寺倉郷防衛計画③ 城壁と棒道

「正吉郎様。寺倉郷の南で犬上川を堰き止め、湖を造ったのが六角に万一知れますと、六角は寺倉郷の北から攻め入って来ましょう。それ故に、北でも川を堰き止め、湖を造っては如何でしょうか?」


やはり北側が心配なようで、秀基が提案した。


「遠江守。私も北側は危惧しておったが、犬上川は南から北へと流れておる故、寺倉郷の北で川を堰き止めると、水門は向こう側となる。となれば、北から攻めてきた六角が水門を開け、湖の水を流してしまえば、足止めの役には立たぬのだ」


「正吉郎様。ならば水を堰き止めるのではなく、城壁を築いては如何でしょうか? 堰堤とは似てはおりますが、構造が異なりまする」


俺が北側にダム湖を造ることの欠点を指摘すると、光秀が城壁を築く案を提案した。


「ふむ、城壁か。……確かに、明では北の異民族の侵入を防ぐために古から『万里の長城』が地平の彼方まで幾つもの山々に築かれておるそうだな。ならば、1里もない板ヶ谷に城壁を築くなど遙かに容易かろうな」


「確かに城壁ならば、六角を足止めできるかと存じまする」


俺が『万里の長城』を例に挙げて同意すると、秀基も賛同する。


「だが、南に造る湖を知られない限りは、六角がわざわざ寺倉郷の北から攻め入る可能性は極めて低い。軍勢を分けて北から攻めるくらいならば、鎌刃城を狙うはずだ。故に南の堰堤を築くのが先だ。堰堤が出来た後で北の城壁に取り掛かるとしよう。それと、順蔵。南の街道の砦に素破を置き、物見に来た六角の素破を必ず始末しろ。湖を見た者は絶対に生きて帰してはならぬ。良いな」


「はっ、承知仕りました」


「正吉郎様、それともう一つ。鎌刃城から兵を迅速に移動させるため、寺倉郷との間の道を整備しては如何でしょうか?」


城壁に続いて、光秀が道の整備を提案した。さすがは俺の軍師だ。確かに、鎌刃城と寺倉郷を結ぶ道は戦略的に非常に重要となるはずだ。


「うむ、私も同感だ。此度は六角が寺倉郷を攻めるのが予想できる故、あらかじめ鎌刃城の兵を寺倉郷に動かすことができるが、万一突然の奇襲を受けた場合には、鎌刃城から寺倉郷に兵が移動する時間が命取りになりかねんな」


「はい。寺倉郷と鎌刃城の間の道は狭く険しい故、道が整備されれば商人の行き来も盛んになり、更なる発展も望めるかと存じまする」


大倉久秀が軍事的観点から賛同すると、浅井巖應も商売の視点から賛同する。


山中にある寺倉郷と鎌刃城を繋ぐルートは、大杉林道から大きく迂回して権現谷林道と武奈林道を抜ける険しい山道で、決して交通の便が良いとは言えない。この時代の人間は健脚なので問題はないが、商人が行き来することも考えればもっと整備すべきだ。


「よし。では山林を切り拓き、鎌刃城から男鬼入谷城、桃原城、寺倉郷をできるだけ真っ直ぐ結ぶ軍用の"棒道"を造ろう。無論、戦の時以外は商人も通れば良い」


軍用道路の整備は行軍のスピードに大きく影響する。できれば直線的に最短距離で突っ切る方が効率的だ。前世では武田信玄は騎馬隊が通れるような「信玄棒道」を甲斐と北信濃の間に整備している。


「軍用の棒道にございますか。なるほど、それは良い案ですな」


久秀が満足そうに大きく頷いた。


「この冬の間は寺倉郷の男は堰堤と城壁の建設、女子供は印地の練習だ。故に、棒道の建設は鎌刃城下の民に任せるとしよう。まずは鎌刃城から男鬼入谷城を繋ぐ道から始め、桃原城、寺倉郷へと伸ばしていこう。農具や返碁の内職は吹雪の時以外は休みとするしかあるまい」


俺がそう言うと、5人も頷いた。これで鎌刃城と寺倉郷の防衛計画も大体固まったか。


「六角の侵攻に対する策としては、このくらいか。他に何か案があるか?」


「正吉郎様、朝廷に官位を要請しては如何でしょうか?」


「「「官位?」」」


堀秀基の発案に俺以外の4人が驚きの声を上げるが、俺は冷静だった。


「今は時期尚早だな。確かに自称ではなく、正式な官位を得れば少しは権威は出ようが、六角左京大夫に比べれば何の意味も持たぬ。朝廷には年末に干し椎茸を献上してはおるが、今は官位を得るための銭が惜しい。無駄遣いはできぬと心得よ」


「はっ、承知いたしました」


秀基がそう返事をすると、隣の巖應が口を開いた。


「それにしても、正吉郎様の才知は無論のこと、先ほどの差別を憎む考えは、己を振り返れば身に積まされる思いにございます」


「巖應、申しておくが、私は聖人君子ではないぞ。現に、父上を殺された怒りで我を見失い、戦の経験がないにも拘らず無謀にもこの鎌刃城を攻めた程だ」


「ですが、初陣で鎌刃城を見事に落としたではございませぬか。凡人の為すべきことではありませぬぞ」


「左様。それに、六角の侵攻に対する鎌刃城や寺倉郷の策も、正吉郎様の発案はあまりにも素晴らしすぎて、『三国志』の伏龍、鳳雛もかくやと背筋が寒くなるほどの軍才にございます。私は軍師として恥ずかしい限りにございまする」


俺が巖應に言葉を返すと、久秀と光秀が反論する。先ほどの提案も大したアイデアではないと思うが、お世辞か?


「世辞など止してくれ。"伏龍"とは諸葛孔明ではないか。例えるのも烏滸がましいぞ」


「お世辞ではございませぬ。では"鳳雛"ですな。正吉郎様は元服されました故、いつまでも"神童"と呼ぶのも相応しくございませぬ。これからは"鳳雛"と呼ばせていただきたく存じまする」


「おぉ、"鳳雛"か、それは良い異名だ」


"鳳雛"と言えば、『三国志』では龐統士元の異名だ。確か30代半ばで戦死したため、諸葛孔明に比べて今一つ人気がない軍師だよな。早死にするのは嫌だが、まぁいいか。


この重臣会議を契機に、家中では畏怖をこめて“鳳雛"の異名で呼ばれるようになる。




◇◇◇




重臣会議から10日余り経った1月中旬、浅井家に秘密裏に支援を頼みに出向いた浅井巖應が鎌刃城に帰ってきた。支援要請は幾つかあったのだが、首尾は上々だったようだ。


まず主目的だった川舟は、古い舟を含めて20艘ほど貰い受けることができたそうだ。次に、鉄砲の産地である国友の鉄砲を安く売ってもらうことと、鉄砲鍛冶の職人を派遣してもらうこと。そして、浅井領である伊吹山での石灰石の採掘権だ。


これらを頼むと、浅井賢政は内心では毒づいていたかもしれないが、全て承諾してくれた。寺倉家には俺の父を殺した父親の浅井巖應を赦すどころか、家臣にしてもらったという大きな借りがあり、造作もないと語ったそうだ。


賢政が処遇が難しい巖應を受け入れてくれた俺に対して、大きな恩を感じているのは想定済だった。だから、俺は賢政の足元を見て強欲な支援要請を出したのだ。


特に大きい収穫は石灰石の採掘権だ。伊吹山は日本でも最大級の石灰石の産地だ。砕いた石灰石を高温で焼成すると、セメントの原料である生石灰を得られる。


ダム建設で岩を積み上げる際に粘土を接着剤とすると強度が弱く、水漏れも大きいため、セメントをモルタルにして接着剤に使おうと考えたのだ。いずれは前世のコンクリートを再現して、堅固な城を建造したいところだ。

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