和睦② 統治体制

近江国・鎌刃城。


5月13日の夕暮れ時、光秀は佐和山城から帰還した。既に重臣たちを召集して待機していた俺は、光秀から報告の第一声を待った。


「正吉郎様。和睦、成りましてございまする」


「良し、良くやった! して、和睦の条件を聞かせてくれ」


「六角家からは、犬上郡の多賀郷、甲良郷と彦根東部の山間部に加えて、佐和山城の北にある物生山城一帯、そして松原湊の占有権の譲渡にございまする」


「「「な、何と!!」」」


交渉事とは言え、予想を大きく上回る成果に、重臣たち全員が驚いて見合わせた。


「十兵衛。それらを合わせると、寺倉領は6万石ほどになる。誠に素晴らしい成果だ」


「ははっ、勿体なきお言葉にございまする」


「明智殿。如何にして六角家からそれほどの譲歩を引き出したのでございますか?」


堀秀基が真剣な表情で訊ねる。


「此方は事前の打ち合わせのとおり、六角右衛門督を始めとする武将の遺体、それと捕虜の兵の引き渡しのみにございまする」


「まさか、それだけにございますか? 後藤但馬守はそれを承諾したのですか?」


「左様。最初は犬上郡、愛知郡、神崎郡の3郡を要求した後、そこから少し譲歩を見せて、但馬守殿の妥協を引き出すことが出来申した。これは正吉郎様から授かった助言によるものにございまする」


犬上郡、愛知郡、神崎郡の3郡は、六角にとって到底受け入れられない要求のはずだ。俺も光秀がまさかそこまで吹っ掛けるとは思っていなかった。精々、犬上郡と愛知郡の2郡の要求くらいかと思っていたが、それは後藤賢豊も同じだったはずだ。


俺は交渉術として光秀に「ポーカーフェイス」も授けたのだが、初対面でポーカーフェイスの光秀から過大な要求を突き付けられた賢豊は、相手の考えが読めずに不気味に感じたに違いない。


完勝した立場とは言え、格上の交渉相手に気圧されずに、堂々と吹っ掛けられる光秀の肝の太さは驚くに値するな。予想を超える要求をしたことにより、ここまでの譲歩を引き出せたのだろう。もちろん同じ相手に二度は通用しない手ではあるがな。


それに、坂田郡の米原一帯が六角の飛び地になったことも大きい。これで米原は寺倉家と浅井家に南北を挟まれる形となったが、米原は弱小の国人領主が集まっている土地だ。彼らにしてみれば、六角に見捨てられたと考えても不思議ではない。


後藤賢豊も米原の国人衆を烏合の衆と見なし、切り捨てるのも已む無しとの苦渋の決断を下したのかもしれないな。そうなると、俺や浅井家が米原の国人衆に調略を仕掛ければ、交渉次第では密かに味方に付く可能性も十分にあるだろう。


「何と、正吉郎様の助言にございますか。さすがは"鳳雛"にございますな。外交においても非凡な才をお持ちですな。ですが、領地が広がれば統治するのも容易ではございませぬ。当面は新たな領地の内政に専念し、領民を慰撫すべきかと存じまする」


浅井巖應は興奮で顔を紅潮させながらも、内政担当官らしく、大きく拡大した領内の統治について、毅然とした口調で進言した。


「うむ。巖應の申すとおりだな。現状でも寺倉郷を初田秀勝に任せているが、鎌刃城で新たな領地全てを統治するのは無理があるだろう。故に領地を幾つかに分けて、家臣たちを代官に任じて統治しようと思う。具体的には今夜一晩考えて、明日の定期評定にて発表するつもりだ」


「なるほど、重臣たちを代官や城代として各地の統治を任せるのですな。良き考えかと存じまする」


こうして、和平交渉の報告が終わり、俺はその夜は今後の統治体制についてじっくりと検討した。



◇◇◇



翌5月14日。俺は定期評定にて寺倉領の新しい統治体制を発表した。これは「寺倉郷の戦い」で戦功を挙げた大倉久秀、堀秀基、初田秀勝の3人への褒賞も加味した内容だ。


「まず、『寺倉郷の戦い』にて殊勲甲の大倉源四郎には、六角領に隣接する最前線の甲良郷の代官に任命する。甲良郷にある勝楽山城と尼子城の管理も任せる」


「はっ、ありがたき幸せに存じまする」


「次に、その北側の多賀郷の代官には堀遠江守を任ずる。多賀郷には篭城山城と桃原城があるが、遠江守には篭城山城の管理を任せる。離れた山中にある桃原城は引き続き中藤権作を城代とする」


「はっ、ありがたくお受けいたしまする」


「そして、初田秀勝だが、初田家は寺倉家の一門で他に代わる者がおらぬため、寺倉郷代官のままとし、感状と報奨金を与えるものとする」


「はっ、私は寺倉郷の代官を任せていただけるだけで幸せに存じまする」


初田秀勝には事前に話をしたが、本人も寺倉郷代官のままを望んだので正直助かった。


「うむ。それと、新たに得た松原湊と物生山城だが、佐和山城の北の支城であった物生山城を強化し、大きな城に増築する。そして、松原湊との間に城下となる港町を整備し、寺倉家の新たな経済基盤とするつもりだ。これまで交易は陸路のみだったが、これからは淡海を使った交易も増えるだろう」


俺がそう言うと、皆が頷いて賛同する。


「そこで、浅井巖應。お主を物生山城の城代に任じる故、物生山城の改築を命じる。小谷城を堅牢な要塞に改築したお主ならば、物生山城も任せられる。頼んだぞ」


「はっ、正に私の出番にございますな」


「無論、領内はすべて寺倉家の直轄領である故、年貢も寺倉郷や鎌刃城下と同じく四公六民とし、領民の暮らしを豊かにすることを第一に考えて治めてくれ」


「「「はっ、承知いたしました」」」


「そして、物生山城が完成した暁には鎌刃城から再度居城を移すつもりだ。その際には鎌刃城は堀遠江守、誰よりも鎌刃城のことを知るお主に城代を任せるつもりだ。それまでは多賀郷の代官を頼んだぞ」


「はっ、誠にかたじけなく存じまする。ですが、物生山城は佐和山城の目と鼻の先にございますれば、正吉郎様に危険が及びかねませぬぞ」


「ああ、そうはならぬように難攻不落の堅城にするつもりだ。石垣の建造で高名な穴太衆を雇い、新たな石垣を組んで城を拡張する。さらに、寺倉郷の堰堤や城壁を築く際に石灰石の粉を使ったが、それを築城にも利用すれば天下一の堅城も夢ではないだろう」


「左様でしたか。承知いたしました」


「それと、松原湊が商いで大きな収益を上げられるよう、十兵衛を松原湊の代官に任じ、松原湊の統治と港町の整備を任せる」


「はっ、承知いたしました」


光秀が頭を下げて応諾の返事をすると、今後の統治体制が固まった。




◇◇◇




尾張国・清洲城。


「正吉郎が勝ったか」


5月16日。織田信長は丹羽長秀から寺倉家が六角家との戦で勝利したとの一報を聞き、満足そうな笑みを浮かべて呟いた。


「はっ。六角軍の兵は四分の一が討死する惨敗であったのに対し、寺倉軍の被害は皆無で完勝との由にございまする」


「ほう、思ったよりも中々やるではないか。俺の見立ては正しかったようだな」


「さらに六角家の嫡男、右衛門督が討死し、和平交渉にて右衛門督の遺体との交換により、六角領から4万石以上の領地を割譲させ、寺倉家は6万石まで領地を拡大したとの由にございまする」


信長は相槌を打った後、静かに笑い出した。


「クククッ、面白い。6万石ならば寺倉家も大名の仲間入りだ。直ぐに市の輿入れの支度をさせよ。6月上旬に婚礼を執り行う。寺倉家にも伝えよ」


「はっ」


こうして寺倉家と織田家の婚礼が正式に決定し、日取りは6月上旬と画定された。

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