桶狭間の戦い③

5月19日の正午。


松平次郎三郎元康は此度の織田家との戦で先鋒を任され、大高城の鵜殿長照殿が城中の兵糧が足りないとのことで、今川治部大輔様に命じられ大高城へと兵糧の補給を行った。しかし、織田軍は大高城を包囲しており、兵糧を運ぶにはこの包囲を突破する以外になかった。鷲津砦と丸根砦の間を突破し無事に兵糧を運び込むことに成功し、続いて丸根砦を攻め落とし、休息中であった。


休息中、元康は今川軍が負けるはずはない、そう確信して気を抜き切っていた。その時、耳に入ったのは慌ただしい足音。その足音がこちらへと近づくと、弛緩していた気分を改めて姿勢を正した。


「松平様、至急の報せにございまする!」


「いかがした」


「治部大輔様が、御討死なされました!」


背筋が凍る。元康は予想だにしない報せに頭が追いつかない。2万5千の兵で攻め込んだ今川軍の大将の首だ。いくら油断が蔓延っていたとしても、そう易々と取れるはずがない。


「出鱈目を申すな! お主、さては織田の手の者であるな?ひっ捕らえよ!」


「はっ!」


私は横に控えていた家臣にその男を捕らえるよう命じた。


「松平様! これは嘘ではございませぬ!田楽狭間にて休息中であった治部大輔殿は、織田の豪雨の中の奇襲を受け兵が混乱し、敵方の将に討ち取られたとのことでございます!」


「田楽狭間……?彼処は狭く大軍が留まるには不用心がすぎる。治部大輔様がそのような失態を犯すはずがないだろう」


元康は再び射抜くように睨みつけた。


「これも織田の策略であったとのこと。農民らを雇い、酒や食物を振る舞いそこに留め置かせたとのこと。治部大輔様は兵の多さから油断していたようにございまする」


三郎殿はうつけではなかったと、元康は改めて実感した。そして同時に底知れぬ恐ろしさに身を震わせる。


「ま……まさか。そのようなことが」


「松平様、今すぐにここを脱出すべきだと存じます」


「くっ……わかった。大高城は捨てる」


「では、こちらへ!」


元康は僅かな家臣を連れてこの大高城を脱出することに決めた。このままでは家臣らの命も危ない。そう思ってからは判断が早かった。頑固で真っ直ぐな三河武士である家臣らのことを考えると、自分を置いて逃げることなど決してしないだろう。ここは一先ず逃げることが先決だ。


そして元康は大高城を離れ、松平家の寺である菩薩寺に向かった。手勢はたったの18名。ここを襲われればひとたまりもない。


命からがら菩薩寺に逃げ込んだ元康は、ひと息をつくことができた。


「お主、住職を知らぬか?」


「先程から姿が見えませぬ。しかし、松平様であれば問題はございませぬ。私は住職を探してまいります」


しかし四半刻後、周りが騒がしいことに気づいた。


「松平様!この寺は織田家の手勢に囲まれております!」


「なに!?」


元康は瞑目して息を吐いた。数次第ではどうにかなる。そういった希望もまだ心に残っていた。


「その数700と思われます!」


「700 ……だと」


こちらの手勢ではどうしようもない兵数だ。その上既に囲まれているこの状況。元康は絶望に顔を青白く染める。それは共に逃げ込んだ家臣らも同じようで、皆一様に血気を失っていた。


「我が天命、ここで尽きるか。治部大輔様の死、夢であって欲しかったものよ」


元康はどうしようもないこの状況に悲観を露わに天を仰いだ。その様子を見た家臣たちも一斉に泣き出す。いい男が年甲斐もなく大泣きする様子はまさに異様な光景であった。だがその姿こそが三河武士なのだ。このひたすらに真っ直ぐで忠義を尽くす姿。だからこそ松平の兵は屈さぬのだ。


この状況に似合わず、そんな彼らの姿を見た元康は、思わず涙を流しながら笑みを浮かべた。


「お主らは……最高の三河武士である!そのことを誇れ!私はこれから腹を切るが、お主らは死んでも生き延びよ。そして今川でも織田でもない別の場所に身を寄せるのだ。厳しいことを申すが、これから今川は落ち目となろう。身を寄せたところでどうなるか分からぬ。そして織田は我らが仇である。どこにいようと三河武士の魂は滅せぬ!」


殿、殿……と、家臣らは号泣しだした。その様子を見た元康も、堪えていた感情が防波堤を破って溢れ出し、目の前の家臣らと同様に大声をあげて泣き出した。


「私は先祖の墓前で腹を切る。忠次、介錯を頼む」


元康は重臣の酒井忠次に介錯を頼んだ。


「……はっ」


涙で濡れる顔で少し考え込んだあと、小さく呟くように言う。松平元康は、間もなく松平八代の墓前で正座をし、腹を切った。


史実における三英傑の1人、徳川家康は、こうして短い生涯を閉じたのであった。



◇◇◇



主君が腹を切ったのを最後まで見届けたのは、重臣酒井忠次であった。


「私もすぐに参りますぞ、殿。忠勝、介錯を頼む。お前はここで果ててはいかぬ。殿の申す通り、死んでも生き延びよ」


忠次は涙を流しながらも、厳かな様子で本多忠勝に告げた。忠次は主君の言葉通り生き延びるつもりは毛頭なかった。忠次は幼い頃から元康の側仕えだったため、何があろうと主君と運命を共にする覚悟だったのだ。


「はっ」


忠勝も例に漏れず涙を流していた。忠次の心中も察していた。この時忠勝は13歳。主君に殉ずるにはあまりにも若すぎた。忠勝はこの後織田方に捕らえられるものの、その若さと他の者の菩提を弔うことを命じられ、命を安堵されることとなる。そして元康の言葉通り織田に仕えることはなく、一時流浪の身となることになる。


忠次が亡くなったあと、命じられた通り生き延びようと考えた者は約半数にも満たなかった。これも三河武士としての義理堅さなのだろうか。主君を残して逃げる自らを許すことができなかったのだ。そして次々に腹を切っていった。


若年の忠勝には嫌にその光景が胸に突き刺さった。そして誓った。もう2度と主君を死に追いやるような真似はしない、と。




◇◇◇



時は遡り、4月下旬。


俺は桶狭間の戦いの前に、あることを志能便に極秘に命じていた。


「順三、頼みたいことがある」


「何なりとお命じください」


跪き頭を深く下げる順三。俺はこの志能便に最大限の信頼を置いていた。


「もうすぐ織田と今川が衝突する。この戦、織田が勝つ」


「はっ」


織田が勝つという言葉に順三は驚きの表情すら浮かべなかった。僅かに眉が動いただけだ。


「俺の言っていることを信じるのか?」


戦力差的に考えれば俺の言うことは突拍子のないことだろう。


「私共は正吉郎様の言うことを全て信頼して仕えております。嘘などと思うはずがございませぬ」


実を言えば織田と今川にそこまで大きな差はない。石高的には織田が50万石、今川が100万石だ。つまり兵数も今川の半分は出すことができるのだ。しかし、北の美濃には斎藤がおり、西の荷之上城には服部がいる。全兵力を南に割くわけにはいかないのだ。その点、今川は北の武田、東の北条と三国同盟を組んでおり、西に全兵力を向けることができる。


そのため、この両者が衝突した時、出せる兵力の差は膨大になる。だからこそ、織田には勝ち目のない戦だと考えられているというわけだ。


「お主らには清洲城を見張り、三郎殿が清洲城から出陣したのを見届け次第、三河の岡崎へ向かってもらいたい。そして大樹寺の住職・登誉天室を攫え。住職には手荒な真似はせずに食事も与えて7日の間監禁し、その間は大樹寺の様子を隠れて監視せよ。7日経った後に住職を大樹寺に解放して帰還し、大樹寺で起きた出来事を報告せよ」


松平元康は、この大樹寺の住職、登誉天室によって諭され、自害を回避したという。これが厭離穢土欣求浄土の教えであり、将来的にはこの教えが家康の馬印にまでなる。


これは「戦国の世は誰もが自己の欲望のために戦をしており国土が穢れきっている。その穢土を厭い離れ、永遠に平和な浄土を願い求めれば、必ずや仏の加護を得て事を成すことができる」という意味だ。これによって元康は改心し、自害をやめて抵抗を始めるわけだ。


つまりは、この“諭し”さえなければ家康はこのまま自害し、今川家を史実通り大きく弱体化することを防げるというわけだ。信長には桶狭間の戦いについて助言に似たものをしてしまったのだから、今川にも影からではあるものの助けになろうと考えたのだ。


「そしてこれが寺倉の手の者によるものだということが漏れぬよう内密に頼む」


「はっ」


俺の言葉に短くそう返し、気配を消しつつ静かに去っていった。


この命令により、三英傑の1人がこの世から姿を消すことになった。これが松平元康の死の真相である。

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