尾張の風雲児① 運命の会見

「何をしておる。早く入って来ぬか!」


顔は髭を伸ばして総髪で、正に"覇王"という言葉が良く似合う。細い目からは気を抜くと体を真っ二つにされそうな苛烈な威圧感を感じる。さすがは史実の天下人、「三英傑」の一人だ。


俺にとって織田信長は星の数ほど数多いる戦国武将の中で最大最強のヒーローだ。憧れの武将の姿を目の当たりにして、俺は無意識に身体が強張ってしまう。


「は、はい」


俺は声を震わせながら一歩ずつ信長に近づいていく。


客人であるはずの信長だが、屋敷の主人である俺がいつも座っている上座に膝を立てて座っている。下座の片側に列を成して座る寺倉家の家臣たちは、勝手に上座に座る信長をあからさまに睨みつけていた。


まあ、一介の国人領主の俺より尾張一国の大名である自分の方が地位が上だという自負による振舞いであるのは想像に難くないが、部屋に入ってくるなり断りもなく上座に座るのは朝廷や幕府の使者くらいだ。


常識的な作法としては客人は先ずは下座に座り、主人の俺に上座を譲られてから上座に移るのが礼儀のはずだ。もう一方の下座には織田家の家臣が5名ほど座っているが、主君の無作法に申し訳なさそうに目を伏せて小さく会釈している。


これでは家中で非常識な"大うつけ"との陰口を受けるのも仕方のないところだろうな。何せ父親である先代当主・織田信秀の葬儀では、嫡男の信長が喪主を務めながらも仏壇に抹香を投げ掛けたという逸話が残っているのだ。"時代の革命家"なんて美辞麗句で信長を評価するのは、後世の歴史家くらいなものだろう。


俺は下座の中央最前列に静かに腰を下ろすと、両手を突いて頭を垂れた。


「初めてお目に掛かりまする。私は寺倉正吉郎掃部助蹊政と申しまする」


「織田三郎上総守信長だ。面を上げよ」


信長の声を受けてから俺は静かに顔を上げると、信長と目を合わせた。4mほどの距離で信長の眼光を正面から浴びると、やはり凄まじい重圧を感じる。信長の家臣たちのストレスは如何ばかりか、他人事ながら気の毒に思えるな。


「寺倉正吉郎とやら。貴様は何者だ?」


信長は言葉足らずと言うか、必要最小限の言葉しか口にしないためにコミュニケーション力に難があったと言われているが、初対面の俺に対して開口一番にまるで不審人物かのように訊ねるなど、言葉足らずにしても程があるだろう。


俺がまさか「500年先の未来から生まれ変わった」などと荒唐無稽な話をしたところで、鼻で笑われるのがオチだ。いや、常識外れの信長なら逆に「面白い」と言って信じるかもしれないな。だが、織田家の家臣たちからは間違いなく"物の怪"扱いされて気味悪がられるに違いない。


そもそも俺は転生者であることを死ぬまで明かすつもりはない。せいぜい死ぬ間際の遺言で家族だけに明かすか、遺書に書き遺すくらいだろう。


とは言っても、至近距離の真正面から修羅のような形相で詰問されるのは正直辛いものがある。俺は信長の威圧感に気圧され、無意識に目を逸らしてしまう。


「目を逸らすな。……ふん、まぁ良い。貴様、この俺の下につけ!」


信長はいきなり失礼な質問をしたと思えば、続けざまに臣従命令と言うべき言葉を発した。両家の家臣たちも驚きを隠せず、揃って目を丸くして口をあんぐりと開けている。


今の信長は尾張平定を目前としているとは言っても、まだ織田家の名は近江や畿内にまで轟いている訳ではない。そんな状況で初対面の俺に仕えろと命じるのは傲慢な物言いと受け取られても仕方がない。


「客人だと思って丁重に接しておれば、尾張の田舎大名がつけ上がりおって! 先程からの態度は何たる無礼だ! たとえ寺倉家の身代が小さかろうとも、これ以上我が主君を愚弄するのは許せぬぞ!」


俺の背後で大倉久秀が立ち上がり、腰の刀に手を沿えながら信長を物凄い形相で睨みつけて大声で叫ぶ。すると、当然のように向かい側に座る織田家の家臣たちも一斉に立ち上がり、大広間は一触即発の剣呑な空気に一変する。


「源四郎、止めよ! 織田殿は客人だ。分を弁えよ!」


俺は厳とした声で久秀を叱責した。


信長がわざと俺を怒らせて、俺の器量を推し測ろうとしているのは明白だ。今の寺倉家は弱小勢力だ。ここで怒りに任せて信長の心証を損ねても良いことは何もない。無用な敵を作る訳には行かないのだ。


「ははっ、出過ぎた真似をいたしまして、誠に申し訳ございませぬ」


「源四郎、控えの間に下がり、頭を冷やしておれ! 織田殿、織田家の皆様方。私の家臣が大変なご無礼をしまして深くお詫びいたしまする。どうかご容赦くだされ」


俺は久秀を部屋から退出させると、信長と家臣たちに頭を下げて謝罪する。


「ふっ、この程度で怒るほど、俺の度量は狭くはないわ。して、俺の下につくのか、どうなのだ?」


信長は俺の謝罪を鼻であしらうと、再び俺に臣従しろと迫ってくる。しつこいな。まさか本気なのか? 領地の離れた俺を配下にしようと拘るのは、信長にとって何か得があるのだろう。


「寺倉領は尾張と京の中間にあり、東山道に近く、交通の便も良い。今後、織田家が美濃を奪った暁には、東山道を使った商圏の拡大が見込め、近江に進出する際の橋頭保になるという算段でございますか?」


「ククッ、ハハハッハ。なかなか頭が回る男だな。面白い、気に入ったわ。寺倉正吉郎、俺の配下となるが良い」


信長は俺の当て推量を聞いて笑い声を上げると、今度は真面目な顔で三度臣従を迫ってきた。


「お断りいたしまする」


だが、俺は信長の目をしっかりと見つめながら一刀両断に断った。正直言えば魅力的な勧誘ではあるが、これだけは妥協する訳には行かない。たとえ相手が織田信長であっても、自分を安売りするつもりはない。


今の織田家の領地は近江から離れており、六角の脅威から寺倉家を守る力はない。したがって、俺が六角と戦って敗れた後に、尾張に落ち延びて信長に仕えるのならまだしも、今は寺倉家が織田家に臣従したところで寺倉家は軍事支援も得られず、臣従する意味は何もないのだ。


「ふん。であるか。元より貴様が俺に従うとは思ってはおらなんだが、……将来、手強い敵になるくらいならば、ここで叩き斬っておくのも一興ではあるがな。ふっ」


信長は俺が断りの返事をすると、一瞬だけ残念そうな素振りを見せたが、痩せ我慢なのか、今度は冗談めかして俺を殺しておくべきかと脅かしてきた。


うわぁ、前世で苛烈な性格だと聞いてはいたが、史実で光秀が謀反を起こしたのも納得が行くな。「鳴かぬなら殺してしまえ、不如帰」じゃあるまいし、冗談だと分かっていても、さすがに「殺すぞ」と脅されると、肝が冷えると同時に冷や汗が噴き出して、背中を冷たい汗が流れていくのが分かる。


前世で信長は完璧な合理主義者だという評価を読んだ記憶があるが、将来に禍根を残す人物は今の内に排除しておくべきという発想は、確かに合理主義者のそれだ。冗談にもならないことを平気で声に出す肝の太さと理不尽な性格には、まるでヤクザが如く底知れない恐怖をひしひしと身に染みるばかりだった。

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