和睦① 交渉術

近江国・鎌刃城。


「寺倉郷の戦い」の翌日の夕方。鎌刃城に蒲生家の使者が蒲生定秀の手紙を届けに来た。


やはり来たか。もし六角が和睦しようとするならば、まずは和平交渉をしようという打診が必要だ。だが、勝った此方が打診すれば六角に足元を見られるので、それは避けたい。六角から打診するとなれば、元主家の蒲生家からだろうという読みのとおりだ。


手紙を読むと、六角家中では義賢は猛反対したようだが、最終的には和睦すべしとの結論に至ったようだ。『六角義治を討ち取り、六角軍を完膚なきまでに叩き潰したことにより、父の恨みを少しは晴らせたであろう。ならば、これ以上の対立はお互いの利にはならないので和睦しないか?』というのが定秀の言い分だった。


手紙には義治の遺体の返還を急ぎたいので、明後日の5月13日の正午に佐和山城にて和平交渉を行いたいとあり、六角の使者は後藤賢豊が務めるそうだ。お互いの立場も理解できるので焦らしても意味はない。ここは昨日の重臣会議で決めたとおり和平交渉に応じるとの返書を使者に渡した。


その日の夜は戦勝の祝勝会が開かれた。乾杯の前に俺から、明後日に佐和山城にて和平交渉が行われることを伝え、大倉久秀、堀秀基、初田秀勝の3人には交渉の結果を踏まえて戦功の褒美を取らせると約束した。


その後の祝宴では、久秀ら3人は皆からの称賛を浴びてご機嫌の様子で、戦の模様を俺たちに詳細に語って聞かせながら、浴びるほど酒を飲んで酔い潰れていた。




◇◇◇




近江国・佐和山城。


坂田郡と犬上郡の境に立地する山城であり、東山道と北国街道が合流する畿内と東国を結ぶ要衝にある、六角家にとっては最北端の重要な軍事拠点でもある。


5月13日正午。佐和山城の広間に2人の男が向かい合って座っていた。「六角六宿老」の一人、後藤賢豊と、明智光秀である。間違いがあってはいけないので、2人とも刀は身に着けてはいない。


「明智十兵衛光秀と申しまする」


「後藤但馬守賢豊にございます。此度は和平交渉に応じていただき、かたじけない」


そう言うと、六角家の宿老という高い身分の賢豊が会釈する。戦では惨敗を喫した敗者である以上、下手に出て相手の出方を伺おうという様子見の考えであった。


「……」


それに対して、光秀は感情のない表情で沈黙で応えたが、しばしの静寂の後、戦の勝者である光秀が徐に口を開いた。


「……では、先に此方の求める和睦の条件を話させていただきたく存じますが、宜しいでしょうか?」


「ああ、それで構わぬ」


賢豊は小さく首肯する。敗者とは言え、六角家の使者として毅然とした態度を崩さないのは流石という他ない。


「寺倉家が求めますのは、犬上郡、愛知郡、神崎郡の3郡にございます。此方は六角右衛門督殿を始めとする武将の遺体を返還いたしまする。それと、重傷を負いながら命を取り留めた捕虜の兵30人ほども返還いたしまする」


「……貴殿は本気で申しておるのか?」


丁寧な口調で応じてはいるが、賢豊は険しい表情に変わっていた。


それもそのはず、犬上郡、愛知郡、神崎郡の3郡全てを合わせると石高は17万石にも上るのだ。常識では考えられない要求であった。


「ふっ、いくら四郎様のご遺体との交換とは言えども、さすがにそれは余りに強欲が過ぎるのではあるまいか?」


賢豊はすぐさま拒否するが、その後に無表情の光秀が追い打ちを掛ける。


「左様でしょうか? これは私共の最低の条件にございますぞ。……もし断られるのならば、六角右衛門督殿の遺体を城下に引き回し、石打ちの上、晒し首にしても宜しいのですぞ?」


冷静な表情を崩さない光秀の冷酷な言葉に、賢豊は震撼しながらも首を左右に振る。


「……その若さで何と恐ろしいことを申す。だが、その条件はどうあっても受け入れることはできぬ」


感情を顔に一切表さない光秀の様子に、賢豊は『此奴なら本当にやりかねない』と感じ、光秀に気圧されて冷静さを欠いてしまう。


だが、六角家の嫡男の遺体が領民に石打ちされた挙句に晒し首にされる醜態を晒したとなれば、近江守護たる六角家の面子が丸潰れとなり、六角家の威光が地に堕ちるのは明らかである。


そうなれば、六角義賢も再び寺倉討伐を強硬に主張するだろう。その結果、三好家や織田家に挟撃されるという最悪の事態が賢豊の頭を過ぎる。それだけは何としても避けなければならない。


「では、犬上郡、愛知郡の2郡に譲歩いたしましょう。如何ですかな?」


光秀が神崎郡を諦める譲歩案を示すが、それでも12万石以上ある。賢豊はしばし悩んだ末、ようやく口を開いた。


「……此方が出せるのは、犬上郡の多賀郷と甲良郷、それと彦根東部の山間部だ」


これは犬上郡の7割の面積を占めるが、東の山間部が多いので多賀郷と甲良郷の石高は4万石ほどに留まり、光秀の要求と大きく掛け離れた回答であった。


「それならば此度の交渉は決裂ということで致し方ありませぬな。四郎殿の遺体は此方で自由にさせていただきまする」


光秀の要求どおりに17万石もの領地を割譲するなど、そんな条件を認めようものなら「六角六宿老」と言えども、賢豊が六角義賢から責めを負うのは目に見えており、到底不可能な条件を突き付けて、わざと交渉決裂を狙っているとしか思えなかった。


だが、光秀はこの期に及んでも冷然とした表情で妥協する様子は見せずに、賢豊の目を見据える。


「くっ、ぐぬぬ……待たれよ。多賀郷、甲良郷と彦根東部の山間部に加えて、この佐和山城の北にある物生山(むしやま)城一帯、そして松原湊の占有権を譲渡しよう」


佐和山城だけは六角家の重要拠点のため譲る訳には行かなかった。六角家が京極家と争っていた時には「佐和山を制する者が近江を制す」とまで言われた要衝である。佐和山城を譲れば六角家の北近江における支配的地位が失墜するのは明らかだ。


だが、それでも支城の物生山城を譲るだけでも相当な痛手であり、佐和山城は東の鳥居本側に城下町が発展を遂げていたが故に、「近江三湊」の一つである松原湊を失えば貴重な収益源を失うと理解しつつも、賢豊は佐和山城を死守する代わりに松原湊を提示する苦渋の決断を下すに至った。


「……」


「明智殿。これが限界だ。これ以上は左京大夫様から許されておらぬのだ。……頼む」


だが、黙ったままで是非を告げない光秀に、賢豊は深々と頭を下げると、苦しい声を絞り出した。


「……分かり申した。貴殿の首が飛ぶのは本意ではございませぬ故、それで妥協いたしましょう」


「かたじけない」


賢豊の必死の懇願にようやく光秀は妥協した。これ以上良い条件を引き出そうとしても、むしろ悪い結果を生みかねない。引き際は弁えつつの交渉であった。


これは、始めにわざと高い要求を提示し、相手を心理的に圧迫した後に、要求を引き下げて相手に納得感を得させて合意させる「ドア・イン・ザ・フェイス・テクニック」と呼ばれる交渉術であり、正吉郎から昨日教わったばかりの助言であった。


交渉の結果、寺倉家は松原湊という商業拠点となる湊を手に入れ、甲良郷と多賀郷に山間部が大部分ではあるが彦根の東部も得て、鎌刃城と寺倉郷の細長く歪だった寺倉領が、広さに関してだけ言えば小大名と言える勢力になったのである。


さらに、この領地割譲によって米原の平野部が六角家の飛び地となり、結果的に六角家の戦力を分断することにも成功した。


こうして、六角家と寺倉家の和睦が成立し、寺倉家は想定よりも多くの戦果を得て、戦の終結を迎えたのであった。

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