婚礼②
「何?!市姫がいなくなっただと?」
婚礼が全て終わった翌日。急に市姫が城から姿を消した。どこを探しても見つからないというのだから、十中八九城から出たに違いない。
「見張りは何をしていた!」
俺は焦燥を声に乗せる。市姫に何かあれば、寺倉家は隔意と取られて手切れを宣告されてしまう。六角、一色と敵に挟まれる寺倉家に、織田と相対する余裕があるはずもない。
「それが、見張りは市姫の顔は隠されており、さらに話しかけ難い異様な空気を纏っていたために声をかけなかったようで……」
婚礼の形式が裏目に出たということか。確かに俺の前に来るまで他の者には顔を見せてはいなかった。
「くっ……。市姫に万が一のことがあれば寺倉家は終いだ!全霊をかけて隈なく探すのだ」
俺は制止の声に目もくれず、市姫を探しに全速力で駆け出した。
鎌刃城下をくまなく探し、郊外にまで出てきた。腰に差した刀以外は何も携帯せずに一目散に走ってきたため、平服に刀という無腰に近い格好だ。休みなく走り続けたこともあり、身体は徐々に重しを帯びてきた。肩で息をする。諦念に苛まれそうになる己を首を振る事で律した。
鎌刃城は山城であり、複雑な地形を持っている。初見で城下に出る為には多大な時間を要する。恐らくは遠くには行っていないはずだ。
(あれは……!)
そしてようやく市姫らしき姿を視認した。俺は切れる息を気にも止めず、足を全力で動かした。
しかし様子がおかしい。近くには怪しげな男の姿があった。 年齢は30代だろうか。市姫と親しげに話しているわけではなく、むしろ嫌そうな顔で接している。そして市姫は短剣を構えていた。男は身なりも悪い。俗に言うチンピラにしか見えない。
「何をしている!」
「あ?」
俺の声に男は振り向いた。その声に気づいた市姫も俺の顔を見て豆鉄砲を喰らったように瞠目する。
「え、掃部助様……?」
「なんだ、お前?」
「俺は寺倉掃部助蹊政だ。鎌刃の住民であれば知らないわけはないだろう」
「寺倉……?ふん、聞いたことがないな。俺らは世では河原者と呼ばれている者でな。その辺には疎いのだ。身なりのいい女を見つけりゃ手を出さぬわけがなかろう」
寺倉と言う名は知っているのか、一度眉を吊り上げたのち、わざとらしく鼻を鳴らした。
市姫はさすが武家の娘と言うべきか、辛そうに顔を顰めつつも、小刀を構えて牽制し、被害といった被害は確認できなかった。少し遅れていれば手遅れになっていたかもしれない。俺は思わず胸を撫で下ろした。
「童を襲って恥ずかしくはないのか!」
「ふん。関係ないな。そんなこと、気にしているほど余裕はないのでな。お前がこれ以上邪魔すると言うのなら容赦はしない」
その目には童に対する嘲りというものが感じられた。童2人など一網打尽にできるという自信が窺える。
「話が通じないようだな。それでは致し方ない」
俺は普段の稽古の成果を見せる時だと、全力を持って切りつけた。しかし、男にも河原者特有の泥臭さがあり、俺の剣戟を何度も避ける。
「お前は剣術はそこそこやるようだが、人を殺す剣筋ではない。さては人を切ったことがないな?」
ご名答だ。しかし、そんな言葉には一切動じる事なく、俺は軽やかな体躯で仕掛けていった。身体が重いのは、市姫を探すべく走り続けたのが祟ったからか。
だが。俺は毎日訓練を重ねている。自分が童に過ぎず、剣筋が人を殺すものではないとしても、河原者になど負けるわけにはいかない。
しかし、男も必死であった。その日その日を生き抜くのに必死なのだ。継ぎ接ぎだらけの服の隙間から窺える細い腕に、俺は戦国時代の現実を垣間見た。男は錆に塗れた刀を振り回し、お世辞にも俊敏とは言い難い俺の身体を何度か捉えた。その度に血が噴き出すも、気にしてはいられない。これは命のやり取りなのだ。一瞬でも痛みで怯めば、相手が河原者と言えど敗北は必至だ。とはいえ軽めの服装だったのは失敗だったな。かなり痛い。これはもっと訓練しないと戦じゃ生き抜けない。
そしてついに俺の刀は胴を捉えた。直前に横へと避けようとしたからか、致命傷とはならなかったが、それでも痛そうに横腹を抑えて後ずさる。俺は素早く首筋へと刀を当てて問いた。
「お主ら、日々の生活に困窮しているのだな。このような狼藉を許してしまうのは、世が乱れているからであり、お主らに罪はない。我が目指すは皆が裕福で、笑顔の絶えぬ世だ。それを享受するのは我らだけでなく、お主らも含まれている。我はお主らのような身寄りのない河原者や流民を寺倉家では受け入れよう。そしてお主らのための街を作ろう。今暫く我を信じて待ってはくれぬか?」
「……仕方ねえ。お前がそう言うのなら、少しだけ我慢してやる」
男は持っていた刀を力なく下ろし、肩を落としながらそう言った。
俺は他の人間にもその旨を伝えさせるため、その男に一旦帰らせることにした。居を置いている場所を聞き、準備ができたら伝えるつもりだ。
後ろに立っていた市姫は小刻みに震えていた。俺は糾弾するかの如く、刺のある口調で尋ねる。
「それで、なぜこのようなところに?」
「……」
「言って下さらなければ分かりませぬ」
12歳で故郷以外の訳も分からない場所へと飛ばされるのが、いかに孤独なのかは痛いほどわかる。俺も20歳でこの世に飛ばされてきたが、当初は底無しの不安に苛まれていた。
「その歳で故郷からお一人でこのような場所へ来るのは不安でしょう。ですが……」
俺は柔らかな口調に戻り、諭すように告げる。
「そういうわけではございませぬ!」
「……涙が流れておりまする。それで隠そうなど無理があるかと」
「私は武家の娘でございます!間違えど弱味など見せてはいけぬのです!」
「それは三郎殿が言っていたことなのか?」
俺は口調を厳しくする。そんなことはない。そう言いたかった。
「......」
しかし、俺の口から出てきた言葉は、その意思とは裏腹なものだった。いや、これは本心だった。
「弱味を見せない?だったら男の俺はいつも家臣に頼ってばかりで、1人では何もできないか弱い男だ!それを知って幻滅したか?されても仕方がないよな。武家の人間は弱味を見せてはいけないのだからな!」
俺は捲し立てるように言う。
「しかし......」
「しかしもかかしもない!市、君はまだ数え13だ。例え親に決められた婚姻だったとしても、内心嫌で仕方がなかったのだろう?そう思っているなら全て俺に言ってくれ!俺には何もできないが、何も言われず腹の内に隠されるよりはよっぽどマシだ!」
「そんなことは……!」
「ない、と言い切れるのか?だったらこんなところまでお供も連れず来るわけがないよな?弱みを見せないためにここまで一人で来た、というのならばそれは大きな勘違いだ。君は何があろうと結局は政略結婚の駒だ。それがこうして危険に晒されたとなれば、迷惑を被るのは寺倉家だ!それを分かっていたのか?」
「……分かっておりませんでした」
熱を帯びていた俺の言葉は、市の萎れた表情を見て落ち着いた。
「……ごめんな。言い過ぎた。だが、分かって欲しい。俺は何があっても市の味方だ。それだけは信じて欲しい。あと、俺にだけは弱味を見せていいんだ。俺には隠す必要はない。いや、むしろ見せて欲しい。それが夫婦ってものだろう?」
数秒の沈黙。気がつけば市の目からは大粒の涙がポタポタと流れ出していた。
「正吉郎さま...... 正吉郎さまぁ.......。ごめんなさい......ごめんなさい」
市はその声で周りを憚らず泣き出した。周りには静寂しかないから問題はない。俺は思う存分吐き出せと背中をさすっていた。
「.......落ち着いたか?」
俺は頭を撫でる。俺は生きた年数だけは市の3倍ある。それなのに泣かせてしまい、今更ながら後悔の念がこみ上げてくる。
「はい」
「ごめんな」
「なぜ正吉郎様が謝るのです。悪いのは全て私でございます」
「市の不安を放っておいたのは俺だ。市は悪くない」
年下の女の子相手に怒鳴ってしまった。今思い出しても恥ずかしさしかない。
「ふふっ」
「ははは」
しかし、どちらが悪いかなんて言う議論はどれだけ生産性がないことか。互いに譲り合う姿を見て、俺たちは顔を見合わせて笑ってしまった。
「市、俺の妻になって欲しい」
俺は再び言った。これは男として言わなければならない言葉だろう。
「……はい、謹んでお受けいたします」
市は俺に向かって微笑んだ。
この日、俺たちは真の夫婦となった。
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