冨田勢源
上洛を終え物生山城に帰還してから、相も変わらず忙しい日々を過ごしていた。10月の下旬には竹中家との婚姻を控えており、その準備に追われているというわけだ。
織田家との婚姻では婚礼まで時間に余裕があったものの、今回は野良田での戦とその戦後処理に加え上洛までしたため、必然的に婚礼に気を向ける時間がなかったのだ。
俺も市と婚礼を挙げた時に感じたが、戦国時代の婚礼はとにかく長い。現代のようにとても一日で消化できるものではないのだ。
そんな色々な準備に追われている中、物生山城に来客があった。
「正吉郎様、謁見を望む者がいるようですが、如何なされますか?」
「うん?仕官希望者か?」
上洛から戻ってきてから、仕官を希望する者が訪ねてくることが更に増えたように思える。ただでさえ忙しいのに!とイライラしていたことは否定できない。
「いえ、それがどうやら違うようで……」
光秀の口調がなんだか歯切れが悪いように思える。俺は訝しむような表情を浮かべながら、次の言葉を待った。
「朝倉から逐電し、北近江まで徒歩で参られたようなのですが、どうにも様子がおかしいように感じられまして……」
もしやスパイだということか?だとしても光秀の言葉からはあからさまに怪しく思える人間をわざわざ送り込むとは思えない。
「どういうことだ?」
俺は直球に聞き返す。すると光秀は意を決したようで目を見開きながら告げた。
「どうやら目が見えぬようなのでございます」
ーー私が越前にいた時はそのようなことはなかったのだが、どうされたのだ、勢源殿は。
目を逸らしながらごく小さな声で言葉を発したが、それは俺の耳に確かに届いていた。目が見えない?そんな人間が俺の元を訪ねたということは意図があるということなのだろう。俺は身体的な障害を持っている程度で差別はしない。
「光秀、お主はその者と面識があるのだな?もうよい、まずはその者を通すのだ」
一度小さく息を吐いた後、俺は手をヒラヒラさせて連れてくるよう命じた。
「御意」
側に控えていた蹊祐は俺の言葉にすぐに返事をした後、早足で部屋を出て行った。
「それで、光秀。どういうことか話してもらおうか」
「参られたのは冨田五郎左衛門殿という剣を極めたお方にございます。今は出家なさって勢源と名乗られているようで、以前は健康で何も身体に不調など見られなかったのですが……」
冨田勢源。あの佐々木小次郎の師匠として高名な、言わずと知れた剣聖である。そんな人間が北近江まで歩いて来たという。俺は驚きを隠せない。勢源が身につけた中条流兵法は、中条長秀を開祖とする小太刀を使う剣術として名を馳せた流派だ。後世でもその名は有名であり、正真正銘の“剣聖”である。
「今日会ったところ目が見えなくなっていた、と。そういうことか」
突然の変貌ぶりに困惑したのだろう。医学が進歩していないのだから、原因もよくわからずなったことに戸惑うのも致し方ないことだ。ここで光秀を責めるのもおかしい話だ。
「……はい」
「お主らしくもない。目が見えぬとも心はあるだろう。それだけで十分ではないのか?少なくとも俺は目が見えぬ程度で見る目を変えるほど愚かではない。お主もわかっているだろう?」
「それはもちろんにございます!」
慌てたように俺の言葉に同意する。これから会うのにそんな動揺した様子を勢源に見せては失礼だろう、そう言いたかったがすんでのところで口を噤んだ。光秀もよく分かっているはずだろうしな。
「うむ、なら良いのだ。……うん?」
ふと後ろに目をやると、そこには涙を流す二人の男がいた。一人は蹊祐で、もう一人は剃髪しているものの髭は伸ばしており、巖應よりも少しだけ老けた印象の男だった。蹊祐と一緒にいるのを見ると、この男が冨田勢源なのだろう。
「この勢源、心底感服いたしました。まさか掃部助様がそこまで高潔な精神をお持ちだとは……!うう……」
その勢源はいきなり膝をついたと思うと号泣し出してしまった。
「お、おい。どうしたのだ?!」
いい年したおっさんが、と思う気持ちを抑え、泣きながら丸くなっている勢源の声をかけた。
しばらく待つと勢源は落ち着いたようで、ようやく俺と目を合わせることができた。いや、実際は合っていないというのが正しいのだろう。勢源の目は白く染まっていたのだ。これを見て盲目というのを視認することとなり、俺は以前は見えていたという光秀の言葉を思い出し、少し俯いて歯を食いしばった。
そして自分の姿を恥ずかしく思ったのか、ワザとらしく咳払いをした後、お見苦しい姿をお見せしました、と俺に頭を垂れた後、語るように話し出した。
「恐れながら、ご存知の通り眼病を患い目が不自由で、目の前に掃部助様の姿があるというのを辛うじて確認できる程度でございます。私は数年前から眼病にかかり、このように目が不自由になってしまいました。その後弟の治部左衛門に家督を譲り朝倉から放逐された後、誰も目の不自由な私を召抱えていただける場所はなく……。いくら剣の腕に富んでいると言っても、目が見えぬならば意味がない、うちには病人を養う余裕はない、と門前払いされるのが殆どでございました。しかし掃部助様はそんな私のことを差別することなく、肯定してくださいました。そのことに私は深く感銘を受けたのでございます。どうか、私を掃部助様の剣の師としてお側に置いて頂きたく存じます。どうか、考えては頂けぬでしょうか」
やはりこの時代も障害を持った人間には生きにくい社会だったわけか。こういった社会的弱者に対することまで考えられるようにならなければならないな。
「むしろ私の方がお願いしたいくらいだ。勢源殿、私の剣術指南役を引き受けて欲しい。よろしく頼む」
俺は深く頭を下げて頼み込んだ。こちらは教えてもらう側。剣聖に教えてもらう機会など滅多にない、と俺は喜んでこの申し出を受け入れることにした。
「か、掃部助様、頭をお上げくだされ!私の剣術を全てお譲り致します。これからよろしくお願い致しまする」
現代人としての感覚がまだまだ根強く残っている俺は、かなり年上の人間に対し頭を下げずにはいられなかった。大名家の長が軽々しく頭を下げてはいけない、それは口酸っぱく言われていたが、今回ばかりはそうはいかない。心を込めて俺は勢源へと頼み込んだ。
◇◇◇
ありゃ、化けもんだな。目が見えないはずなのに、こっちの一挙一動をすべて見透かされているような気がするな。俺も少しは槍の腕に覚えがあったのだが、全然勝てる気がしない。運が良くて相討ちが精一杯だな。これじゃあ、正吉郎様に指一本も触れさせないと大見得切った誓いが果たせぬな。
「そちらの御仁、かなりの腕前と存じまするが、そんなに気を漏らしてはいけませぬぞ。それでは相手に気配を察知されて、次の動きを読まれてしまいまする。気は内に秘めて外に漏らしてはなりませぬよ。ふむ、御仁は得物は何をお使いかな?」
いつの間にか冨田殿が俺を見て苦言を申された。まだまだ修行が足りないようだな。
「某は滝川慶次郎利益と申しまする。某は槍を使うておりまする」
「そうであるか。拙者の中条流は小太刀の流派でござるが、槍も少しは嗜んでおる故、もしよろしければ掃部助様と共に少し手ほどきをしてしんぜよう」
「慶次郎、良かったではないか。ぜひとも勢源殿にご教授してもらえ。勢源殿、ぜひとも頼む」
「はい、正吉郎様。某は正吉郎様には指一本も触れさせませぬとお誓いしておきながら、冨田殿を見てまるで歯が立たぬと自分の未熟さを知り、恥じ入っていたところでありまする。冨田殿。こちらこそ、未熟者ではありまするが、どうかご指南を賜りたくよろしくお願いいたしまする」
俺は気づかれないように歯を食いしばる。自らの未熟さに対して、だ。気を出し過ぎる癖も直さねば、正吉郎様の護衛など到底務まらぬ。
「かしこまりました。滝川殿、どうか頭をお上げくだされ。掃部助様も滝川殿も拙者のことはどうか五郎左衛門とお呼びくだされ」
「そうか、五郎左衛門も私のことは正吉郎と呼んでもらって構わぬぞ」
「五郎左衛門殿、かたじけなく存じまする。某もどうか慶次郎と呼び捨ててくだされ」
俺は勢源殿の老練した技の数々を教わる事になった。これからが楽しみだな。
◇◇◇
こうして、剣聖・冨田五郎左衛門入道勢源が俺の剣術指南役、そして将来の「寺倉十六将星」の一人として寺倉家の将に加わったのであった。
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