官位と今川の新当主

1月15日は久々の冬の晴れ間の一日だった。そんな暖かい日に鎌刃城で政務に追われる俺の元に、予想外の来客があった。


それは、山科言継と名乗る朝廷からの使者だった。言継は朝廷の財政の最高責任者である内蔵頭の官職にあり、困窮する朝廷の財政再建のため全国を奔走し、諸大名から献金を獲得して廻った公家だ。既に50歳を超えた言継だが、当然ながら今回が初対面だ。


ということは、鎌刃城を訪ねた用件も献金の要請だろうか。だが、僅か1万5千石の寺倉家に献金を強請りに来る前に、他に訪ねるべき大名家は沢山あるはずだ。前世の財務大臣に相当する山科言継がわざわざ鎌刃城まで足を運ぶなど不自然という他ない。


「最近の寺倉殿の尊王の志には主上は大層喜んでおじゃる。この山科内蔵頭、主上に代わって礼を申すでおじゃるぞ」


俺が訝しんでいると、言継は年末に献上した干し椎茸の返礼として、帝から命じられて来たようだ。


「誠に勿体なきお言葉に存じまする」


俺は言継の胸臆を図りかねていた。これまで改元や大喪の礼への献金と、椎茸以外にも返碁の最高級品を献上した際には、朝廷からは官位の低い使者が形式的な謝礼を伝えに来た程度だったからだ。


「して、内蔵頭様。正直に申し上げますと、今は献金するのが厳しい懐事情にございますれば……」


迂遠な腹芸が苦手な俺が率直に献金を断ると、不遜にも見える俺の物言いに、言継は僅かに顔を痙攣らせながらも笑みを浮かべた。


「ほほほ、まだ何も申しておらぬ。そう早とちりするでない。麿が今日訪ねたのは、献金のためではおじゃらぬぞ」


「ははっ、これは失礼いたしました。では、今日は如何なるご用件にございますか?」


「うむ。これまでの献金や高級な品々を献上してくれた寺倉殿の忠義に一切報いられぬことに、主上は心を痛めておられる。それ故、寺倉殿には官位を授けよとの主上の思し召しにおじゃる」


官位か。俺は官位には正直興味がないのだがな。だが、無碍に断る訳にも行かないか。


「官位は『従六位上・掃部助』じゃ。寺倉殿、受けてはもらえぬかな?」


内心で葛藤に耽る俺に気づいたのか、言継が位階と官職を提示すると、背後に控えていた堀秀基が助け舟を出すように耳元で小さく呟いた。


「正吉郎様、破格の官位にございます。謀反を起こした我らに対する他家の目は厳しく、正式な官位を得れば他家に対する抑止力にもなりまする」


なるほど。大名以外の武士が名乗る官職はほとんどが私称だが、正式な官位を得ることで、朝廷の権威を借りる訳か。今後、六角から独立して領地を拡大するには必要な要素かもしれないな。古き朝廷の権威も時には抑止力にもなり得るという訳だ。


「帝のお心遣いは誠にかたじけなく、謹んで官位を拝命いたしまする」


俺は官位を受諾すると言継に返答した。


「ほほほ、寺倉殿は16歳の若さでありながら、承顔順旨に麿の顔色を窺おうともせぬ。誠に数奇な男でおじゃるの。これからも朝廷への忠義に尽くしてほしいでおじゃる。末永く宜しく頼むぞ?」


「ははっ、無論にございまする」


言継は今後有望な金蔓ができたと感じたのか、満足げな表情を浮かべて帰っていった。




◇◇◇




駿河国・駿府館。


正吉郎が山科言継と対面していた同じ1月15日。


22歳となった今川氏真は家督継承の儀を執り行い、今川義元から家督を相続し、今川家12代当主となった。父・義元は円滑に家督継承するため、数年前から氏真と共同統治を行っていたが、新年を迎えて正式に家督の相続を行ったのである。


しかし、家督を譲ったとは言っても依然として、義元が今川家の実権を握るのは明らかであった。そして、義元は氏真に駿河と遠江の領国経営を任せ、来年には自ら尾張に侵攻しようと目論んでいたのである。


一方、氏真は家督を継いだその日の夕方、予てから決めていたことを実行に移すことにした。2年半ほど前に訪れた寺倉郷の地。そこで出会った一人の少年、寺倉正吉郎は氏真にとって初めてできた友人であった。


駿河に帰国した後も正吉郎のことは氏真の頭からずっと離れず、半年毎に正吉郎と手紙のやり取りを続け、家臣に命じて寺倉家の動向について逐一報告を受けていたのだった。


そのため、正吉郎の父・寺倉蔵之丞が暗殺されたと聞いた時は、氏真は心臓が止まりそうなほど衝撃を受けた。だが、その数日後には何と正吉郎が兵を挙げ、父の弔い合戦で城を落としたというではないか。氏真は心底驚き、心中で「さすがは正吉郎だ」と最大限の賞賛を送った。


しかし、同時に心配にもなった。寺倉家の周囲が全て敵、四面楚歌の状況に陥ったのだ。氏真は鬱屈な心境で暮雲春樹に耽る他なかった。氏真は次期当主の地位にありながら、お世辞にも勇将とは言えない己の非才を嘆いたが、少しでも正吉郎の力になりたかった。


弱小国人でしかない寺倉家と友好関係を結び、出来るならば支援を行おうと考えたのは、氏真がそんな自戒に耽っていた時であった。氏真はこれまで義元に進言したことは一度もなかったが、そこで挫けるほど正吉郎との絆は弱くはなかった。


(三河の安定に専念すべく、父上が遠江の引馬城へ明日出立される前に、私の意思を伝えるとしよう)


「父上、申し上げたき儀がございまする」


義元は目を見開いて一瞬驚きの表情を見せる。


「ん、彦五郎か? 何の用だ」


(私はこれまで自分から父上に話し掛けたことなど滅多になく、父上から言われたことに素直に従うだけであった。きっと受け身で頼りない息子だと思われているに違いない)


「私は3年前の上洛の帰路にて、近江で寺倉郷という商いで栄える地に立ち寄りました」


「寺倉? ああ、返碁を売り出した近江の国人であったな。其れが如何したのだ」


「その折、私は寺倉家の嫡男の寺倉正吉郎という男に出会いました。かの者は元服したばかりながら、山間の農村を数年で商人の街に発展させた功績がございます。正吉郎は人懐っこい性格ながら、独創的な才知と革新的な思想を持つ優れた男にございまする」


「ほう、お前が帰国後も寺倉家と文を交わして誼を通じておるのは知っておるが、その男が如何したのだ」


「はい、寺倉正吉郎は今、父親を謀殺した六角家に反旗を翻し、独立を果たさんとしております。正吉郎とは友誼を交わすに至り、寺倉家と通商協定を結ぶことは今川家にとっても利のあることかと存じまする」


「彦五郎、情に絆されたか。六角は私の上洛を邪魔するであろう故、お前が評価するその男が六角を飲み込めるほどの器量があれば面白くもあるが、左様な近江の小勢力など六角に敗北した時点で滅亡だ。もし私が上洛するまで生き残っておれば臣従を認めてやろう。……だが、今日よりお前は今川家の当主だ。通商を行うくらいは一向に構わぬが、一人の男に入れ込みすぎ、愚かな真似をするではないぞ。良いな」


義元は最後に氏真に釘を刺すと、その場を立ち去った。だが、親子にしか分からないが、義元の口角がほんの僅かに上がっていたのを氏真は感じ取っていた。


(これまで自己主張したことのない私が初めて進言したことが、父上は嬉しかったのだろうか)


氏真が寺倉家に通商協定を結ぶための使者を送ったのは、それから数日後のことであった。

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