物生山城(むしやまじょう)の会盟

俺は重臣会議の後、早急に蒲生・浅井の両家に対し早馬を送り、三家の話し合いを提案した。


会談の場は鎌刃城に変わり本拠となることが決まった物生山城。史実では佐和山城の支城だが、最も力を入れて改修した城であるこの城は松原湊の繁栄もあり佐和山城を凌ぐ規模になっていた。佐和山城は以後物生山城の支城となることになる。物生山城と佐和山城を繋げることで将来的には日ノ本一の城を築くつもりだ。


寺倉は出した兵数が少ないとはいえ、大将首を討ち取った。浅井・蒲生に比べても一番の殊勲を得たと言えるわけで、俺の提案には両家共に不満一つ無く乗り、この物生山城へと登城した。


護衛や近習は他の部屋に待機させ、一切帯刀せず無腰で行われた。三家が対等であると示すように上座を空け、三角形になるように座る。寺倉からは俺と明智光秀、浅井からは浅井長政と赤尾清綱、蒲生からは蒲生定秀とその子賢秀が出席する。


「寺倉掃部助蹊政にございます。そしてこちらは明智十兵衛光秀 」


俺は招待した側として初めに名乗る。横に控える光秀も同時に紹介した。


「浅井新九郎長政にございます。こちらは赤尾孫三郎清綱 」


続いて長政が名乗る。浅井家の重臣・赤尾清綱は顎髭が濃く武骨な武将という印象であった。


「蒲生下野守定秀と子の権太郎賢秀にござる。失礼だが浅井殿、貴殿は六角との手切れを示すため改名されたのかな?」


そして最後に蒲生が名乗り、長政にも会釈をしつつ改名の意図について問うた。


「ええ、そうにございまする」


長政と定秀はこの場が初対面だ。長政からは固さが見えるが、定秀は反対にこの場に相応しく無いほどに落ち着いた声であった。



「そうか。賢秀よ、お主もいつまでも『賢』の字を名乗っているわけにはいかぬ。城に帰ったら改名せよ」


「賢」という字は賢政と同じく六角義賢からの偏諱である。六角家が滅亡を迎え独立した今、その名前を名乗る意味はない。


「承知致しました」


賢秀もそれを察したようで反対することなく首肯した。


俺は賢秀とは初対面である。だが、二人のやりとりを見ると定秀が実権を握っているようだ。ただ、定秀はもう齢五十を軽く超えているだろう。家督は賢秀が継いでいるのかもしれない。この時代、父親が実権を握ったままというのも珍しい話ではない。俺はさして気に留めることも無く、浅井と蒲生が話を終えたところで口を開いた。


「本日、ご両家にご足労いただいたのは、文にも書いた通り今後の三家の同盟締結と、先の戦によって六角が滅んだ後の近江の仕置きについて話し合いたいと考えたからにございます」


俺がこの会談に二家を招いたのは、蒲生、浅井と相互で同盟を組むためというのと、六角の滅亡によってバラバラになった近江の仕置きを話し合うためだ。ここで争えばいらぬ恨みを買う恐れもある。


「ふむ。三家同盟か。蒲生としては異存ござらぬ」


「浅井も異存ございませぬ」


定秀は相槌を打ってすぐに同意し、長政も少し話し込んだ後賛意を示した。


俺は二人の反応に頷き、続けて話し始める。


「つきましては、まず三家同盟は今後10年の不戦と相互不可侵を内容としたいのですが、如何でしょうか?」


「それで宜しいかと」


「問題ござらぬ」


両家は直ぐに同意する。こうして今、この時から三家同盟が相成った。


「もう一つ、今後の近江は六角の支配から解放された旧六角家臣や国人たちが群雄割拠し、三好の侵攻も危ぶまれて混沌とした状況に陥ることは間違いないでしょう。我々三家は同盟が成った今、無益な争いを避けるためにも、あらかじめ近江国内での境界線を定めるべきかと存じまする」


三家が領地を巡って争いを起こさぬよう、予め攻める範囲を決めておくというわけだ。


「私もそれが良いかと存じます」


定秀は二度首肯し、長政も同意した。


「では、我が寺倉は北は米原の坂田郡南部と東部の伊吹山麓一帯、南は神崎郡までを所望致します」


俺は間髪入れず自分の提案を提示した。


「それだけでよろしいのか?随分と控え目だ 」


定秀は目を細めた。一番の殊勲を得た寺倉が予想よりも控え目な提案をしたことに拍子抜けしたのだろう。俺のことだから強気な要求をしてくるに違いない。そう考えていたのだろう。


「我らは六角承禎を討ち取ったとはいえ、1000の兵しか出しておりませんので、分不相応な要求は控えるべきと心得ております故」


戦の結果を知っていた俺だからこうして大将の六角承禎を討ち取ることができたわけで、それがなければこの場に参加することもできないほどの功しか得られなかっただろう。こうして承禎の首を取れたからこそ、この会談で主導権と一番の発言力を得ているのだ。


それに、蒲生と浅井は同盟を組んだといえど寺倉よりも格上だ。蒲生は11万石で浅井は12万石なのに比べると、寺倉は佐和山城と肥田城の増加分を加えても8万石。ここで強欲さを出したところで心証を損ねるだけだろう。


野良田の際に浅井へと寝返った高野瀬秀隆は浅井の了承を得て寺倉への従属を申し出てきた。肥田城は愛知郡にあるため、寺倉に鞍替えして臣従するか、領地替えして浅井に臣従するかを選ぶ必要があったのだ。だが、先祖代々の土地である場所を離れることを選ぶことはなく、結果寺倉に臣従することを選んだというわけだ。高野瀬秀隆は一旦領地を召し上げ、新たに寺倉の家臣として知行を与えることとした。


それに俺の言葉には蒲生への牽制の意味も込めていた。浅井の1万に比べて出兵は2500でしかない蒲生は六角義定を討ち取ったとはいえ過度な要求は控えるべきだと間接的に伝えたということだ。


長政も一番功の寺倉の要求に反対の意を示すことはなく、口は出さずに首肯した。


そして二家はそれぞれ境界線の策定に関する話し合いを始めた。





◇◇◇




「では蒲生の要望を言わせてもらうが、宜しいかな?」


「え、ええ」


長政は15歳で今回が初陣。その上定秀は義定を亡き者にし、六角を滅亡させた。


そのため、長政は定秀が先に言うことを拒むことができなかった。


「蒲生は蒲生郡から南を、西は延暦寺領はあるが、志賀郡までいただきたい」


志賀郡までとなればかなり広く、明らかに過度な主張であった。それに正吉郎は苦々しく歯ぎしりする。


定秀は正吉郎の牽制を感じ取りながらも気づかない振りをし、あえて強欲な提案を主張したのだ。


正吉郎はそれを察し、この業突く張りなジジイめ、と心の中で悪態をつきながら苦笑いを浮かべていた。


「まさか比叡山に手を出されるおつもりか?」


長政が直ぐさま問いただす。


「無論、比叡山に手出しするつもりなどないが、戦乱の世ゆえこの先どうなるか分からぬ故な。それとも浅井は志賀郡をご所望か?」


定秀は長政を射抜くような鋭い眼差しで睨みつける。長政はその目を見て萎縮してしまったようだ。


「比叡山に手を出すような愚を犯すつもりなど毛頭ございませぬぞ」


「では志賀郡は蒲生でよろしいですな?」


そして定秀は強引に話をまとめ、浅井の反論を待つことなく志賀郡までを主張した。


「浅井は残る今浜以北の坂田郡と西は高島郡ということですな」


長政には定秀の老獪な交渉力に反抗する胆力は持ち合わせておらず、小さくため息を吐きながら渋々というように了承した。


この三家の話し合いによって境界線が策定された。これから三家はそれぞれ六角の旧領に攻め込み、支配下に置いていくことになる。


寺倉は北は米原の坂田郡南部と東部の伊吹山麓一帯、南は神崎郡までを制圧することを当面の目標とすることが決まったのだった。

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