滝川慶次郎利益

沼上の町では利蹊の屋敷で一泊した。昨晩は随分と盛り上がっていたようだが、俺はその輪に入ることはなくすぐに眠りについてしまった。そのお陰なのか、今朝の目覚めは気持ち良く、普段よりも早く起きてしまった。朝食を摂った後、上洛の兵を連れて物生山城への帰路へとつく予定になっている。


日が昇ったばかりのまだ薄暗い地平線を見つめながら、俺は幼い頃からの習慣となっている刀の素振りをしていた。


そんな時、横からジッと見つめるような視線を感じた。こんな早朝に誰だ。そう思い気付かれないように盗み見ると、そこには滝川慶次郎利益が物陰から俺を値踏みするような目でこちらを凝視していた。


昨日も思ったが、普通の人間を見る目ではない。俺に何か用があるのだろうか。だが物陰から見ているということは俺にバレたくない事情があるのだろう。一心不乱。見られていることを気にしていては稽古にならない。


俺はその目線を極力無視し、素振りを続けた。


辺りがすっかり明るくなった時、慶次がいた物陰を一瞥したが、そこにはもう誰もいなかった。やはり俺を待っていた訳ではないのか。でもなんで俺のことをジッと見つめていたんだ?謎が深まるばかりで、俺は頭を抱えたまま朝食を摂ったのだった。



◇◇◇



「世話になったな」


俺は出立の準備を整え、利蹊に礼を言った。直臣とはいえ、この沼上を守護する代官。その自覚が一層増したように見える。この調子ならば安心して東の守りを任せることができそうだ。


「とんでもございませぬ。またいつでもいらしてくだされ。あ、でも来られるときには事前に申して頂きませんと、大変な事になるでしょうな」


当然沼上の住人は大騒ぎすることだろう。土下座で出迎えられるのはもう勘弁だ。


俺たちはその光景を想像し、互いに笑い合った。これこそが主君と家臣の理想の関係、そうしみじみと感じる。俺は気分爽快なまま沼上を出立できるはずだった。


ただ一つ、やはり気になっていたのが滝川慶次だった。あの目つきがどうしても頭から離れなかったのだ。


慶次の姿を目に入れておこうと俺を見送りに来た利家の郎党らを見渡すが、それらしき人影は見当たらない。


怪訝に思っていると、利家の後ろから大きな荷物を持って駆けてくる影があった。


探していたその人、滝川慶次だ。


その姿に目を釘付けにしていた俺を見て、利蹊も振り返る。その瞬間露骨に呆れたような、それでいて嫌な表情をしていたのは見なかった事にした。


「慶次!掃部助様のお見送りもせずにお前はどこに行っていたんだ。恥を知れ!」


利蹊は飛びかかるように服を掴み、大声で捲したてる。だが、慶次の表情は真面目そのものだった。いつもとは違う慶次の様子に利蹊は目を細める。


そして次の瞬間利蹊を振り払うようにして俺の前へと進み出ると、勢いよく平伏した。身体に力が入りまくっている。緊張しているのだろうか。


「某は滝川慶次郎利益と申します!掃部助様の将として、いや、人としての器の大きさに、この慶次郎も惚れましてございまする。どうか某を掃部助様の直臣にお取り立てくださいますよう、伏してお願い申し上げまする!」


ん?家臣になりたい、そう言ったか?俺は慶次と話したことなど一度もない。今この瞬間が初対面と言ってもいい。そんな慶次に何をしたというのだろうか。利蹊が突っ込もうとするのを止めるように続けた。


「某、実は今朝の掃部助様の稽古を陰から拝見しておりました」


うん、知ってる。バレていないと思っていたのか。


「おい、慶次郎!そんな無礼なことをしたと申すか!」


無礼なところはお前も変わらぬだろう。俺はそう感じながら目で制止する。俺は慶次の純粋な、そして強い意志を持った目つきにいつの間にか魅入っていた。


「某は掃部助様の武勇を又左衛門様からお聞きしておりました。そして又左衛門様が掃部助様にそこまで心奪われた理由は何なのか、かねてから考えていたのです。昨日掃部助様の策略に今朝の稽古のように決して努力を怠らないそのお姿、そして幸姫様を気遣ったようなその懐の深さに惚れ申しました。どうか直臣としてお側に置いて頂きたく存じます」


慶次は再び頭を深く下げた。そして横にいた利蹊は慶次の頭を叩いた後、そっと肩に手を置く。


「お前というやつは...本気なのか?」


「はい。某はすでに決意を固め申しております。私は又左衛門様の家臣でありましたが、これより掃部助様の元で仕えることをお許しいただきたく存じます」


「....はぁ。そうか。お前がそこまで言うのならばもう止めぬ」


利家は大きくため息をついた後、慶次に小声で耳打ちした。


ーーお主を縛っていた父親の借金だが、お主にはもう十分なほど働いたとして放免しよう。そのかわり、命をかけて掃部助様を支えるのだ、わかったな?


俺は何と言っていたのかは聞こえなかったが、慶次はその言葉によって一層強くなった意志が目に込もったように見えた。


「ありがとうございます。この慶次、命をかけて掃部助様の力になりまする」


「その言葉は掃部助様に直接言え。だがお前が男として掃部助様に惚れいった気持ち、この耳でよく聞かせてもらった。自由にやってみるがよい」


利蹊は慶次に言葉を投げかけた後、振り向いて俺に告げる。


「慶次郎は見て分かりますとおり傾奇者で頑固者でございます。某が命じても気に食わなければ命にもなかなか従わず、ほとほと手を焼いていた次第でございまする。そのような慶次郎が掃部助様の直臣になりたいと申すのですから、よほど掃部助様が気に入ってお仕えしたいと思ったのでございましょう。慶次郎は傾奇者ですが、こう見えましても槍の腕前に関しては、悔しいですが『槍の又左』と呼ばれる某を上回っておりますので、槍働きでは必ずや掃部助様のお役に立てるかと存じまする。ご迷惑でないようでしたら、どうか慶次郎をお取り立て願いまする」


利蹊は深く頭を垂れた。利蹊が負けを認めるほどの槍の腕前を持つとは、ただ「傾奇者」という言葉で収めるわけにはいかないな。


「なんだ、扱いに困っていた厄介者をこれ幸いとばかりに私に押し付けようという魂胆か?まるで三郎殿が又左衞門を私に預けたのと同じようだな」


俺は利蹊の言葉に一瞬鋭い目つきを向けたあと、俺は意地悪に笑みを浮かべ、そんなことを口走った。


利蹊はその目を見て額から一滴の大粒な汗を頰を伝わせる。とんでも無いことを言ってしまった、とでも思っていそうな表情だ。


「め、滅相もございませぬ!」


だが、その言葉は効果覿面だったようで、予想以上の慌てようで大粒の汗をその顔に表す。あ、おふざけが過ぎたか?


「わっはっは、まぁよい。分かった。それほどまでに言うのなら、慶次郎。そなたを家臣に召し抱えよう。馬廻りに任ずるゆえ、私の護衛をしっかりと頼むぞ 」


俺は一瞬暗くなりかけた雰囲気を笑い飛ばした。槍働きがそこまで期待できるのならば、馬廻りを任せるのが一番適任かも知れない。俺は剣の稽古は欠かさずやっているが、実戦となれば話は別だ。実戦で練習通りの力を出せる可能性は0パーセントだと自覚している。だからこそ信頼でき、かつ強力な味方を側に置いておきたいのだ。もう一介の国人領主ではなく、近江の三家とまで呼ばれるまでなった。自分の立場はよく理解しているつもりだ。


「ありがたき幸せにございまする! この滝川慶次郎利益。掃部助様の馬廻りとして如何なる敵であろうとも、この命に代えても掃部助様には指一本も触れさせませぬゆえ、どうかご安心召されよ!」


うん、心強すぎて逆に怖いくらいだ。だが戦においてはそれぐらいが丁度いいのだろう。


「ところで、滝川家の慶次郎がなぜ前田家の又左衞門の家臣になっているのだ? 織田家重臣の滝川彦右衛門殿(一益)に仕えるのが普通であろう?」


そう、滝川慶次はその名の通り滝川家の人間だ。史実では、利家の兄・利久に慶次が跡継ぎとして養子に入ったというが、滝川姓を名乗ってる通り、そうでもないように思える。


「実は、ここでは申し上げにくい事情がありまして…… 改めて別の機会に申し上げさせていただきたく存じます」


「そうか。ではそうするとしよう。それと二人ともこれからは私のことは正吉郎と呼ぶがよい 」


「そ、そんな畏れ多い!」


二人とも恐縮しきってしまったようだ。いい感じに空気が弛緩したと思ったが、俺の言葉で次は体を固くさせてしまったか。


「お主らは俺の家臣となるのだろう?心の距離も縮まるはずだ。気にせず呼べばよい」


「で、では。正吉郎様、これからよろしくお願い致します」


利蹊がペコリと頭を下げ、それに習うように慶次も続いた。


かくして「寺倉十六将星」の前田又左衞門利蹊と滝川慶次郎利益が新たに家臣に加わることになったのだった。



◇◇◇


物生山城への道中、俺は改めて慶次へと尋ねた。


「なあ、慶次郎。先ほど話せなかった事情とやらだが、今なら話せるのではないか?」


「はい。実は身内の恥になる話でありましたので、先ほどは又左衞門様の他の家臣もおりましたので、申し上げるのは憚られました」


「そうか、身内の恥か。ならば仕方ないな」


「申し訳ございませぬ」


慶次は一度周りを見渡した後、近くに聞こえる程度の音量で話し始めた。


「実は某の父・新介(益氏)は彦右衛門様(一益)と親しく、若い頃から博打に親しんでおり、博打に負けて借金を作っては一族から金を借りて返しておったのですが、とうとう一族からも借りられなくなり、知己だった前田縫殿助様(利春)から金を借りておったのですが、先日、縫殿助様は「桶狭間の戦い」でお亡くなりになり、嫡男の蔵人様が後を継がれましてございまする。その際に、先代の縫殿助様が貸していた父・新介の借金の返済が滞っていたのを督促され、恥ずかしながら父は金を返す余裕もなく、やむを得ず槍の腕が立つと噂されていた嫡男の某を借金の返済の代わりに前田家の家臣に召し出した次第にございまする」


なるほど、複雑な事情があるというわけか。だが父親の借金を肩代わりする、というのがこの時代にもあるのだな。肩代わりというよりも犠牲になった、という方が正しいだろうか。


後に話を聞くと、滝川一益は若い頃、博打が原因で甲賀の滝川家を放逐されて浪人となった末に織田家に仕官したのだといい、その血を継ぐ慶次の父・益氏も博打に走っていたのだという。


「酷い話だな。確かに他人の前では話すのは憚られるのも無理はないな」


「借金のカタに息子を売りまするか…… まったく世も末でございまするな。ですが、拙僧も寺の再建費用のために売られたようなものですから、まぁ滝川殿とは似た者同士ですな」


近くにいた恵瓊が呆れたように息を吐いた。例えは悪いが自分と似た境遇だと彼なりに慶次を慰めようとしたようだ。


「恵瓊殿、お気遣いいただき、誠にかたじけない。どうか某のことは慶次郎と呼んでくだされ」


「いやいや、かたじけなく存じまする。拙僧の方こそ若輩者ですので、恵瓊と呼び捨てて構いませぬよ、慶次郎殿」


傾奇者と毒舌坊主か、まぁ馬が合うのかもしれないな。その恵瓊に俺は話を振る。


「恵瓊、あまり人聞きの悪いことを申すな。とはいえ、寺の再建費用の代わりに恵瓊を求めたのは間違ってはおらぬがな。わっはっは」


「申し訳ございませぬ、掃部助様。昔から安国寺の和尚にも口が悪いのを治すように厳しく言われておったのですが、気が緩むとつい……、以後気をつけますので、お許し願いまする」


「よい、よい。今は身内ばかりだから気にすることはない。さすがに他家の者の前では気をつけてほしいが、恵瓊も気が緩むことはなかろう? ところで恵瓊よ。お主は安芸武田氏の出ながら出家して、東福寺で修行しておったのは、いずれは高僧として安芸の臨済宗の寺の住職に就くつもりだったのではないか? なぜ寺倉家に仕えるつもりになったのだ? 寺倉が幕府の御部屋衆だからという理由だけではあるまいな?」


「はっはっは。さすがは掃部助様。バレておったようですな。実は我が安芸武田家が毛利に滅ぼされた際に幼い拙僧は逃がされまして、安国寺で出家して以来、毎日毎日、経を唱えて、座禅をして、写経をして、という変わり映えのない修行をかれこれ10年以上も続けて、いささか飽き飽きしておったのでございます。そんなところに掃部助様のお誘いがありましたので、まさに天啓と考えた次第にございまする」


恵瓊は後世で「安国寺恵瓊」として知られているように、安国寺の住職として戻るつもりだったようだ。毎日の変わり映えしない日常に飽き飽きしていたというのは本心なのだろう。


「ふむ、得心が行った。恵瓊、そなたもこれからは私のことは正吉郎と呼ぶがよい」


「拙僧ごときに……。誠にかたじけなく存じます」


掃部助様、と呼ばれるのは距離感があるように感じるし、主従という関係を強く表しているように思えるのだ。近くにいることになるだろう人間にはできる限り「正吉郎」と呼んでほしいと考えている。


「正吉郎様、某のこともどうか十兵衛とお呼びくだされ」


すると、横にいた光秀が時を見たように顔を出し俺に告げた。


「そうか? 少し年が離れているから十兵衛と呼ぶのは遠慮しておったのだが…。呼んでも構わないのならば、これからは十兵衛と呼ばせてもらうぞ、十兵衛」


年上を「十兵衛」と呼ぶのは抵抗があったが、光秀がそういうのなら、呼ばないわけにはいかない。


「ありがとうございます、正吉郎様」


そして俺は新しい仲間と話をしながら、物生山城へと帰還したのであった。


後日、利蹊が寺倉に仕えることを決断した、ということを信長に伝えるため、文と共に使者を送った。


送った使者の話によると、信長は


ーークックック、まさか、この俺があの“犬”に振られるとはな。是非もなし。しかし、正吉郎はなかなか人たらしの才があると見える。


と少し寂しさを目に孕ませながらも、面白そうに笑みをこぼしながらそう呟いたのだという。

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