通商協定と突然の来訪者

近江国・鎌刃城。


「正吉郎様。『従六位上・掃部助』の叙任、誠におめでとうございまする」


「「「おめでとうございまする」」」


山科言継が鎌刃城を訪ねて官位を打診してから14日後の1月29日、朝廷の使者が訪ねてきて、俺は正式に朝廷から『従六位上・掃部助(かもんのすけ)』の官位を授かった。


寺倉家は毎年朝廷に干し椎茸や改良された液状石鹸等を献上し、改元や大喪の礼の際にも僅かながら献金していたが、対価も与えずに献上品を受け取るだけでは朝廷の沽券に係わると、正親町天皇の指示で官位を授かることになったのだ。


前日に官位を叙任されたばかりの翌30日。鎌刃城の大広間には大倉久秀、堀秀基、明智光秀、植田順蔵、浅井巖應、中藤権作、松笠勘九郎、初田秀勝、蓑田勘兵衛、西尾藤次郎といった寺倉家の重臣が勢揃いした。今日ばかりは寺倉郷代官の初田秀勝も配下に留守を預けて、叙任の祝いに駆け付けてくれた。


ちなみに、「従六位上」というのは日本の律令制の「位階」で、中国の官僚制度を真似て作られた人事システムだ。律令制における位階は30階あり、三位までは正従の2階、四位から正従上下の4階で、「従六位上」は上から17番目の位階だ。始めは俺は内心で「低いな」と思ったが、むしろ無位無官の家柄の最初の叙任としては高いのだそうだ。


一方、「掃部助」というのは「官職」で、宮中行事に際して設営を行い、また殿中の清掃を行う掃部寮という役所の次官という意味だ。だが、既に官職は形骸化しており、俺が京に出向いて殿中の清掃を行う訳ではない。


この位階と官職を合わせて「官位」と言い、位階は功労に応じて昇進があり、位階に対応した官職に就く「官位相当制」が原則だ。つまりは「掃部助」は「従六位上」相当と律令で定められているという訳だ。


「ああ、ありがとう。寒い中、皆ご苦労だった」


城の外は一面の雪景色だが、そんな中で俺の叙任を祝うためにわざわざ登城してくれた家臣たちに対して、俺は心底からの労いの言葉を返した。




◇◇◇





「掃部助様、今川家から使者が訪ねて来られました」


鎌刃城の大広間で重臣たちから祝いの言葉を受けた後の逢魔時に、今川氏真からの書状を持った使者が訪ねてきた。


早速、書状を読んだ俺は、ささやかな祝宴を始める前に重臣たちとの臨時の評定を開くことにした。


「宴の前に済まぬな。実は先ほど今川上総介殿から書状が届いた」


俺の一言でお祝いムードで弛緩していた重臣たちの表情は一瞬で引き締まった。


「今川家、からでございますか?」


明智光秀がすかさず反応した。東海道の大大名である今川家から近江の弱小国人にわざわざ手紙を送ってきたのだ。領地が接している訳でも、血縁関係がある訳でもない。光秀は2年半前に氏真が寺倉郷を訪ねてきたことは知る由もないはずだ。


「十兵衛と遠江守、順蔵、巖應の4人は知らぬであろうが、実は上総介殿は2年余り前に寺倉郷を訪ねて来られたことがあってな。その際に私のことを気に入られて、私の元服の儀にも立ち会っていただいた。それ以来、私は上総介殿を彦五郎殿と呼び、文を交わして親交を結んでおるのだ」


「何と、今川家の嫡男と友誼を結ばれるとは!」


俺が氏真との友人関係を説明すると、浅井巖應が目を丸くして驚きの声を上げた。


「して、書状によると、彦五郎殿は先月、今川家の家督を継いで今川家当主となったそうだ。そして、彦五郎殿は寺倉家との友好関係と通商協定の締結を望んでおられる。おそらく六角と対立している状況を知り、私の身を案じてくれたのであろう。だが、今川家との友好関係は我らにとっても利があると思うが、如何であろうか?」


「通商協定は無論ですが、大大名の今川家と友好関係を結ぶことは、今川家の威光を借りられることにもなり、官位以上に利は大きいかと存じまする」


堀秀基がそう発言すると、見渡した皆の顔に不服そうな表情を浮かべる者はいなかった。何せあの今川家だ。大大名と誼を通じることができるとなれば、反対するなど以ての外なのだろう。


「とは申しましても、今川家の勢力圏である三河とは遠く離れております故、張り子の虎の感は拭えませぬが、もし今川家が尾張まで進出すれば、六角に対する抑止力となるかと存じまする」


さすがは光秀だ。現状では今川家の威光を手に入れたとしても、軍事同盟ではないのだから直接的な武力を得られる訳ではないのだ。


光秀は「もし尾張まで進出すれば」と言ったが、史実どおりであれば「桶狭間の戦い」はいよいよ来年だ。今川義元が氏真に家督を譲ったのも、上洛を目指して尾張に侵攻するための準備なのは間違いないだろう。


「左様だな。通商協定もお互いの商品には税を掛けずに商いを行うという内容だ。現状では遠方の今川家との商いは多くはないが、通商協定を結べば駿河茶を安く仕入れることができよう」


「おお、高価な宇治茶より安く売れば、かなり儲けられそうですな」


巖應は内政担当官らしく商売の実利に笑みを浮かべている。


「うむ。では、彦五郎殿には快諾の返書を出すとしよう」


こうして、今川家との間で通商協定を結ぶことになった。距離は離れてはいるものの、今川家は強大な力を持つ大大名だ。これは周辺の小勢力だけでなく、六角に対する牽制にもなるだろう。




◇◇◇




近江国・寺倉郷。


今川家の使者が訪ねてから2日後の2月1日。俺は棒道や寺倉郷の堰堤の建設状況を確認するため、久しぶりに寺倉郷を訪ねていた。


鎌刃城を出立して棒道を確認しながら寺倉郷に到着したのが昨日の夕方だ。棒道はようやく山林を切り拓いて鎌刃城から男鬼入谷城まで直線的に繋がったところで、まだ道の整備はこれからだ。


そして、今日の午前中は南側の堰堤の建設現場を視察し、既に伊吹山の石灰石で作ったモルタルも使用され始め、順調に建設が進んでいるのを確認した。この調子ならば北側の城壁も建設できそうだ。


昼過ぎになって視察を終えた俺は、昼食を摂るため屋敷に戻ることにした。屋敷の自室に入ると、勘兵衛が慌てた様子でやって来た。


「正吉郎様、大変にございます。尾張国を治める織田家の当主、織田上総守様が突然訪ねて参られました!」


「な、何! 織田上総守だと?!」


俺はその名前を聞いた瞬間、心臓が跳ね上がった気がした。


そう言えば、史実では永禄2年の2月上旬、織田信長は将軍・足利義輝に謁見するため、僅かな手勢を引き連れて京を訪ねたという記事を何かで読んだ記憶があるな。前年に尾張一国をほぼ統一し、将軍から尾張の新しい統治者として尾張守護に認めてもらう目的での上洛だったが、認められなかったらしいが。


「す、すぐに広間にお通しいたせ! くれぐれも丁重に応対するようにな」


俺は動揺を隠すことができず、慌てて腰を上げながら勘兵衛にそう告げた。俺は急いで元服の儀以来の正装に着替えると、心の準備を整えられないまま大広間に向かう。


「貴様が寺倉正吉郎か!」


俺が大広間に足を踏み入れると突然、俺のことを呼び捨てにする甲高い声が掛かった。


その声に上座に目を向けると、まるでこの屋敷の主であるかのように上座の中央に威風堂々と立膝で座る見知らぬ男こそ、紛れもなく「戦国の風雲児」こと、織田信長その人だと、俺は確信した。

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