上洛

9月下旬、俺は150の兵を以て上洛した。


京までの道中には旧六角家臣が割拠していたが、将軍からの上洛要請ということを文で送り、手出しをしないよう先触れを送っている。


京へと入る前に新たに蒲生の居城となった観音寺城へと入った。寺倉は既に8万石の領地を有しており、大名としての地位を確立していた。


そして寺倉家は「近江三家」と呼ばれ立派な大名に認められつつある。そのため、俺が少しの供を連れて領外を動き回るのは難しくなっている。一挙一動が注目される立場になったのだ。


「掃部助殿、よくぞ参ったな。これから上洛すると聞いた。六角を討ったことへの報復かもしれぬぞ?十分気をつけるのだな」


定秀は俺に黒い微笑を浮かべたまま忠言する。俺が死ねば寺倉を継ぐのは弟の近時丸だ。この意味ありげな笑みを見ると俺が死ねば約定が反故にされ、寺倉が接収するはずだった地域を強引に攻め取るかもしれない。


物生山での会談の後、定秀は主家の六角家を滅ぼしたという悪名を避けることを考え、嫡男の賢秀に家督を譲った。この時定秀は53歳で潮時だということもあり、自らは出家し「快幹軒宗智」と名乗った。賢秀自身も六角から偏諱された「賢」の字を捨て、「蒲生忠秀」と名を改めていた。


ただ、この観音寺城を治めているのは未だ宗智だ。実権は手放さずに実質的な当主として精力的に動いている。


観音寺城に来たのはこれが初めてだが、かなり堅牢な城だと感じた。そう簡単に落ちることはないだろう。宗智はこの城を無血開城させたため、城や町への被害は皆無で、修復などに費用をかけることなく掌握している。そもそも、六角六宿老が支えていた六角家である。その当主と隠居が死んだところで、大した影響では無かった。これが六角家が失墜しつつあったことの何よりもの証拠だろう。観音寺城下の町も流石日本最古の楽市楽座が実施された六角直轄地だと唸るほど賑わいを見せていた。六角定頼の恩恵は大きかったということだろう。


「ふふふ……。ご心配なさらずともそのようなことにはなりませぬよ」


俺は努めて冷静さを保ち、宗智へと意味ありげな笑みを返した。隣にいた光秀は少々慌てた様子を見せていたが、1ミリたりとも弱みを握られまいと宗智から片時も目を離すことなく気丈に振る舞い、大名家の当主としての意地を胸に長々と有益な話を続けた。



◇◇◇




観音寺城を後にし、一路京へと兵を進めた。


道中の国人の他に、三好にもその旨を伝えておいたので、道中で邪魔が入ることもなかった。将軍の威光は陰りを見せているとは言え、やはりその地位は依然として一定の尊敬を浴びる立場だということが分かった。


京の都へと到着すると、民衆の目は寺倉の軍勢に釘付けになっていた。京では「寺倉」の名は有名だ。十倍の兵を寡兵で打ち倒した武勇はもはや伝説になっているらしい。より遠い桶狭間での信長の武勇を打ち消す程だというから厄介だ。信長には少し申し訳ない気がする。


新しく家臣となった忠勝は京の町に初めて訪れたようで、高揚しはしゃいでいた。そんな忠勝に呆れ果てた様子で


「掃部助様が田舎大名だと思われては面目が立たぬだろう。静かにしろ」


と亀丸が俺に代わって叱っていた。もはやいつもの光景になりつつある。


俺が二条御所に到着すると、すぐに迎えの者がやってきて俺たちを案内した。そして謁見の間へと通され、上洛に備えて仕込まれた正座で静かに義輝の登場を待つことになった。


俺より先に謁見の間で待機していた和田惟政は入ってきた俺に静かに目配せをしてきた。俺は一瞥し小さく頷く。


「大樹の御成りである 」


幕府の重臣・細川藤孝の声と静かに歩み進める音によって義輝が入ってきたことが分かった。俺は慌てて平伏し、義輝の声を待つ。


「面を上げよ。直答を許すぞ」


俺はその声に緊張した面持ちでゆっくりと義輝の方へと目を向けた。24歳と聞いていたが、意外に老けて見える。鳥帽子からはみ出して見える髪の毛に白髪が多く見受けられるからだろうか。


「寺倉掃部助蹊政と申しまする。公方様のご尊顔を拝して、恐悦至極に存じます」


その言葉に義輝はすっかり気を良くしたようで、顔を緩めて笑みを浮かべた。喜怒哀楽が激しいようだ。将軍としての威厳があまり無いように見える。


「うむ、足利義輝じゃ! 今日はそなたのこれまでの働きに褒美を与えようと思ってな。こうして呼び付けたわけじゃ。そなたは昨年の六角との戦いで寡兵で十倍もの兵をほとんど無傷で打ち破ったと聞いた。無論、六角は管領代を務める幕臣ではあるが、そなたが先祖代々の領地を守るためにやむを得ず刀を持って立ち向かったというのは分かっておる。勝敗は兵家の常と言うからの。六角の嫡男を討ち取ったことを今さらとやかく言うつもりはない。安心するがよい」


俺は一先ずホッとする。ここでお前は六角の仇!なんて言われてひっ捕らえられたらどうしようもないからな。あれからも惟政は上手く凌いだようだ。


「お褒めに預かり光栄に存じまする」


「それで、十倍もの兵をどうやって兵を損なうことなく打ち破ったのじゃ? 我も兵法には興味があってな。詳しく話して聞かせよ」


「はい、承りましてございまする。実はその戦の前年の秋に寺倉は六角の陪臣だった身分から離反し独立いたしました。これは某の父が六角の手の者によって謀殺されたためでございます。公方様に叛意はございませぬ故、何卒お許しいただきたく存じます。当然、早晩田植えの後には六角が攻めてくると予想されましたので、冬の間に準備を進めていた次第にございまする」


「六角から離反したことについては不問に処そう。話を聞く限りそなたには非は無いように感じるからのぉ。だが、確かに事前に何の策も講じてなくては到底無理な話であるな。それで、どのような策を施したのじゃ?」


根掘り葉掘り聞かれるのは快くは思わなかったが、ここは将軍の前。知ったところでなにかが起こるわけでも無い。ここで嘘をつくのはむしろリスキーだ。


「はい、まずは寺倉郷は狭い山合いにある小さな町でございまする。そこで、六角が攻めてくる道中に山の上から領民に落石で攻撃をさせる準備をさせたのが一つ目の策でございまする」


「ほほぅ、落石とな。確かに狭い山道を行軍中に頭上から大きな石が降ってくれば、兵はただではすまぬな」


義輝は相槌を打ち、感心したように二度三度頷く。俺はその様子を横目に話を続けた。


「そして、冬の間に寺倉の町に流れる川を町の手前で堰き止め、雪が解けた水を用い大きな湖を造りました。これが二つ目の策でございまする。六角軍はまさかこんな所に大きな湖があるとは露知らずに驚いたことにございましょう。そして湖の前に足止めされたところを、道横の山中や湖上の船から弓矢、投石、そして鉄砲で攻撃いたしました。その際に六角の嫡男・義治は討死されて、他の将兵は慌てて敗走した次第でございまする 」


「うーむ。凄まじい軍略よのぅ。これでは十倍の軍が敗れたのも至極もっともじゃ。六角でなくとも三好の軍であっても敗れたであろうのぅ。誠に見事な策略じゃ。あっぱれじゃ!」


対三好に使えると思ったのだろうか、上機嫌な様子で笑う。俺は三好に対する駒じゃないぞ。お願いだから使い捨てるような真似を考えるようなことはするなよ。


「誠に畏れ多く、もったいなき御言葉にございまする」


俺は深く平伏した。周りの幕臣たちも感心したように頷いている。


「うむ! 寺倉掃部助の軍才を称えて褒美を取らせよう。まずは寺倉に『御部屋衆』の家格を授けよう 」


御部屋衆といえば幕府の役職の一つだ。将軍の側近としての地位であり、格式は御供衆に次ぐ。そんな地位をもらえるとは思っていなかった俺は吃驚仰天し、ほんの一瞬だけ固まってしまった。


「あ、ありがたき幸せにございます」


「そなたは鉄砲を戦で使うておるようじゃな。ならば大友から献上された火薬の秘伝書を授けよう。鉄砲を使うそなたなら有効に使いこなすじゃろう」


そう言って下賜されたのは、「鉄放薬方并調合次第」という史実では長尾景虎が受け取っていた、大友宗麟から献上された火薬の調合法を記した秘伝の書だ。将軍ともなればこういった宝を大量に腐らせているのだろう。褒美にはもってこいだ。なるほど将軍がまだ一定の威光を保てているのはこういったことがあるからかもしれない。


「過分なお気遣い誠に痛み入ります。ありがたく頂戴致しまする」


だがこれはかなり大きい。これまではうろ覚えの前世の記憶で火薬を作ってきたが、正しい調合法が分かれば火薬の品質も向上し、費用も抑えられるだろう。少し心が躍るのを感じる。


だがそんな心中を隠すように表情を引き締める。


「そういえば、そなたは返碁も自ら考え出したそうじゃな。あれは実に奥が深く面白き遊戯よの。そなたは誠に素晴らしい才知の持ち主じゃ。今後も幕府への忠義を期待しておるぞ。今日は面白い話が聞けて、久しぶりに愉快であった。上洛、足労であったな」


「誠にありがたきお言葉に存じます」


義輝は愉快に笑いながら謁見の間を出て行った。


義輝との謁見を終えるとドッと疲れが飛び出す。さすがに幾ら御機嫌な様子であったと言えど、相手が将軍となれば神経を擦り減らす度合も格段に上がるというのをこの身を以って実感した。


謁見では褒美として御部屋衆という称号と火薬の秘伝書を下賜されるなど、期待以上の成果を得て幕を閉じた。







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