寺倉郷の戦い③ 凱歌と使者

「「ダダーン、ダダーン、ダダーン……」」


今も自分たちに向けて容赦なく銃弾の雨が間断なく襲ってくる。当然のことながら、義治の遺体を回収したいところではあるが、回収に向かえば自分たちも死ぬのは避けられない。


(四郎様。申し訳ございませぬ……)


「ぐっ、已むを得ぬ。退却だ! 全力で退くのだぁー!」


定武は副将として苦渋の決断を下し、辛うじて立っている将兵たちに号令を発した。


六角兵は我先にと逃げ回って四散し、既に軍としての形は崩壊していた。それもそのはずで農民兵ばかりの六角兵は、負ける可能性など万が一もない戦だと聞いて、絶対に勝つと信じて疑わなかったのだ。予想だにしない死地に追い込まれた六角兵は、ただ生き残るために必死であり、敵前逃亡を咎められる者など誰もいなかったのである。


それでもなお銃声は鳴り響いたが、義治の討死から15分ほどが過ぎると、やがて銃声も収まり、街道には立っている人影は無くなった。だが、生きている人間がいない訳ではない。


「う、うぅ……」


「誰か……助けてくれ……」


六角軍が退却した後の街道には、500mほどに渡って数百もの六角兵の遺体が無数の小石に埋もれるようにして横たわり、凄惨な状況となっていた。


その遺体に混じって、血に塗れて痛みに呻き声を上げる六角兵も少なからずいた。だが、もはやその命の灯が残り僅かなのは、誰の目にも明らかだった。


やがて街道の両側の斜面から疲労困憊な様子の寺倉軍の兵や領民たちが用心深そうに次々と下りてくる。


「お、終わったのか? で、俺たちは勝った……のか?」


「ああ、どうやら……そのようだな」


「おぉ、六角に勝ったぞぉー!」


「皆の者! 俺たちの、寺倉家の勝利だぁ! 勝ち鬨を上げよ!!」


「「「えい! えい! 応ォォォーーー!!!」」」


大倉久秀が声も高々に勝利の宣言を発すると、狭い谷合に兵や領民たちの歓声が一斉に轟き渡った。正吉郎の軍略を駆使した鮮やすぎる大勝利に、寺倉郷の領民たちは口々に『流石は"神童"様の知謀だ』と称え、奇跡的な勝利に大いに沸き立ったのであった。


こうして、六角家による寺倉家討伐は惨敗とも言える失敗に終わった。寺倉家の被害は掠り傷程度で皆無なのに対して、六角家は兵2千の内、戦死者500、重傷者300という壊滅的な被害を被ったのである。


寡兵が大軍に勝利した事例は過去にも幾つかあるが、これほど見事な圧勝は過去の歴史でも類を見ない。六角家が寺倉家という小さな国人相手に完敗を喫したとの報は、近江だけでなく、畿内中にも瞬く間に伝わり、激震が走った。


後に、この戦いは六角家滅亡の端緒として「寺倉郷の戦い」と呼ばれ、同時に寺倉家と寺倉正吉郎を歴史の表舞台へと押し上げた戦として知られることとなる。



◇◇◇



近江国・鎌刃城。


ドタドタドタ……。


未の刻過ぎ(午後3時頃)、珍しく足音を立てて勢いよく大広間に入ってきたのは伝令兵ではなく、諜報担当官の植田順蔵だった。


「正吉郎様! 我ら寺倉軍の勝利にございまする!!」


重臣の順蔵が第一報を伝えるとは、よほど早く俺に伝えたかったのだろう。その額には大粒の汗が浮かんでいる。


「順蔵、それは真か! して、我が軍の被害は?」


「正吉郎様、お味方の被害は皆無にございます。それに対し、六角軍の戦死者は500を超えましょう。さらに敵大将の六角右衛門督を討ち取る大戦果にございます! 正に無傷の大勝利にございまする!!」


六角義治が討死したという報せには驚いたが、それよりも味方の被害が皆無だったというのが一番嬉しい。俺の脳裏には鎌刃城攻めで戦死した者の遺族の嘆き悲しむ姿が、未だに焼き付いているからな。今回は一人も悲しまずに済むのだ。こんなに嬉しいことはない。


「何と! 良し! 良くやったぁ!!」


六角軍の撃退が戦の第一目標だったのだが、思いも寄らない大戦果だ。陪臣だった国人領主に大敗を喫した上に、次期当主の六角義治が討死したのだ。先代の管領代・六角定頼以来の六角家の威光にも陰りが出て、六角義賢の権威も崩れ始めるだろう。


予想を遥かに超える戦果に、俺以外に鎌刃城で戦の結果の報せを首を長くして待っていた明智光秀、浅井巖應、箕田勘兵衛、西尾藤次郎ら重臣たちも目を見開いて驚いている。


「六角右衛門督を討ち取ったのでございますか!」


「正吉郎様、やりましたな!」


「「正吉郎様、おめでとうございまする!」」


光秀がこれほどの満面の笑みを俺に見せるのは初めてだ。俺も口元が緩まるのを抑えられない。あの六角を手玉に取り、大勝利を収めたのだ。


「ああ、まさかこれほどの戦果は予想しておらなんだ。源四郎は良くやったな。後で褒美を取らせねばな」


「左様にございますな。無論、堀殿や初田殿にも褒美は必要にございますぞ」


俺は胸中の喜びを吐き出すように、この戦を指揮した大倉久秀を手放しで褒めると、光秀が堀秀基や初田秀勝の名前を忘れずに挙げた。


「ああ、無論だ。では、戦勝の祝宴は明日の夜に開くとして、その前に今夜中に評定を開いて今後について話し合いたい。源四郎たちも疲れておろうが、至急皆を集めてくれ」


「「はっ、承知いたしました」」



◇◇◇



戌の刻(夜8時頃)、鎌刃城に重臣たちが集結した。


大倉久秀、堀秀基、初田秀勝の3人は疲れた様子も見せずに寺倉郷から鎌刃城に移動してくれた。俺が3人に感謝の言葉を伝えて戦の労を労うと、満面の笑顔を見せていた。


「よし、皆集まったな。では、これから寺倉家の方針、特に六角に対してだが、何か意見のある者はおるか?」


「はい。まずは私から申し上げます」


俺が皆に意見を求めると、意外にも浅井巖應が一番先に声を上げた。


「此度の勝利は寺倉家にとって非常に大きく、これで寺倉家の名は近江どころか、畿内中に知れ渡るでしょう。ですが、この勝利は六角の名前に小さな傷を付けただけに過ぎませぬ。故に、寺倉領から出て、六角と戦い続けるのは得策ではございませぬ。我らが六角領に攻め入れば、今度こそ万を超える圧倒的な兵力で完膚なきまでに潰されましょう」


「うむ。さすがに調子に乗って、此方から六角に攻め入るのは愚の骨頂であろうな」


「はっ、しからば、ここは和睦を結ぶのが良いかと存じます。此方は攻め込んでも勝ち目はない。対する六角は此度の敗北により足元を揺るがされ、背後の三好が動くのを恐れております。さらに、寺倉家は六角の同盟相手の織田家とこれから婚姻同盟を結ぶ相手でもございますれば、和睦を結ぶのは難しくないかと存じまする」


巖應が珍しく長々と発言した。まぁ、仇敵でもある六角をコテンパンにして追い払ったのだから、それも当然か。努めて隠しているが、巖應の欣喜雀躍とした心中は想像に難くない。いや、僅かに口元が緩んでいるな。


「ふむ、巖應の申すとおりだな。ただ、和平交渉で此方に有利な条件を引き出せるかどうかは微妙なところだが……」


俺は皆の顔を見渡した。有利な交渉を行うには巖應では六角から舐められるし、堀家は元は六角に仕えていたし、武闘派の久秀は論外だ。となれば、やはり……。すると、俺が目を向ける前に、光秀が声を発した。


「私が参りましょう」


史実では謀略や内政だけでなく、外交にも優れた手腕を発揮した光秀だ。正にここが力の見せ所だろう。光秀は六角には初対面なので、幾らでも印象を操作できるはずだ。


「十兵衛、頼めるか? 皆も構わぬな?」


俺の問い掛けに皆も首肯し、光秀が和睦交渉の使者に決まった。今後の寺倉家の行く末を決める重要な交渉になるだろう。十兵衛にはあらかじめ交渉術を授けておくとしよう。

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