鎌刃城防衛計画

「まず始めに申しておくが、私は戦の基本的なことを何も知らぬ。この鎌刃城を奇襲で落とした時も、父上を殺された怒りで我を見失って出陣し、初陣の私は兵の後ろで見ているだけであったからな。そこで、まずは六角家が此方に攻め込んでくる時期について、具体的な目安を立てておきたいのだが、皆はいつ頃だと思うか?」


俺は戦については何も知らないと正直に打ち明け、戦の時期について問い掛けると、浅井巖應が口を開いた。


「正吉郎様。『聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥』と申すとおり、人は知らぬことを知らぬとは言えぬものにございます。ましてや上に立つ者は見栄を張り、私も当主の頃は知ったかぶりが常でございました。それ故に、己を飾らず誠実な正吉郎様には改めて感服いたします」


「煽てないでくれ。『論語』には『無知の知』という言葉があり、己が無知であることを自覚しなければ、新しい知識を得ることはできないそうだ。私は六角左京大夫のような虚栄心の強い当主にはなりとうない故な、腹心のお主たちの前では正直でありたいのだ」


「「「ははっ」」」


「では、正吉郎様。私が考えるには、4月の下旬から5月が、最も六角が攻め込んでくると考えられる時期と存じます。寺倉家では常備兵を多く抱えておりますが、六角はほぼすべてが農民兵にございます。雪解けした後も3月には田起こし、4月には田植えがございます故、この時期に攻め込んでくることはまずないでしょう」


明智光秀が戦の時期について明快に答えてくれた。小氷河期に属する戦国時代は、前世と比べて近江でも大雪が積もる。雪解けは例年3月上旬になってからだ。


「なるほどな。では、戦まで3ヶ月半ほどの時間が残されている訳だな。だが、六角も直に戦の支度を始めるだろう。順蔵、志能便に命じて六角の動きを調べてはくれぬか?」


3月や4月になってから敵の情報を得ようと動いたのでは遅すぎる。そう思った俺は植田順蔵に声を掛けた。


「正吉郎様、彼らは既に正吉郎様の手駒にございます。如何ようにもお命じくだされ」


「いや、順蔵。志能便は決して手駒ではないぞ。大事な寺倉家の一員だ。納得の行かぬ役目であれば、私に異を唱えても構わぬ」


「はっ、誠に勿体ないお心遣いに存じますが、我ら志能便は朝倉家に蔑まれていた時よりも遙かに良い待遇を与えられ、正吉郎様に感謝し、心より忠誠を誓っております。たとえ役目により命を落とそうとも決して悔いはございませぬ」


志能便の忠誠心が高いのは嬉しいが、俺は彼らを手駒扱いするつもりは毛頭ない。


「そうか。志能便たちの忠義は良く分かった。だが、私は志能便の命を粗末に扱うつもりなどないぞ。無論、危険な役目はあろうが、役目が果たせずとも生きて戻るのが第一だ。生きて戻りさえすれば次の役目を果たすこともできる故な。では順蔵、六角に動きがあり次第、私に知らせてくれ」


「ははっ、承知仕りました」


順蔵がそう言って平伏すると、武闘派の大倉久秀が口を開いた。


「正吉郎様。常備兵を擁している我が軍ならば、六角が攻め込んで来るのを待たずに、田植えの時期に此方から先手を打って奇襲にて攻め込むという策は如何でござるか?」


鎌刃城の攻略で味を占めたのか、久秀は開口一番に先制攻撃を提案した。


「ふむ。……戦略的には考えられるが、兵数では我が軍は六角に圧倒的に不利だ。領内から出て戦うのは得策ではなかろう」


「ええ、奇襲したところで観音寺城を落とさない限りは、すぐに包囲されて叩き潰されるかと存じまする」


「源四郎、それは相手の思う壺であろう。兵数で劣る我らは籠城戦が最も賢明かと存じまする」


久秀の案を俺が否定すると、光秀に続いて堀秀基も同意した。巖應も植田順蔵も首肯するのを見て、久秀は少し肩を落としている。


「やはり籠城戦か。では、この鎌刃城と寺倉郷で籠城する策について、考えるとしよう。まずは鎌刃城からだ。順蔵、如何思う?」


「はっ、拙者が見たところ、この鎌刃城は大軍で攻めるのが難しい城であり、そう簡単に落ちる城ではございませぬ。兵数で圧倒的優位に立つ六角の利を封じることができるかと存じまする」


順蔵の素破の目からも鎌刃城の防御力がかなり高いのが証明された。俺も籠城戦の一択だと思う。そのために城門を強化しただけでなく、山の斜面には堀切を設け、鎌刃城はより攻め難くなった。さらには高い櫓を新たに設け、琵琶湖が一望できるほどの広い視界を得ることもできた。


「ただ、六角軍は大軍でござる故、念には念を入れ、もう少し城に細工を施すべきかと存じまする」


城郭建築に関して詳しい巖應がさらなる防御力強化を主張した。小谷城を難攻不落の要害に改修したのは間違いなく巖應の功績なので、説得力があるな。


「私に一つ考えがある。城門の前にある堀切の手前に、青銅の網でできた柵を設けるのはどうだろうか?」


「「「?」」」


「青銅の網? 正吉郎様、それは一体どのような柵にございますか?」


俺の提案に5人が怪訝な顔を浮かべ、光秀が訊ねた。


「鎌刃城の斜面は急で、騎馬の突撃は無理だ。必然的に敵兵は身一つで攻めるしかない。棘を付けた青銅の網を馬防柵のように設ければ、敵兵は棘に当たるだけで怪我を負うため、たちまち厄介な防壁となる。突破するには武器で柵を壊すのに専念しなければならず、時間が掛かるはずだ。そうなれば、十兵衛、どうなると思う?」


「はっ、敵兵が柵を壊すのに手古摺っている間は、弓や鉄砲の格好の餌食になりますな」


「そうだ。ただでさえ堀切を越えて来るのに疲れるのに、さらに厄介な柵の前で弓や鉄砲に狙われれば、敵兵の苛つきも誘い出せ、士気は下がるだろう。士気が下がれば大軍は統率を失って崩れる。幸いなことに粗銅を精錬した後の銅は沢山残っている。その銅を使えば青銅は鉄よりも加工し易いため、棘の付いた網を作るのは難しくはなかろう。試しに作ってみてはどうだろうか?」


俺が思いついた青銅の網とは、有刺鉄線の鉄条網を青銅で代用したものだ。俺が長い話を終えて重臣5人を見渡すと、皆は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして固まっていた。


「いやはや驚き申した。"神童"との評判は耳にしておりましたが、まさかこれほど才知に溢れる御方だったとは……。寺倉家が繁栄するのも頷けまする。この明智十兵衛、感服いたしました」


「ははは。我ら5人が揃っても正吉郎様の知恵には太刀打ちできませぬな。正吉郎様に比べれば新九郎もただの童でございまする」


光秀が驚きを隠せない表情で呟いて平伏すると、巖應が笑いながら告げる。


それほど驚くような策とは思わないが、我ながら非常に有効な作戦だとは思う。味方の被害を最小限に抑えて、敵を一方的に攻撃できるのだからな。


「正吉郎様、すぐに青銅柵の製作を手配いたしまする」


「うむ。十兵衛、頼んだぞ」


六角軍と対峙する上で、本拠である鎌刃城の防御力強化は必須だが、これである程度の目途は付いただろう。次は寺倉郷の防衛策だな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る