正吉郎と新九郎

物生山会談の後、俺は帰途につく蒲生親子を見送った。その際には浅井が一晩物生山城に滞在し、翌朝領地へと帰る旨を俺の口から伝えた。


定秀は疑うこともせずに帰っていった。


俺は長政に対して近習である小川蹊祐を遣わし、二人のみで話し合いたいという旨を伝えていた。長政としても断る理由はなく、二つ返事で了承してくれた。


部屋は大広間ではなく、それよりも二回りほど小さい部屋で密会のような形で行われることになった。


「浅井殿、私は浅井家との関係をより密にしたいと考えている。蒲生家に聞かれては何かと不都合なことも起こりかねない故、こうして二人のみで話をしたいと思い使いを出したのだ」



もう両家の関係は対等だ。国力差のあった以前とは状況が一変している。俺は下手に出て話すべきだと思っていたものの、光秀に止められ渋々口調を変えることにした。それに元々長政は歳が近く、この状況においてはへり下るべき相手ではないのだ。


下手に出れば相手をワザと優位に立たせているようなもの。そこから驕りが出て不都合な結果が生み出されれば、本末転倒というものである。長政の場合それは絶対にないと言い切れるが、これは大名家同士の話し合いだ。間違っても隙を見せるわけにはいけない。


「ふむ、それは何だろうか 」


長政は俺の変わった口調に反応を見せることもなく、小さく首を傾げながら聞き返した。


「浅井殿は先日、離縁されたばかりと聞く。そこで、まだいささか幼いが、我が妹を妻に娶ってもらい、相互防衛、相互軍事支援の婚姻同盟を結びたいと考えている。浅井殿、どうだろうか?」


長政は今年の5月、六角から迎えた平井定武の娘・小夜姫と離縁して六角に追い返したために嫁がいない。俺が市を娶ったために、今の時点で長政が今後妻を迎える予定はない。


妹はもうすぐ9歳を迎えるというぐらいの年齢だが、長政も15。この時代においては決しておかしいことではないし、むしろ早婚はごく一般的だ。


妹の名前は阿幸おこう姫。黒く長い髪が特徴的な物静かな妹だが、俺とも比較的良好と言える関係を築けている...と思う。


浅井は以前より朝倉と密接な関係を築いており、久政の時代までは戦の度に援軍を出すなど、円満とも言える程良好な関係だった。


しかし義景が六角家から養子として朝倉家に入ってからは、その関係は複雑化しつつあった。その六角が滅んだ今、そしてその原因の核が浅井だとすれば心証を著しく下げたのは間違いないと言える。それを長政も分かっていることだろう。


「ふむ、掃部助殿の妹君との婚姻か 」


長政はしばらく考え込む。長期的に見ても、今の朝倉への半従属的な同盟を維持するよりも、寺倉と相互軍事支援の関係を構築する方が遥かに利があるのは明白。


これから旧六角領を接収していくわけだが、寺倉が要求した地域の殆どは小さな国人領主が割拠する地域だ。大規模な軍事行動をすることなく、寺倉は南近江での権益を手中に収めることができる。寺倉に六角の宿老と直接やりあう力は持ち合わせていないし、今回の境界線策定においての俺の要求は国力に対して最も利のあるものであったわけだ。奇をてらった作戦が何度も上手くいくほど乱世は甘くない。


だが、そのおかげで浅井は高島七党などの近江で一定の力を持つ勢力と争う時も寺倉の力を借りられる可能性が高くなる。短期的に見ても浅井には利が多いはずだ。俺はそれを見越して婚姻同盟を持ちかけた。


「掃部助殿、その提案に乗らせていただこう。これから末永くよろしく頼む」


長政は即決とも言える回答をした。


これが一人で浅井を取り仕切っている証拠だ。今回の物生山会談に出席していた重臣の赤尾清綱と話し合うこともなく自らの裁量で物事を決めた。それは浅井長政という人間の持つ能力でもあり、家臣からの信頼の証でもあると言えるのだ。


「ではこれからもよろしく頼む!新九郎!」


俺は白い歯を見せて笑みを向けた。俺は日ノ本を笑顔の絶えぬ国にすると決めた。それには当然長政も入っている。“笑顔”は伝染する。目の前の人間がはにかめば、自然と対面している人間は笑顔になるのだ。少しずつでいい。それがスタートラインだ。


長政は、俺の笑顔に少し拍子抜けしたのか、一度苦笑いを浮かべた後すぐ白い歯を見せて笑った。ついさっきまでは真面目な雰囲気だったというのに、この変わり様だ。


長政は俺がこの時代において数少ない信頼できると感じる他家の人間だ。裏切りが世の常であるこの時代だ。心許せる仲というものはなによりの宝物である。新九郎と呼んだのは親しみの意味も込めていた。これが明らかに年上だったり、歳が近くとも疎遠な関係であればできないが、俺と長政は歳も近く、余計な気を使う必要もない。こうして話していてもそれがよく分かった。


「ふふ、新九郎、とな。ではこちらも正吉郎と呼ばせてもらおう」


それは新たな”友“の誕生だった。俺たちは目を合わせて笑い合う。それは戦国という時代柄に全く似合わぬ、星のように光り輝き、月のように澄んだ満面の笑みであった。



◇◇◇



時は遡り、京・二条御所。


将軍足利義輝は六角滅亡の報せを受けていた。


報せを持ち込んだのは和田惟政。配下に甲賀の素破を持つ幕臣である。



◇◇◇



私・和田惟政は素破から受けた報せから動揺を隠せずにいた。しかしこれはすぐに義輝様の耳に入れなければと思い至り、駆け足で義輝様の部屋へと向かった。


幕府の衰退が著しくなった今、義輝様に挨拶をと媚びるものはめっきり減った。1日に一人来れば良い方だ。三好に実権を握られているのだから仕方のないことではあるが、そのことを思案しては歯ぎしりするのが義輝様の日常になりつつある。


「義輝様、六角が……。六角家が滅びました」


努めて冷静さを声色に込めていたが、殆ど意味を成さなかった。大粒の汗が頰を伝う。私は恐る恐る義輝様の顔を見上げた。


「なっ……。六角が滅びただと?なぜだ!」


義輝様は思わず膝を上げていた。その顔は怒りとも動揺とも取れる顔色に染まっており、私はすぐに目を逸らし俯く。


「浅井が六角承禎様を、蒲生が中務大輔様を討ったとのこと。承禎様は蒲生の寝返りにより瓦解した六角軍をまとめることが困難を極め、退却しようとしたところ本陣を襲った浅井により討たれたとのことです。中務大輔様は蒲生が空き家同然となった観音寺城を攻め、降伏により城兵の助命をする代わりに中務大輔様は討たれ、六角家は滅亡に至り申した」


私は虚偽の報せを行う。私は近江出身の元六角家臣。六角の全盛期を知る者なのだ。義輝様が京を追われ六角を頼った際に気に入られ、幕臣として仕えることとなった。


だが私は六角への忠義をこの身に宿していた。だからこそ、六角に原因があれど寺倉などという、六角を裏切り独立した国人領主如きに承禎様が討たれたという言葉はどうしても口にすることができなかった。義輝様が例えお飾りの将軍だとしても武家の長ということに変わりはない。六角家の頂点に位置する者の面子を潰すことは忠義に反する。そう考えたのだ。


そう考えた私はわざと寺倉の名を伏せ、浅井と蒲生によって討たれたと報せた。寺倉が出した兵はたったの1000だと聞く。疑うことはないだろう。


「くっ……。今すぐ追討令を出せ!朝倉を使うのだ!」


「朝倉は加賀の一向一揆との戦で手一杯で近江、京に目を向ける余裕はございませぬ。朝倉宗滴殿がいた頃とは違うのですぞ 」


地団駄を踏む義輝様にとって冷酷とも取れる言葉を投げかける。その顔は真っ赤に染まり、浅井と蒲生への憎悪が見え隠れしていた。私はそんな義輝様に同情しつつも、ただただ静かに見つめ続けるのだった。





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