尾張の風雲児② 新しき世
「……ふん、まぁ良いわ。ところで、この町は商いで大層賑わっておると聞いておるが、それは真か? 今日は雪は降ってはおらぬが、かなり積もっておる。さすがに真冬は商いも休みか?」
物騒な冗談で俺を脅かして少しは気が晴れたのか、信長は話題を商売に切り替えた。
織田弾正忠家は先代当主の織田信秀が尾張最大の商都である津島湊を支配下に置いてから、急速に勢力を拡大させた経緯がある。今では熱田湊も支配下に加えて、農業よりも商業によって領内を栄えさせている数少ない大名家だ。
だから信長も楽市楽座を施行するなど商売に関心が深いのも納得だ。領地の広さこそ大きな違いはあるが、重商主義という点で俺とは相通じるものがあると感じて、寺倉郷に立ち寄ったのかも知れないな。
「いえ、近江では吹雪にでもならない限り、この程度の雪では商いは休みなどいたしませぬ。無論、秋よりは人の往来は減りますが、それでもなかなか賑わっております。宜しければ、商人街をご案内いたしましょう」
「ほぅ。では、見せてもらおうか、近江で最も栄える商いの町の賑わいとやらを」
信長は口角を上げると、そう言った。
◇◇◇
俺は信長ら家臣一行を連れて商人街のある源煌寺の参道へ向かった。
今年は例年よりも暖冬のようで大通りの積雪は端に除かれ、屋敷から商人街へ続く道には平石を敷き詰めてあるため、歩くのにも泥でぬかるむこともなかった。
「ほう、思ったよりも賑わっておるではないか」
俺たち一行が商人街に着くと、信長は予想以上の往来の多さに思わず驚きの声を漏らした。
「これでも人通りは少ない方にございます。秋や年末年始は人波でごった返すほど賑わいまする」
「であるか。ふん、津島や熱田といい勝負であるか」
おそらく津島や熱田よりも賑わっているのが悔しいのだろうが、負けず嫌いの信長らしい返事だ。あくまでも対等だと言いたいらしい。あいにく津島や熱田に足を運んだことはないが、信長の反応を見るとどうやら寺倉郷の賑わいは相当なものらしい。
その後、軒を並べる店先を覗きながら半刻ほどそぞろ歩きをしていると、植田順蔵の小さな声が掛かった。
「ん、順蔵、どうした?」
「はっ、先ほどから御一行の後ろを付けていた不審な輩を捕らえました。言葉の訛りから察するに美濃の者たちのようにございまする」
順蔵がそう言うと、捕縛された数人の武士が引っ立てられてきた。
「「放せ! ええぃ、放さんか!」」
「!! 蜂屋様、金森様……」
捕縛された男たちを見た護衛の一人が信長の家臣に耳打ちするのが目に入った。
「兵蔵、何だと! 殿、配下の者によれば、こ奴らは斎藤家の者たちにございまする」
「おそらくは斎藤新九郎が殿の御命を狙った刺客かと存じまする」
慌てて信長にそう伝えた家臣は、蜂屋頼隆と金森長近だろうか。
「兵庫、五郎八、それは真か! ふんっ、義龍め、性懲りもないことを。……寺倉殿、世話になったな。礼を申すぞ」
へぇ、信長にも頭を下げて礼を言うくらいの常識はあるのか。でも、後ろの家臣たちは俺に一礼する信長を見て目を丸くしているので、こんな姿は滅多に見ないのだろう。下手したら寝首を掻かれて命を失っていたかもしれないのだから、当然と言えば当然なのかもしれないが。
だが、前世で読んだ『信長公記』には、確か上洛途中に斎藤義龍から送り込まれた刺客を事前に察知して、家臣が刺客を説き伏せて襲撃を回避したという話があったが、どうやら此奴らのことのようだな。
「いえ、最近は六角の物見を警戒しておりました故、刺客を捕らえられて幸いにございます。ですが、日も傾いて寒くなって参りましたので、そろそろ屋敷に戻りましょう。今宵はささやかですが、歓迎の宴を開かせていただきまする」
「であるか」
もうじき春分も近いが、午後3時を過ぎると急に寒くなってくる。俺は刺客を石灰石掘りの囚人として伊吹山送りを順蔵に命じると、信長一行を連れて屋敷へ戻ることにした。
「五郎左、ここで兵たちを野営させよ」
屋敷の前の広場に着くと、信長が家臣の一人に声を掛けた。
「はっ、畏まりました。……おい、猿! ここで火を焚いて兵たちを野営させよ」
信長から五郎左と呼ばれた家臣はおそらく丹羽長秀だろう。そして、長秀から猿と呼ばれた小者に目を向けると、間違いない。あの猿顔の小男こそ木下藤吉郎、後の太閤、豊臣秀吉だ。
「火を焚いても朝晩はまだ凍えますので、夜は温かい雑炊でも差し入れましょう」
「ははっ、ありがとうございます。誠にかたじけなく存じまする」
信長一行の護衛の兵たちは70名ほどいるが、この時期に野営するのはさすがに凍えそうなほど寒いはずだ。俺が木下藤吉郎を可哀想に思って差し入れを申し出ると、藤吉郎は深々と頭を下げて礼を述べ、人懐っこい笑みを浮かべた。
なるほど、あの笑顔が"人たらし"と言われた豊臣秀吉の武器だったのだろうな。
◇◇◇
屋敷に戻った後、信長に随行する家臣たちと挨拶を交わすと、5人は「米五郎左」こと腹心の丹羽長秀、信長の乳兄弟の池田恒興、黒母衣衆の河尻秀隆と蜂屋頼隆、赤母衣衆の金森長近だと分かった。母衣衆というのは馬廻りから選抜された精鋭の側近たちで、いわゆる信長の親衛隊だ。
その夜は歓迎の宴を催して織田家一行をもてなすことにしたが、信長はあまり酒は好きではないという記憶があったので、俺は久しぶりに自ら腕を振るい、心尽くしの料理を振舞うことにした。
尾張では獣肉や鶏の卵も忌み嫌わずに普通に食べていると池田恒興から聞いたので、俺は鶏の唐揚、鹿肉のハンバーグ、半熟卵のオムライス、豚汁ならぬ猪汁など、醤油を使わないで作れるメニューを腕に縒りを掛けて作った。
信長たちには明と南蛮の料理だと言って出したが、好奇心旺盛な信長は初めて見る料理に驚きながらも、躊躇わずに箸を付けて「美味い!」と喜んでくれた。信長に続いて料理を口にした家臣たちからも大絶賛の嵐だった。
もちろん屋敷の外で寒さに震える藤吉郎や護衛の兵たちにも、約束どおり猪汁を雑炊に仕立てて振舞っている。これで少しは温まって眠れるだろう。
やはり美味しい料理は人と人との心の距離を近づけてくれるのだろう。料理を味わい終えた信長は徐に俺に訊ねてきた。
「先ほどの商人街は真冬の山中でありながら活気があった。貴様、どうやったのだ?」
「ふふふ。私は上総守様のように新しき国、新しき世を求めておりまする故」
『新しき世を求める』という言葉を漏らしたことなど、信長は一度としてなかったに違いない。だが、絶対に間違ってはいないはずだ。俺は信長の胸中を看破したかのように不遜な笑みを浮かべ、精一杯の虚勢を張って答えた。
「……ほう。俺の目指す世界が見えると申すか。貴様の考える『新しき世』とは何だ。申してみよ」
やはり図星だったのか、信長は少し眉根を寄せると、俺に『新しき世』を問い質す。
「私の思い描く『新しき世』とは、民たちが豊かな暮らしを営み、笑顔の絶えない、戦のない世の中、にございます。織田殿、世の中は大勢の民が作るものにございます。故に、私は民の暮らしが豊かになるよう、心を砕いて政をして参りました。私は明日を生きる希望も見えぬ乱世から、明日も明後日も笑顔で迎えられる平穏な世の中を作りたいのでございまする」
嘘偽りのない本心からの言葉だ。父の死で暴走してしまった時もあったが、俺はこれまで民のためになる政治を心掛けてきたつもりだ。
「貴様はそんな平穏な世が作れると、本気で思っておるのか?」
「はい。思っておりまする」
真顔で信長から目を逸らすことなく告げる俺の心を射貫くように、信長は俺の目を睨みつける。それでも俺は怯まずに目を見据え続けた。
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