竹中家の姫

10月下旬になり、近時丸と竹中家の志波姫は初対面を迎えた。今回はあくまで顔合わせという体である。というのも、この時代は元服を済ませてから婚儀を執り行うのが常識であった。無理に元服前に婚儀を済ます必要はないし、両家の同盟の証として二人は対面することとなった。


近時丸は不安げな表情を浮かべていたが、いざ対面するとすぐに志波姫と打ち解けることができたようで、俺は胸を撫で下ろした。二人の反りが合わなかったらどうしようか、とビクビクしていたのは内緒の話だ。戦国の世とはいえ、恋愛の自由もなく本人の預かり知らぬ所で強制的に婚姻を取り決めてしまった。そこに後ろめたさがないわけではない。出来る限り幸せになってほしいのだ。


その翌日、俺は蹊祐に命じて半兵衛を呼び出した。今後に向けて大事な話がある、ということを伝えさせると、すぐに俺の元へとやってきた。


「正吉郎、大事な話とはなんだ?」


半兵衛は俺の目をジッと見つめ、俺が呼んだ意図を直球に尋ねた。


半兵衛の父・竹中遠江守重元は今年になって隠居し、半兵衛に家督を譲った。病にかかっており、今は休養しているのだという。つまり、この半兵衛が竹中家の当主、全ての権限を持っているというわけだ。


「ああ、その話なのだが、ある筋から一色義龍が病に伏しており、先は長くないと聞いたのだが、これは真の話か?」


一色義龍は史実では1561年に死ぬ。現時点でそれが現実になりそうなのか確かめる。


「ああ、そのようだな。治部大輔様の病状は日に日に悪化しており、もう先は長くないと安藤殿から聞いた」


安藤とは安藤守就のことか。半兵衛に娘が嫁いでおり、義理の父親である。史実通り、義龍は先が長くないようだ。後世ではハンセン病だったと言われているが、本当のところはどうなのだろうか。


「やはりか。嫡男の龍興は半兵衛から見てどうだ」


龍興といえば美濃の一色家を滅ぼした暗愚な当主として有名だ。実際の人物像はどうなのか、俺は半兵衛に尋ねた。


「言いにくいことではあるが、酒と女に溺れるばかりで、猜疑心と虚栄心が強く、極めて暗愚だと評価せざるを得ないな。あのままだと美濃はどうなるか見当もつかぬ」


半兵衛は大きくため息をつく。暗愚な当主が継いだ後の大名家がどうなるかは、俺が良く知っている。一色も徐々に衰退の一途を辿ることだろう。それにしても、半兵衛の話だと絵に描いたように暗愚な嫡男のようだな。


「おそらく来年には龍興に当主が変わることになるだろうな」


「私もそう思っている」


「そうなると、あくまで推測だが竹中家を含め西美濃勢はマズいことになるかもしれないな。義龍が死んだ後は、中美濃・東美濃の側近による傀儡政治となるだろう。一色家と同盟関係だった六角を滅ぼした、その大きな一因である寺倉と婚姻同盟を結んだ竹中は、龍興らに目の敵にされる可能性が非常に高いと考えている」


将軍足利義輝を除き、寺倉が六角滅亡に関与していることは殆どの大名が知っているところだ。そんな寺倉と相互不可侵・相互防衛の婚姻同盟を結んでいる竹中家と、そしてその竹中家と婚姻関係のある安藤家は、まず間違いなく敵視されることになるだろう。


「やはりか。実は私も治部大輔様が亡くなった後の西美濃は目の敵にされてもなんらおかしくはない、そう考えていた」


半兵衛も同じことを考えていたようだ。史実でもそうだが、斎藤飛騨守を初めとした側近による傀儡政治が行われる。それに従って西美濃勢は冷遇されることになるのだ。


「尾張の織田家の状況次第では、早ければ再来年にも龍興が家中に武功を誇示しようと西美濃か北近江を攻めてくる可能性が高いと考えている。そこで、だ。寺倉家と竹中家の間に相互不可侵・相互防衛の他に相互の軍事支援を加えたいと考えている。もちろん秘密裏にだが、龍興が攻め込んでくることを考えると、相互の軍事支援は必ず必要になってくるに違いない。半兵衛、如何だろうか?」


俺が半兵衛に提案したのは“相互軍事支援”だ。秘密裏に結ぶことで、不測の事態において軍事協力ができるようになる。龍興は現時点でも竹中家をはじめとした西美濃勢に対して良い印象はなく、むしろ排除したいと考えていることだろう。


そして当主としての力も見せる必要がある。その時にターゲットになるのは西美濃と北近江になるだろう。来年は織田が森部の戦いで敗れ、織田の攻勢は一旦止まるだろう。再来年の前半も敗戦のダメージによってしばらくは織田も動くことはできないはずだ。龍興はこれを好機と見てこちらに刃を向けてくる可能性は大いにあるのだ。


「ふむ。正吉郎の言うことは道理であるな。よし、分かった。その提案、当家は乗らせていただこう」


半兵衛は一度考え込んだ後、大きく頷いて俺の提案に賛意を示した。


「半兵衛、これから俺とお前は義兄弟だ。今後とも末長くよろしく頼むぞ!」


俺は真面目な表情を一転させ、満面の笑みで告げた。固い話はここで終わりだ。


「ああ、こちらこそよろしく頼む」


その笑みに応えるように半兵衛は顔を綻ばせたのだった。



◇◇◇



初めて正吉郎の治める領地に来たが、やはり善政を敷き、民から愛されているとの評判は噂通りであったようだな。


途中の鎌刃辺りの田んぼで干されていた稲は垂井よりも明らかに多く、驚くほどの豊作だったように見えた。


我が垂井のすぐ隣なのにこの違いは一体どういうことなのだろうか? 正吉郎に尋ねれば、その理由を教えてくれるだろうか。


松原湊の賑わいも凄いな。近淡海の北の水運を担う拠点となっていて、北国街道や東山道と行き交う人と物資が町を賑わわせて大層繁盛しているようだ。海のない我が竹中領にとっては羨ましい限りだ。この物生山城にしても元は佐和山城の支城だったはずだが、今や逆に佐和山城を支城とするほどの堅牢な城塞となっており、私でも兵糧攻め以外では策が思いつかず、容易には落とせぬ城だと感じた。


妹と近時丸殿の顔合わせだけでなく、この来訪には主目的の一つである正吉郎との会談も兼ねていた。彼の視野の広さと情勢を読む力は凄くて脱帽だ。まるで未来に起こることを知っているかのような的確な予測で、私が異論を挟む余地は全くなかった。相互軍事支援の同盟はむしろ一色に直接対する竹中家にとっては願ったり叶ったりで、正吉郎が言わなければ、こちらから提案したかったほどだ。


妹の志波もまだ10歳と幼く、まだ先になるとはいえ若くして未来の運命を決めてしまった。それに躊躇しなかったわけではない。だが、11歳の近時丸殿とも打ち解けることができたようで本当に良かった。寺倉家ならばきっと大事にしてもらえるであろうし、志波には竹中家と寺倉家を結ぶ絆として、いや兄として幸せになってほしいものだ。


正吉郎は北の浅井家とも婚姻同盟を結んだそうだから、これで竹中家にとっても西の心配は一切なくなり、一色との対応に専念できるのは大きい。垂井に戻ったら早速今回の件を義父殿に伝えて、一色との対応について西美濃勢をまとめて結束する算段を話し合わねばならないだろう。


正吉郎には見習うべき点は多いが、同い年なのだから、竹中家当主として私も負けているわけにはいかない。

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