたのかもしれない。一向に心を開かない仙に痺れを切らしてしまったのだ。


仙の抵抗があったが、男と女子の差、力は亀丸の方が断然上であった。軽くあしらうように抵抗を振り切りながら、亀丸は物生山城へと向かったのだった。




◇◇◇



俺は亀丸の急な謁見の希望に、意図を計りかねて一瞬困惑していた。仕官希望者もそうだが、光秀のチェックを通った者ならば誰でもここまで通している。俺はすぐに受け入れた。


今日は昼過ぎから評定が行われる予定があり、新たに評定衆となった恵瓊や正信、慶次らを含めた重臣たちがここ物生山城へと集まっていた。まだ評定まで時間があるということもあり、俺は亀丸の申し出を快諾した。


俺の前に跪いた亀丸の顔は真剣そのものであった。意思を強く固めており、何も譲るつもりはないと言いたげな様子であった。俺に対して何か取引でもしようというのだろうか?


だが、その傍らに見ない顔があった。女子のようだが、跪き顔は俯いており、その表情は全く窺い知れない。


「そのように固くなるでない。亀丸、お主は私に何か言いたいことがあるのだろう、申してみよ」


「はっ。私の横にいる者はお仙と申しまして、私が仕官の旅の途中で出会った者でございます。この者は双子の片割れ、俗に言う忌み子と呼ばれる存在にて、赤子の時に寺に捨てられて育った娘にございます。あまりにも自分のことを卑下し、あまつさえお暇を頂きたいとまで申すものですから、こうして正吉郎様のお言葉をいただき、納得してもらおうと足を運んだ次第にございます。正吉郎様を使うような真似をして、誠に申し訳ございませぬ」


一瞬空気がピリッとした感じがしたが、俺は重臣らを鋭い目で制した。


俺は上座から下り、お仙の前で膝をついた。周りは驚くような目つきをしていたが、俺はそんなことを全く気に止めることなく、俯くお仙をしっかりと見つめる。


「面を上げよ、お仙。お主は自分が忌み子だと、その運命を受け入れておるとでも申すのか」


お仙は顔を上げたが、俺の言葉に涙を滲ませながら怯えるように俺の目を見ていた。


なるほど、これは重症だ。自分のことを忌み子である、その運命を“仕方のないもの”だと信じてやまない。それがおかしいということを疑おうともしていない。


「双子が不吉だと? 忌み子だと? 気に食わんな。私はそんなものはただの世迷言、迷信だと思っている。そのようなことが平然とまかり通るこの世こそ、ただ不幸を呼ぶだけの、それこそ“不吉”なことではないか!そうは思わぬか?十兵衛よ」


急に振られた光秀は一瞬動揺に目の色を染めながらも、すぐに俺の言葉に返す。


「もちろんにございます。私も以前からそう感じておりました」


「第一、子供が授からずに悩んでいる夫婦もおる中で、子供を授かるのは天からの宝物、子宝と言うではないか。それを同時に二人も授かれば大喜びして感謝こそすれ、忌み嫌うなどあってはならぬ。かの明の国でも双子は吉兆、慶事だとして大変喜ばれると聞くぞ。皆の者、そうは思わぬか?」


俺は光秀の言葉に小さく頷きながら、自分の考えを声高に告げた。


俺の言葉に、“双子は忌み子”そんな固定観念をその身に宿していた重臣たちも徐々に確かにそうだ、という風に賛同していく。


「正吉郎様のおっしゃるとおりでございますな。この世の中には理不尽な迷信や風習がまかり通って、辛い目に遭っている者が大勢いるのですな」


「ああ、それには五郎左衛門、お主も含まれておる。お主も“目が見えない”ただそれだけのことで越前を放免されたのだろう?俺はそれがどうしても許せぬ。許すわけにはいかぬのだ。他の者がそれを肯定しても、俺がそれを肯定するわけにはいかぬのだ」


俺は絶対に変えるつもりはない、そんな確固たる意志と共に自らの拳を強く握りしめながら、ジッとお仙の目を見つめ続けた。


「お主の両親もおそらく古くからの迷信に惑わされて已むに已まれず、胸の張り裂ける思いで可愛い赤子のお主を捨てたのであろうな。この世に赤子の誕生を喜ばぬ者はいない。そしてお主のような“忌み子”と呼ばれる存在であっても、平等に愛を受ける権利があるのだ。全てはそれを認めるこの世が悪い。俺はそんな世を絶対に変えてみせる。だからお仙よ、自分を卑下する必要はない。これからも亀丸を支えてくれ。よろしく頼む」


「そ、そんな。私には勿体なきお言葉で、恐悦至極に思います」


そう言うお仙の頰には大粒の涙が次々と流れ出していた。俺はそんなお仙に優しく微笑んだ後、立って上座に上り、皆を見渡しながら告げる。


「私は『日ノ本の民を豊かにし笑顔の溢れる世を作るべし』という志を掲げた。その実現のためにもこれからは寺倉領内だけでも根拠のない迷信や悪習を失くし、それによる差別を失くしていきたい」


この時代では強く根付いている考えだとしても、現代に双子が忌み子だという考えは跡形もなく残っていない。


必ず人の考えは変えられるのだ。俺は一拍置いた後続けた。


「人の心の話ゆえ、一朝一夕には無理ではあるが、まずは巖應。双子や河原者などに対する謂れのない差別を禁ずるとの法度を作り、領内にあまねく知らしめよ。それだけでは駄目だな。恵瓊、坊主の説法で領民に差別の禁止を地道に教え諭していくように、お前から信頼のおける宗派の寺に働きかけよ。ちょうど良い。恵瓊を寺社奉行に任ずる」


「御意にございます」


「まずは『隗より始めよ』、率先垂範だな。お仙をお市の侍女に召し抱えようと思うが、どうだ、市よ」


「はい。私も賛成でございます。お仙、これからよろしくお願いしますね」


「は、はい」


お仙は言われるがまま、という感じで気が抜けたように返事をした。


「正吉郎様、なんと御礼を申し上げれば良いのか……。誠にかたじけなく存じます」


亀丸は深く平伏した。それに続いてお仙も真似をするように平伏した。


「気にするな。これから評定だが、平八郎と亀丸、お主らも残れ」


「はっ」


お仙はもう一度深く頭を下げた後、市と共に退出していったのだった。

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