犬千代

俺が尾張を発つ日、信長は城を出てきて見送りに来てくれた。信長はそんなことする人間では無いと思っていたが、とんだ思い違いだったようだ。信長は公私を結構しっかり分けていて、今のように私的な状況であれば人懐っこい表情を見せることもある。目付きが鋭いのは変わらないが。


「三郎殿、見送りまでしていただき、感謝致しまする」


俺は頓首して信長に礼を言った。


「そうだ、発つ前に貴様に頼みたいことがある」


信長はさも今気づいたかのように口を開いた。俺はその瞬間嫌な予感を察知したが、眉をひそめながらも務めて冷静に応える。


「なんなりと」


「我が臣の犬千代だ。こやつは幼い頃から血気盛んでな。俺も扱いに困っているのだ」


利家は信長の小姓、家臣らに混じっていたようで、信長の言葉で俺の死角から顔を出した。その目つきは信長までとはいかないものの鋭く、出来ることなら関わりたくない類の人間だと瞬時に察した。


「だから貴様にはこの利家を与力として預かってもらいたい」


俺は確信に近いものを感じていたが、その予感は見事に的中してしまった。


犬千代即ち前田利家は、去年に信長の寵愛を受けていた拾阿弥という同朋衆と諍いを起こして斬殺するという事件を起こし、そのまま出奔した武将だ。考えるまでもなく問題児である。信長は押し付けたいのだろうな。というか信長が手に余るような奴を俺がコントロールができると、本当に思っているのか?俺の本質を見抜いているかは定かではないが、もし何倍の兵にも屈しない本物の猛将だと本当に信じているのならば困るな。


利家は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。あーこいつ、嘘がつけないタイプの人間だな。信長の前でそんな顔してるからいつまでも家臣に戻してもらえないんだよ。


利家は信長と衆道関係にあったらしく、つまるところ永遠の忠誠みたいなものを誓っていたのだろう。そんな奴を俺の与力に置いたところでたかが知れてる。


柴田勝家や森可成らの取り成しで出仕停止処分の浪人生活を送っていたようだが、こいつ周りに迷惑かけてばかりだな。20歳か。成人じゃないか。もっと大人になってほしいものだな。もっとも、俺が言えることではないのだろうが。


「前田又左衛門利家にございます」


そんな嫌々言われてもこっちが困るわ。まず顔をどうにかしろ。信長がいるから敬語で話しているのだろうが、その枷が無ければすぐにでも暴れ出しそうな危ない目をしている。


「犬千代、貴様に挽回の機会を与えようと言っているのだ。そんな態度では一向に俺の元へは戻ってこれないぞ」


利家は一転して今にも泣き出しそうな顔で振り返り、首を二度振ってから再び俺に向き直った。


「前田又左衛門利家にございます。我が力、如何様にでもお使いくだされ」


「全ては三郎様のために」と言うのが聞こえて来た気がする。というか言っただろ。それさえなければまだよかったが、顔を作れば口が緩くなるのか。ポンコツかよ。


だが、ここまで来て「いや、結構です」などとは口が裂けても言えない。


「……分かった。これからよろしく頼む」


こいつは前線で使おう。腐っても豊臣政権下の五大老の1人、槍の又左衛門と呼ばれる程の猛将だ。せいぜいこき使ってやろう。


信長はニヤニヤしていた。おのれ、信長図ったな!無理矢理にでも断っておけば良かったわ。


今後、利家は俺に仕えることになったものの、利家自身は信長への忠誠心が行動の源だ。だが、利家は戦で幾度となく活躍を遂げることになる。それはもう少し先の話だ。




◇◇◇




利家という厄介な仲間を加え、尾張を発ち熱田から船で桑名へと向かい、近江へと向かう山道を進んでいた。


「又左衛門殿、我が殿に対してその失礼な顔は謹んでくだされ」


光秀は業を煮やしたようで、利家に対し当たりがきつくなっていた。しかし短気な利家は負けじと言い返す。桑名に着いてからはずっとこんな調子だった。


ほんと、厄介な奴を仲間にしてしまったものだ。俺は溜息をつく。


「失礼な顔とはなんだ!貴様、俺を侮辱する気か!」


「先程からの正吉郎様に対する数々の無礼、この私が許すとでも思いましたか?ここは織田家では無いのです。織田家でもあの上総介様にさえ見切られた貴方のような馬鹿には分かるはずも無いですね。失礼致しました」


光秀は目を見開いて利家をたしなめる。だが、その言葉はもはや鋭利な刃物で、利家をキレさせるには十分だった。


「なんだと?!お前、俺に殺されたいようだな!」


気づくと利家は光秀に殴りかかっていた。しかしそこは冷静な光秀。激昂した相手の対応には慣れているようで、利家の拳は光秀に届くことはなかった。


「お前らいい加減にしろ」


俺は低い声で2人を叱責するように言った。2人はその言葉で一瞬固まった。利家の拳は小刻みに震えており、光秀の顔は少し青くなっていた。


光秀は壊れたブリキ人形のようなぎこちない動きをしながら俺の正面に向き、数秒の後口を開いた。


「申し訳ありませぬ。少々度が過ぎました」


「普段冷静沈着なお主らしくない。お前もだ、利家。あまり行動が目に余るようなら、全て三郎殿に報告させてもらう。留意しておけ」


馬鹿なのは否定しないが。利家は、俺のその言葉で一気に血の気が引いたような顔になった。よし、こいつにはこれが使えるな。もはや手綱を掴んだようなものよ。心ゆくまでこき使わせてもらうから覚悟しておけ。思った以上に信長という飼い主には従順なようだな。そりゃ身も心も捧げてるしな。だがこれからは俺がお前の飼い主だ。精々役に立ってくれよ、犬千代くん。


その後利家は大人しくなったとはいえ、光秀とにらみ合いを続けていた。こいつら水と油だな。真面目な光秀にとってかぶき者の利家の自由すぎる行動が許せないのだろう。


そうこうしているうちに俺たちは山道を北上し、今開発が進んでいる五僧峠に位置する、沼上の町のすぐ側まで来ていた。ここは河原者や流民など、世間からのあぶれ者で構成される町だ。


そして寺倉領東の最前線でもある。東の斎藤が攻め込んできたらまずここが狙われるだろう。



うん……?



世間からのあぶれ者、か。



沼上には今頭が不在。



ならば……。



俺は緩やかに口角を上げた。








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