甘藷と手紙と火薬製造
翌朝、織田信長と家臣一行は寺倉郷を出立し、上洛の途に就いた。もちろん南の街道は通行止めなので北側からだ。
そして、信長を見送った俺が屋敷に戻ると、信長の威圧に気圧されて、信長の前では口を出せなかった家臣たちが揃って俺の周りに集まってきた。
「正吉郎様。織田家と婚姻同盟を結ぶなど、正気にございますか?」
「私は正吉郎様が決められたことに否はございませぬ。ですが、正吉郎様の本意ではないのであれば……」
開口一番に発言したのは大倉久秀と箕田勘兵衛だ。他の家臣たちも織田家との婚姻同盟には承服できないという顔で頷いている。
それも仕方がないか。今の信長は尾張一国をほぼ統一したとは言っても、主君に対する無礼極まりない"大うつけ"と噂どおりの態度を見せられれば、悪印象を抱かない家臣は不忠者だろう。
「皆は織田家と婚姻同盟を結ぶ利などないと思っておるだろうが、私はそうは思わぬ。確かに織田三郎殿は"大うつけ"と呼ばれておるが、私よりも遙かに優れた英傑だ」
「「「な、何と……」」」
家臣たちは皆あり得ないという顔だが、無理もない。
「三郎殿の言動は常軌を逸しておる故、常人には三郎殿の真意が理解できぬだけだ。信じられぬであろうが、三郎殿には天下人の器がある。故に、絶対に敵に回すべきではない」
「「「まさか!」」」
いつの世でも異端者は奇異の目で見られ、排斥される。だが、後世になって彼らは再評価され、歴史は変えられてきたのだ。
「正吉郎様が仰るのならば、私は正吉郎様を信じて従いまする」
だが、光秀がそう発言すると、他の家臣たちも渋々といった様子で引き下がった。
「皆、ありがとう。織田家は必ず心強い味方になるだろう」
俺は家臣たちに感謝の言葉を告げた。
◇◇◇
近江国・鎌刃城。
「寒いな……」
信長が出立した後、俺も鎌刃城に戻った。
今冬は例年よりも暖冬だったが、寒の戻りらしく、翌日になると途端に寒さが増した。この時代の木造建築は通気性が良いため、夏は涼しくて過ごしやすいのだが、冬は寒さに凍える有様だ。毎年のことだが、何か温まる手を考えないとな。
「こんな寒い日にはホカホカの焼き芋でも食べたいな。ん? でも待てよ」
ふと、無意識に独り言が零れたが、この時代の日本にサツマイモは存在しない。琉球から薩摩に渡来したのが名前の由来だが、確か原産地は中南米で、スペイン人がルソンに運んで、明を経由して琉球に伝わるのが16世紀末のはずだ。だが、九州の博多には明の商人がよく訪れるので、もしかすれば手に入るかもしれないな。
「勘兵衛、藤次郎を呼んでくれぬか?」
冷たい寒風が抜け、常に寒気に晒される控えの間で待機している勘兵衛に声を掛けた。
「それと、勘兵衛も今日のような寒い日は控えの間で待っておらずとも良いぞ」
「いえ、いつ六角の刺客が現れるやもしれませぬ。断じて離れる訳には参りませぬ」
寒い中での護衛役には罪悪感に駆られるが、勘兵衛の鋼の意志に俺は諦めた。
「正吉郎様。西尾藤次郎、参りました。ご用件とは何でございましょうか?」
「ああ、急に呼んで済まないな。藤次郎は甘藷という芋を知っておるか?」
「甘藷、ですか。いえ、私は存じませぬ」
サツマイモはポルトガル語で確かバタタだったな。とりあえず色と形を伝えれば何とかなるだろう。
「南蛮で食べられている紫色の皮の細長い芋だが、明に伝わっているらしい。明では甘藷、南蛮ではバタタと呼ぶそうだ。博多ならば明の商人も出入りする故、探してみてはくれぬか?」
「なるほど、明の商人とは堺の実家が博多で取引をしております故、探すように頼んでおきまする」
サツマイモを探す理由は焼き芋を食べたいからだけではない。サツマイモは薩摩の火山灰土でも良く育ち、凶作時の救荒作物にもなる。確か干し芋にすれば保存食になるので、兵糧にも使えるだろう。
しかも、この時代では貴重な糖分を摂れ、菓子や料理、焼酎も作れるので、栽培してみたいと考えたのだ。鎌刃城下を得たので、サツマイモの栽培を試すくらいの土地はある。
「それは良かった。では、宜しく頼む」
藤次郎が板障子を開けて出て行く時に入る冷気を受け、本音では今すぐ焼き芋を食べたかったが、食べられるのは早くても来年の冬になりそうだ。
◇◇◇
2月下旬。尾張に帰国した織田信長から手紙が届いた。対面すると言葉数が少なく、誤解されやすい方なのだと印象を受けたが、手紙においてはそんなことはなかった。
寺倉郷を出立して上洛した信長は、やはり幕府から「尾張守護」を貰えないまま、帰路で六角の観音寺城に立ち寄ったそうだ。そこで六角義賢と対面し、六角と同盟を結んだそうだ。確か史実の「桶狭間の戦い」では、六角からの援軍もあったと聞き及んだ覚えがある。
信長が六角と同盟を結んだ理由は、今川家との戦に備えて北伊勢に勢力を持つ六角の脅威を取り除こうという意図だ。六角も三好家に対応するため、さらには寺倉家を討伐する予定もある。東の織田家と対立する余力はないため、六角も信長の提案を承允した。
そして、六角義賢は案の定、春には寺倉家を討伐しようと目論んでいるそうだ。お市との婚礼により織田家との婚姻同盟が成立する前に叩こうという算段らしく、信長も特に反対はしなかったようだ。
文面からはむしろ『六角に敗れるような男に市を嫁がせる訳には行かぬ。精々励めよ』と叱咤激励しているように感じられたが、お市との縁談は俺から頼んだ話ではないのだがな。手紙にはお市の輿入れは6月に行いたいと書いてあったが、俺も特に異存はない。
もし寺倉家が天下の趨勢を左右する勢力を保持する六角を打ち破れば、織田家にとっても家中の至る所から上がっているであろう、一介の国人領主でかつ領地を接している訳でもない寺倉家との婚姻同盟に対する不満の声を抑えられる。そして、そんな小勢力の寺倉家が雄飛したとなれば、信長の先見性に慄き、家臣の求心力は増大するはずだ。
反対に、寺倉家が敗れればそれまでだ。お市の輿入れを取り止め、今回の縁談をなかったことにすれば丸く収まる。しかし、寺倉家にとっては六角との戦いでの敗北は寺倉郷を失うことと同義であり、経済基盤を失うことに他ならない。敗北はイコール滅亡だ。何としても勝つ必要があるな。
◇◇◇
3月上旬、重臣会議が開かれ、昨年の収支報告をする財政担当官の堀秀基が、感心したような言葉を漏らした。
「正吉郎様。安い粗銅から金銀を得られるのは財政的に大きな収入源ですな」
粗銅から金銀を分離する灰吹法を知らないこの時代の日本人は、半ばぼったくりの形で金銀を海外に奪われている。
「南蛮人は自分たちの儲けのために隠しておるが、そのお陰で寺倉家は儲けられる。ふっ、南蛮人には感謝せねばならぬな。……ところで、寺倉郷の山林の小屋で4年前から勘兵衛に肥料を作らせておるのだが、実はな。本当は火薬の材料である硝石を作っておるのだ。硝石は非常に高価な故、自前で確保できれば他家よりも優位に立てるはずだ」
「「何と!!」」
「それで、硝石はできたのでございますか?」
重臣5人が目を丸くして驚くと、鉄砲に明るい光秀が身を乗り出して訊ねてくる。
「詳しい方法は伏せるが、硝石を作れるようになるまで最低4年を要する故、ようやく作れるようになる頃だ。だが、火薬を作るには硝石の他に硫黄と木炭の粉が必要だ。十兵衛、調達してくれるか?」
鉄砲に使う黒色火薬の材料は硝石、硫黄、木炭の3つだ。大よその配合比率は硝石65%、硫黄20%、木炭15%だが、硫黄は火山国の日本では安価で手に入る。
「はっ、承知いたしました」
「火薬作りはそうだな、志能便の村で行うことにしよう。順蔵、火薬の製法は後で紙に書いて渡すが、分かっているだろうが、くれぐれも極秘だぞ」
「はっ、他言無用にて外に漏らした者は厳罰とします。ですが、志能便の一族で正吉郎様を裏切るような者など一人もおりませぬ故、心配はご無用に存じまする」
確かに、俺に忠誠を誓う志能便の里であれば、火薬の製法が外に漏れる危険はまずないだろうな。
「うむ、そうか。宜しく頼んだぞ」
3月中旬になると、黒色火薬が秘密裏に生産されることとなった。
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