尾張の風雲児③ 婚姻同盟

「クククッ。興味本位で訪ねてみただけであったが、よもや貴様のような男と出会うとは、人生とは面白いものよ。これも天命か。……貴様、嫁はいるか?」


「いえ、おりませぬが……?」


「では、我が妹の市を貴様に嫁がせよう。まさか断る、とは言わぬだろうな?」


そう言うと、信長は俺を鋭い目で睨みつける。


一方の俺は突然の縁談話に頭が付いていかずに困惑し、吃りながらも聞き返す。


「……い、妹御の市姫を、私の嫁に、と申されましたか?」


市姫。いや、お市という呼び名の方が馴染みがあるだろう。史実では戦国時代で指折りの美女として有名だ。政略結婚で浅井長政に嫁いで3人の娘を設けたが、浅井家の離反により長政とは死別した。そして、後に柴田勝家と再婚し、「賤ヶ岳の戦い」で敗れた勝家と一緒に自害したという悲劇のヒロインだ。


だが、そのお市が俺に嫁いだら歴史が大きく変わってしまう。信長は浅井家との同盟でお市を嫁がせるんじゃなかったのか? お市は信長より13も年下の妹だから今は13歳だ。今年の誕生日で満12歳となるから前世では小学5年生だぞ。そんな幼い年齢で嫁がせていいのか? いや、この時代なら決してあり得なくはないのだろうが、それにしても……。


そもそも寺倉家は独立したばかりの国人領主で、六角と敵対して危機的状況にある。いつ滅ぶか分からないような家に、信長が溺愛するお市を嫁がせるメリットがあるとはとても思えない。まさか俺の将来性を見込んで、青田買いする意図だとでも言うのか?


唯一あるとすれば、今や近江一を誇る寺倉郷の商圏くらいか? 寺倉郷は山中とは言っても西の東山道と南の八風街道に通じて、尾張からのアクセスも悪くはない。商業を重視する信長が、寺倉郷と津島との交易で利益を得る可能性を見出したといったところか。


だが、仮にそうだとしても、こんな思いつきのような形で大事な妹の結婚を決めるなど、それこそ"大うつけ"と蔑まれても仕方がないだろう。織田家臣がどんな目で見るかとか全く考慮していない。現に、下座の家臣たちは驚きの表情で信長と俺の話の成り行きを見守っている。


やはり「三英傑」の一人ともなると、凡人には到底考えの及ばない思考回路を持っているのだろう。将来の役に立ちそうならば肉親を嫁がせてでも精々利用しよう。そんなところだろうか。


「不服か?」


「いえ。滅相もごさいませぬ。ですが、条件がございまする」


「申せ」


「寺倉家は織田家が敵対する今川家と商いで友好関係を結んでおりまする」


「それがどうした?」


「織田家が今川家と戦をするのならば、この話はお受けできませぬ。今川家とは戦をしないと約していただけませぬか?」


まさか一介の国人領主にすぎない俺が尾張の大名である織田家との縁談に注文を付けることなど予想もしなかったのだろう。信長は凄まじい殺気を込めた目で俺を睨みつけた。


「……向こうから攻めて来ぬ限り、此方からは戦はせぬと約しよう。これ以上は応じられぬ。どうだ?」


「ならば、もし今川家が尾張に攻め入ってきて戦となったとしても、寺倉家は織田家にも今川家にも与しませぬが、それでも構いませぬか?」


「ふん、構わぬ。元より近江の貴様に助けを借りるつもりなど毛頭ないわ」


口約束ではあるが、信長から言質は取れた。信長からこれ以上の譲歩を引き出すのが不可能なのは、信長の目を見れば明らかだ。


寺倉家が今川家と友好関係を結んでいる以上、「桶狭間の戦い」でどちらかに加勢するのはどうしても避けたい。だが、向こうから攻め込まない限りということは、今川義元次第では「桶狭間の戦い」は起きるということだ。そうなったら俺にはもうどうしようもない。


もちろん、できることなら織田家と今川家が戦うこと自体を避けたいのだが、今川家の実権を握っている今川義元が尾張侵攻を目論んでいる以上、義元が翻意するか死なない限りは戦を回避する手段はないのが現状だ。かと言って、氏真の父親を暗殺する訳にも行かない。


それに本音を言えば、寺倉家としても織田家と婚姻同盟を結ぶことができれば、六角家の圧力を撥ね返して生き残る確率が高くなるという大きなメリットを享受できるのだ。この辺が落とし所だろうな。


「……謹んでお受けいたしまする」


そう言って、俺は信長に頭を垂れた。


「であるか。これから俺とお前は義兄弟だ。宜しく頼むぞ」


そう言う信長の目は先ほどとは別人のように穏やかな目に変わった。


「はっ、こちらこそ宜しくお頼み申します。上総守様」


「貴様はこれから俺の義弟だ。『三郎』と呼べ。俺も貴様を『正吉郎』と呼ぶ」


今日初めて会ったというのに、随分と気に入られたものだ。いや、信長は身内には甘い性格らしいので、信長の義弟となる俺は身内の扱いで『三郎』呼びが許されたのだろうな。


「承知いたしました、三郎殿。……ところで、此度の上洛ですが、もしや公方様からの上洛の要請を受けてのものにございますか?」


ふと、俺が疑問に思っていたことを訊ねると、信長の目がまた少し鋭く光った。


「ほう、何故そう思う?」


「美濃の斎藤家や越後の長尾家も上洛するとの噂を耳にしました故。公方様は昨年、三好家と和睦されてようやく帰洛されたとは言え、不利な状況には変わりございませぬ。諸国の大名を上洛させて幕府の武威を誇示し、三好家を牽制しようという思惑かと存じまする」


「くっ、公方と三好の争いのダシに使われたのか!」


公方と呼び捨てにしたところをみると、信長は幕府が好きではないようだ。将軍・足利義輝の要請に応じて上洛すれば、「尾張守護」を貰えると踏んで上洛を決意したのだろう。


「ならば、その公方様や朝廷の公家たちに謗られないために、一つ申し上げたき儀がございます。上総国は親王任国のため『上総守』を名乗れるのは親王殿下だけにございます故、称するならば『上総介』にすべきかと存じまする」


おそらく今川家当主の官位が『上総介』であるため、信長はその上の『上総守』を自称したのだろうな。確か、『上総守』を名乗って田舎者と馬鹿にされたという話を聞いた覚えがあるので、一応忠告しておこう。


「何と、左様であったか。……知らぬままであれば、京で幕臣や公家共に尾張の田舎大名と笑われるところであったわ。では、これからは『上総介』と名乗るとしよう。さすがは我が義弟というべきか。正吉郎、感謝するぞ」


「とんでもございませぬ。では、ついでにもう一つだけご忠言を。『やって見せ、言って聞かせて、させてみせ、褒めてやらねば人は動かじ』。これは明の名君が家臣を上手く統率するためのコツとして遺した言葉にございます。三郎殿は口数が少ないようにお見受けします故、三郎殿の意図が家臣に伝わらずに困ることのないよう、お気に留めていただければ幸いにございまする」


明の名君なんて架空の人物で真っ赤な嘘だ。連合艦隊司令長官・山本五十六の名言だ。元は米沢藩主・上杉鷹山の言葉をアレンジしたらしいが。


「ふむ。『やって見せ、言って聞かせて、させてみせ、褒めてやらねば人は動かじ』か。良い言葉だ。覚えておこう」


そう言うと、信長は笑みを浮かべた。


こうして、歓迎の宴は幕を閉じ、寺倉家と織田家は婚姻同盟を結ぶことになった。

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