尾張訪問①
12月下旬。
俺は尾張視察も兼ねて、信長へ新年の挨拶へと向かうための旅路についた。市も付いて行きたがっていたが、今回はお留守番だ。無言で頰を膨らませていた。思わず連れて行ってあげたくなってしまったが、なんとか耐えた。なにせ歩きだ。13歳の市には酷だろう。16の俺でもキツいのだ。行きはいいかもしれないが、帰りは山道だ。想像より何倍も過酷な道のりになるはずだ。
俺は今回の挨拶で見栄を張ってかなり豪華な品を用意した。信長が好みそうなものは需要がなくて値が張る。荷物が多いため、行きの道は東山道を通り、斎藤領を通過して尾張へと至るルート。
東山道のおかげで流通がスムーズで、鎌刃城は寺倉と並んで商業が盛んな町になっている。人通りも多く、京へと続く街道。立地としては最高だというわけだ。
寺倉領から関ヶ原を越え、美濃最初の宿場町である垂井の町へと向かっていた。
「正吉郎様、もうすぐで垂井の町に着きまする。今日は既に日が傾き始めております。この街で一泊するのが良いかと」
光秀が俺にそう進言する。確かに日が傾いてきたし、ここら辺で今日の移動は終わりにするか。
「そうだな。そうしよう。ん?」
垂井の町から直線距離で2、3キロというところ。そこで身なりのいい老人が何者かに襲われているのが見えた。反対に襲っているのは身なりに悪い、現代で言う不良のような若い雑兵3人であった。
俺は駆け足になり近付こうとした。するとこちらに気づいた不良たちは、身なりが良く供を連れている俺たちを見て顔を青くし、一目散に逃げていった。
どうせなら人目のつかない場所で襲えよ。この道は人通りも多い。そんな風に絡んでいれば、いずれ俺たちみたいな身なりの良い武士が通るのが分からないのか?
凶作と飢饉が相次いだこの時代。雑兵では食っていけないのだ。兵の殆どは雑兵で、その者たちの殆どは負けた側の食料や家財、女を売り払い、わずかな収入で暮らしていた。それに時期は冬の真っ只中。このままだと冬を越せないと思った者が、こうして富裕層の人間を襲っているというわけだろう。戦の中では極々普通に行われている略奪行為だが、現代人の感覚を併せ持つ俺にとっては信じがたいものである。戦では許せても、戦ではない時にこうして襲うのは気分が悪い。
略奪と言うには酷かもしれないが、襲われている人間を助けないわけにはいかない。
俺は急いで駆け寄ると、老人は痛そうに足を押さえていた。
「大丈夫か?」
「危ないところを救っていただき、感謝致します。ただ、足が……」
顔をしかめつつも、言葉遣いが丁寧で、育ちが良いことが窺える。しかし、足を押さえるその姿には悲痛なものを感じた。
「足が……折れているのか」
痛々しい様子を見てすぐ分かった。右足が折れている。
「ええ、おそらくは……」
「よし、わかった。俺が背負って垂井の町まで連れて行こう」
そう言って俺は老人の目の前でしゃがみこんだ。家臣が驚いて固まっているのが視界に入ったが、気にしない。
「申し訳ございませぬ」
「気にするな。それより、早く手当せねば」
俺が背負おうとすると、肩の上に手がのった。光秀だ。
「正吉郎様が背負うのならば私が背負いまする。主君にやらせるなどあってはなりませぬ」
「俺が1番若いのだ。ここまでお主らは重い荷物を運んでおる。これくらいはやらせてくれ」
俺は肩の手を外し、強引に老人を背負いながら立った。俺は膝を伸ばし、手をこちらに向ける光秀から一歩離れた。
俺の様子でその堅い意志を感じた光秀は、ついに諦めたようでゆっくりと肩を落とした。
ここまでずっと年上に荷物持ちをさせていたのだ。心が痛まないわけがない。平道を歩くだけでも疲れるのに、重い荷物をずっと持ったままというのは想像し難い辛さがあると思う。
この時代の馬は小さく、重い荷物は多く運べない。持てない荷物は人間が持つのだ。
今回の尾張訪問はお忍びに近い。もちろん織田家には手紙を送っている。だが、斎藤家に寺倉に仇なす者がいないとも限らない。ということで人数も10人程で、兵を連れてはこなかった。
俺はそのまま垂井の町へと入った。町は寺倉よりは劣るものの、それなりに栄えているように見えた。領主は善政を敷いているのだろう。笑顔と活気にあふれていた。
関所を通過して中に入ると、俺が老人を背負っているというのと、供を連れているということもあり、やたらと人目を引いた。流石に自分で医者を探すのも憚られる。
そう思っていたら、家臣の1人が近くにいた町人らしき者に話しかけた。町人にしては身なりが良すぎる気がしたが、そういった人間の方が信用できると踏んだのだろう。
「そこの娘さん。この辺にある町医者の家をご存じないか?」
その娘の眉がピクッと一瞬動いたのがわかった。その様子を見て違和感を覚えながら、俺はその娘の顔を見つめた。
「……ご案内しましょう」
その娘は目を瞑り数秒俯いたのち、俺たちを促すように歩き出した。
町医者の家はすぐだった。すぐに手当てをしてもらうよう、老人を引き渡した。襲われていたことを考え、一応代金をこっそり払っておいた。
「この度は我が垂井の民を介抱していただき、誠にかたじけない」
娘は頭を下げた。
「申し遅れましたな。私はここ、垂井の領主、竹中遠江守重元の嫡男、竹中半兵衛重治と申しまする」
俺はその名前を聞いた瞬間、瞬時に気づいた。そして自らの顔が青くなっていくのを感じた。竹中家の嫡男。無礼を働いた上にその領地に少数でいるのだ。手打ちにされても文句は言えない。
「わ、我が臣が無礼を。申し訳ない!」
俺は慌てて直立不動になり、その後45度きっかりで頭を下げた。背中は冷や汗で濡れ始めていた。
顔を下げつつ横の家臣を見ると、同じく顔が青くなっていることがわかった。視界を広げると、半兵衛の背後には小姓が一人控えていたことに、この時初めて気づいた。
半兵衛は見た目こそ女に近いが、れっきとした男である。最初見たときは薄幸の少女という感じの印象だった。半兵衛はよく女に間違えられたという話が後世にも伝わっていたし、その上その容姿のせいで斎藤龍興らに侮られ冷遇されたというのだから、尚更申し訳なく思った。そう言われれば確かに男に見えてくる。
「もう気にしておりませぬ。私は女と言われることに慣れております故。頭をお上げくだされ」
そうやって赦しの言葉を得た。家臣たちは一様にホッとした表情を浮かべた。そして一度息を吐き落ち着いたところで、改めて自己紹介をした。
「私は近江国鎌刃領主、寺倉掃部助蹊政と申しまする」
「なんと。あの寺倉家の御当主でございましたか。噂はかねがね。そうとはつゆ知らず、失礼いたしました。今回はどのようなご用件でここにいらしたのですか?」
今度は半兵衛が頭を下げた。
竹中家は近江国の国境近くに位置する垂井を治めている。そのため、近江国の情報も逐一入ってくるのだろう。
「尾張の織田家をご存じでしょうか?」
「ええ、もちろんでございまする」
「新年のご挨拶を、と思いまして織田家へと向かう途中なのでございます」
「なるほど、そういうことでございましたか。では、本日は我が竹中家の屋敷に逗留されては?我が民を介抱していただいたお礼も兼ねて、ぜひお越しくだされ」
ちょうどどこに泊まろうか迷っていたところだ。その提案は願ったりだ。
「ではお言葉に甘え、厄介になりましょう。よろしくお願いしまする」
「ではこちらへ」
半兵衛は笑みを浮かべ一度頷いた。
今度はしっかりと俺の顔を見ながら、促すように歩き出した。
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