本多忠勝と榊原亀丸

私と平八郎は一路近江国へと向かっていた。


中美濃を出てから多くの中小国人領主が割拠する西美濃へと入った。その一つ一つを見てきたが、新しく人を雇う余裕はなさそうなところばかりだった。


そんな中、道中で竹中家が治める垂井という町では良い統治が行われているという話を聞きつけ、垂井の町へと向かった。


近江へ向かう途中に位置することもあり、比較的時間をかけることなく垂井へと入った。ただ、この時は8月中旬で、強い日差しが照りつけており、心なしかその足取りは鈍い。


「クソッ、暑いな。おい亀丸、まずは涼もうぜ 」


平八郎はすぐそこにあった茶屋を指差し、中へと入っていった。


今までの旅路で平八郎の突発的な行動に慣れている私は、さして驚くこともなくその背中を追う。仙は少し驚いていたようだが、駆け足で私の後ろを追いかけてきた。


「店主よ、その団子を10本もらえるか 」


「ええ」


店主と思わしき男は一度頷いて背を向けた。


「関ヶ原を抜ければいよいよ近江か 」


「ああ、近江でなら仕官先が見つかるだろうか 」


団子が来るのを待つ間、手持ちの地図を開いていた。ここ、垂井は西美濃最西端。近江への入り口である。


「お主ら、近江に行くつもりか?」


「「は?」」


私たちは揃って声の元を振り向く。そこには50はゆうに超えていると思われる老人が串を咥えて座っていた。


「近江に行くのであれば、今はやめておいた方が良いぞ。今近江では浅井と六角が睨み合っていていつ戦が起こるかわからぬ。戦が起これば仕官どころではないだろう。逆に間者と思われ首が飛ぶかもしれぬ」


「それは真か? 」


「ああ、随分前に六角の重臣が寝返ったという話を聞かなかったか?その時も六角は攻め込んだようなのだが、失敗して撤退したようだ。だが今回は2万を超える大軍を準備していると聞く。ただ当主が変わった浅井も優秀だと言うから、どちらに転ぶかはわからぬな」


六角家の重臣の高野瀬秀隆が、浅井へと寝返ったらしい。浅井の当主は六角から来た姫と離縁して追い返し、偏諱も捨てたようだ。それならばいつ戦が起こってもおかしくはないな。身の安全を考える上でもしばらくはこの町に身を置くのが賢明か。


「そうか。近江では戦が起こるか。ほとぼりが冷めるまでは垂井に滞在することにしよう」


私たちは目を合わせ共に頷きあった。結果として竹中に仕官するのも悪くはない。まずは挨拶することにしよう。


「お主らは寺倉家を知っておるか?」


老人は徐に話し始める。寺倉といえば近江の国人領主で、六角の大軍を寡兵で打ち倒したという話を聞いたことがあるが、それ以上はあまり知らない。


「寺倉、か。名前は聞いたことがあるが...」


「近江で仕官先を探すのならばまず寺倉を訪ねてみよ 」


老人は真面目な顔でそう告げた。国人領主と言えど、良い統治を行っているというのか。


「ふむ、それはなぜだ?」


「寺倉は近江ではどこよりも良い統治をしていると断言できる。民からの信望も厚いと聞く。一度訪ねてみるのも手だろう。儂は行商をしているのだが、以前野盗に襲われての。その時に救っていただいたのが寺倉掃部助様だ。しかも負傷した私を自ら背負ってくださったのだ。普通なら武家の当主が人を背負うなどあり得ぬ、いや、あってはならぬことだ。だが、掃部助様は家臣の言葉に耳を傾けることなく儂をこの町まで背負い、医者を探して連れてきてくれた。あの時はまともに感謝を伝える機会すらなかったのだが、目を見ただけでもその優しきお方だと感じ取った。お主らが仕官先を探していると言うのであれば、寺倉家の当主・寺倉掃部助様に仕官を望むが良いだろう 」


老人は長々と語っていたが、その話はやけに胸に響くものだった。他の人間とは明らかに違った価値観を持っているのだろう。そうでなければ家臣の制止も聞かず手負いの老人を背負って介抱するなど考えられない。


「話を聞く限りでは我らが考える以上に良いお方なのだろう。ふむ、では近江での戦が終わった後に寺倉を訪ねることにしようか。店主よ、この者の代金は私が払おう」


私は相槌を打ちながら頷く。有益な情報を聞いた。代金くらいは私が払おう。そう思い立ち上がったが、老人に制止されてしまった。


「いや、それには及ばぬ。気持ちだけ受け取っておこう。お主らのような若人に払わせるわけにはいかぬ故な。これが掃部助様のお役に立てば私も勧めた甲斐があるというものよ」


小さく笑った後店主に金を渡し去って行った。


「よし、平八郎、仙。近江での戦が終わった後に寺倉領へと向かおう 」


「おうよ!」


「はい!」


二人は元気よく返事をした。


このすぐ後に宇曽川で六角と浅井の衝突が起こり、浅井の勝利となり六角が滅ぶという大波乱が起こった。寺倉も浅井に肩入れし、領地を広げたようだ。私たちは戦が終わった後、すぐに寺倉領に向けて出立したのであった。




◇◇◇


「亀丸、寺倉家の物生山城はまだなのか? あの山の向こうか?」


平八郎はこれまで黙々と歩いていたものの、やはり我慢しきれなかったようで唐突に私へと言葉を投げかけてきた。


「ここはもう寺倉領内のようだぞ。おい、平八郎。この辺りの田んぼを見て、何か気にならないか?」


「うん? そう言われてみれば、稲が同じ間隔で行儀良く並んでいるな」


そう、田んぼが広がっていたのは変わらぬ風景だったが、その形が見たことのないほど綺麗に整っていたのだ。同じ間隔で植えられており、その成長も異なって見える。


「稲が自分で綺麗に並ぶはずないだろ。農民が苗を真っ直ぐ植えたんだ。それに良く見てみろ。垂井の田んぼの稲よりも、背丈が大きいし、実っている稲穂も多い。なあ、お仙?」


「はい。確かに美濃の田んぼよりも稲穂が良く実っていてこの辺りは豊作ですね」


仙も同様に気づいたようで、何度も頷いていた。


「そうか? 良くそんなところに気が付くな」


私はため息をつく。平八郎は武芸の才には富んでいるが、他のことになるとてんで駄目だ。目すら向けようとしない。


「武士は領地の米で生活したり、戦をしているんだぞ。米の出来不出来が御家の命運にも大きな影響を及ぼしかねないんだぞ。お前も武士ならば稲の成長くらいは気にするべきだ」


「分かった、分かったって。それはそうと確か、本多家の一族で寺倉家に仕官した者がいたはずだと思い出したんだが…」


話を逸らそうと露骨に話題を変えるが、それは聞き逃せないものだった。


「本当か? それは一体誰だ?それが本当なら仕官の口利きしてもらえそうだな」


私の予想以上の食いつきに背を反らす平八郎。一度ワザとらしく咳をした後再び口を開く。


「ああ、分家の弥八郎小父さんと言って数回しか会ったことはないんだが、この前の戦で脚を怪我して戦働きができなくなって、織田から放逐されて確か寺倉家に仕官したらしいと聞いた覚えがある」


「そうか。それならば物生山城下に着いた後、弥八郎殿を探して仕官の紹介を頼むことにしよう」


「そうだな。弥八郎小父さんは少し偏屈なところがあるんだが、まぁ頼めば口利きくらいはしてくれるだろうよ」


一行は弥八郎という平八郎の親戚に寺倉への推挙を頼み込むことを決め、一路物生山城へと足を進めたのだった。



◇◇◇



「正吉郎様、仕官を希望する者らが謁見を望んでおります。如何致しましょう?」


「仕官か。近頃は多いな 」


「六角が滅び、南への脅威も無くなりましたからな。寺倉が滅んで身一つになることはないと考えた者が多く来ているのでしょう。しかし、この者達は本多殿の推挙にございます。問題はないかと」


「ほう、正信が。では三河の出身か?」


「ご名答。本多殿と血の繋がりを持つ本多忠勝と榊原亀丸という青年にございます」


本多忠勝と榊原亀丸。その名前だけでピンときた。どちらも徳川四天王の一角であり、稀代の名将だ。そんな武将が仕官を求めてここまで来たということは、松平が滅んで織田に降らず流浪していたからだろう。


「よし、すぐに連れてきてくれ」


「はっ」


光秀は早足で部屋を出て行った。俺は二人と対面する大広間へと足を向ける。


大広間へと向かうと、もうすでに跪き俺を待っていた。俺は上座へと座り、二人に声をかける。


「面を上げよ」


二人は俺の声に従い顔を上げた。忠勝も亀丸もまだ若い。13、4歳くらいだろうか。忠勝は目つきが鋭く、とても13歳とは思えない風貌をしていた。体つきも俺より断然しっかりしている。一方で、亀丸は年相応という顔つきをしており、体つきもまだ細かった。


「本多平八郎忠勝と申します」

「榊原亀丸と申します」


二人は頭を垂れた。徳川四天王の二人だ。自然と身が引き締まる。


「寺倉家に仕えたいとの話だが、真か?」


「はい、その通りにございまする」


亀丸が答える。これから旧六角領を接収していくため、人手は幾らあっても十分とは言えない。他の仕官希望者とは違い、名前を聞いた時点でもう心は決まっていた。まだ13歳ということもあるが、二人は正信からの推挙だ。間者という線も考えられないし、信用できる人間なのだろう。


正信と忠勝は後世においてその仲の悪さが語られているが、現時点で正信は23、忠勝は13。仲が悪いどころかこうして推挙してもらうほどならば仲がいいと考えても良いのだろう。二人の仲を悪くさせないように気を遣わなければならないな。


「よし、お主らを召しかかえよう。お主ら、初陣は済ませているか?」


「ありがたき幸せ。初陣は私なら既に済ませておりますが、亀丸は元服も未だにございます」


「そうか。では冬に亀丸の元服の儀を執り行おう 」


「よろしいのでございますか?」


「忠勝が既に初陣を済ませているのに、亀丸が元服すらしていないのは不公平だろう?」


俺は微笑んで二人に告げる。二人は確実に寺倉を支える大きな戦力になるだろう。早いうちから活躍させたい。


「よし。まずは上洛の護衛として付いてこい。その後しばらくは忠勝は大倉久秀、亀丸は藤堂虎高の元で学んでもらおう。武功を取り立てればそれ相応の褒美を与える。お主らの働きを期待しているぞ!」


最後に俺は満面の笑みを浮かべて二人を鼓舞した。寺倉に過ぎたる者、だ。大切に育てていこう。親族衆の箕田勘兵衛の嫡男で、忠勝らと同い年の兼清丸けんせいまるも同時に元服させ、切磋琢磨させることにした。元服した後の名は箕田靖十郎せいじゅうろう皓景あきかげであり、2人に触発される形で大きな成長を遂げることになる。


「「はっ!」」


かくして、徳川四天王の二人、本多忠勝と榊原亀丸(康政)が家臣になったのだった。

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