越前訪問④ 志能便と浅井巖應

皆の笑い声が収まると、光秀が部屋の出口に控えている男に声を掛けた。


「順蔵。此方に来てくれ」


「はっ」


順蔵と呼ばれた男は中肉中背の30代半ばに見える男だが、俺の目からでも並々ならぬ威圧感を纏い、かなりの腕利きと分かる男だった。おそらくは志能便の頭なのだろう。


「正吉郎様。この者は植田順蔵綱光と申し、志能便という素破の棟梁にございます。志能便は元は朝倉家に仕えておりましたが、朝倉家に仕える他の素破と里が異なるため、犬猿の仲で肩身の狭い思いをしております。私は2年ほど前に越前に参った折に彼らと縁があり、こうして共に暮らしておりますが、正直申しますと生活は貧しく、正月の餅代にも苦労する有様にございまする」


光秀が言いたいことはすぐに分かった。志能便を食わせるため俺に雇ってほしいというのだろう。


「越前の冬は豪雪と聞いておる故、その様子では冬の薪代にも苦労しておるのではないか? 順蔵とやら、志能便は如何ほどおるのか? それと、里におる家族はどのくらいの数だ?」


「はっ、志能便は全部で25名。里では女子供や老人60名ほどが田畑を耕して暮らしておりまする」


「ふむ、全部で90名足らずか。……では、順蔵。志能便たち全員を寺倉家に召し抱えるとしよう。そして、我が寺倉領に土地を与える故、里におる家族全員を連れて近江に移り住んではどうだ? 土地とは言っても、今は廃村となっておる山中の集落跡だがな。近江も雪は多少積もるが、越前に比べればかなり過ごし易かろう。先祖代々守ってきた土地を離れるのは辛いやも知れぬが、どうだ?」


実は、鎌刃城を攻める途中で接収した男鬼入谷城の麓には、今は廃村となった集落跡がある。人目に付かない山中にあり、寺倉郷と鎌刃城の中間に位置し、どちらにもすぐ移動できるので、志能便の里にするには恰好の場所だろうと考えたのだ。


「正吉郎様。彼らを雇っていただけないかとお願いしたかったのは事実でございますが、雇うのではなく、召し抱えていただけるとは真にございますか?」


「我らは祖父の代に余所から移り住んできた者たち故、越前に愛着はございませぬ。近江に土地をいただけるのであれば、喜んで移らせていただきまする」


俺の予想外の提案に、光秀は驚いて確認してきたが、順蔵は家族の移住を快諾する言葉を返した。


「左様だ。実はな、寺倉家では素破が一人もおらなんだ故、むしろ大歓迎なくらいだ。伊賀衆のような銭雇いではなく、私は寺倉家の家臣として志能便を全員召し抱えたいのだ。どうだ、私に仕えてはくれぬか?」


「ははっ、誠にかたじけなく存じまする。頭の者は出て参れ」


「「「「「はっ」」」」」


順蔵が背後に呼び掛けると、5人の男が音も立てずに膝を着いた。その統率の取れた動きを見ただけで、いかに優秀な素破か分かるな。


「寺倉様。この者たちと先ほど寺倉様に手当していただいた金次は、6つの組を率いる組頭と申す者にございまする」


「そうか、志能便の幹部たちということだな。寺倉家では素破を見下したりせぬ故、お主たちはもう肩身の狭い思いをする必要はない。寺倉家臣として誇りを持って仕えるのだ。良いな?」


「「「「「ははっ!!」」」」」


「寺倉様。誠心誠意お仕えさせていただきまする」


順蔵が代表して答えると、背後の5人からは嗚咽が漏れている。


「うむ。よろしく頼むぞ!」


こうして俺は軍師に続いて、素破たちを獲得することができた。その後、俺たちはほとぼりが冷めるまで3日ほど光秀の家に留まると、光秀と妻子、順蔵ら志能便を連れて近江への帰国の途に就いた。志能便の家族は別行動になるが、雪が降る前には近江に移り住む手筈となっている。



◇◇◇



近江国・小谷城。


「浅井新九郎殿、一別以来にございまする」


12月22日、浅井家の本拠地である小谷城で、俺は浅井家当主、浅井新九郎賢政に挨拶をしていた。


「寺倉正吉郎殿。越前では大変な目にあったと伺ったが、大事はござらぬか?」


「はい。どうにか近江まで帰って来れ申した。いささか疲れ申したのは事実でございますが」


あれから志能便が裏道を案内してくれ、朝倉家の追手に見つからずに近江まで移動することができた。


「誠に済まぬ。私も朝倉家に寺倉家は同盟相手だと伝えておくべきであった」


賢政は小さく頭を下げるが、事前に浅井家が伝えたとしても結果は同じだっただろう。


「いえ、朝倉左衛門督様が六角家の養子だとは知らずに来訪した私の落ち度にございます。それに、朝倉家に我らの同盟を伝えておれば、六角家にも伝わっていたはず。お気になさる必要はございませぬ」


浅井家は六角家に再び臣従したため、寺倉家と和睦しただけでなく、同盟を結んだことは公にできない事情があるのだ。


「して、正吉郎殿。折り入って貴殿に頼みがあるのだが、聞いてはもらえぬだろうか?」


「はて、何でございますかな?」


「父上、入ってきてくだされ」


賢政が呼んだ男の姿を見て、俺の後ろに控えていた大倉久秀が腰を浮かせるが、俺は久秀を手で制すと、目の前の男に目を向けた。


浅井宮内少輔久政。だが、その姿は先日とは別人のように変わっていた。


「浅井玄透斎巖應げんとうさいがんおうと申しまする」


久政、いや、巖應は真剣な眼差しで俺を見つめながら、剃髪された頭を深く下げた。


「ご覧のとおり父上は出家なさった。そこで、心を入れ替えた父上を寺倉殿に仕えさせたいのだ。この頼み、どうか受けてはもらえぬだろうか?」


「私は犯した罪を悔い改めるため仏門に入り申した。無論、これで罪が消えるとは微塵も思ってはおりませぬ。せめてもの罪滅ぼしとして寺倉様に仕えさせていただきたいのです」


巖應は自らの罪を心の臓に銘肝するように、鎮痛な面持ちで告げた。


「……」


巖應の真摯な態度を見てもなお、俺は返事を逡巡し、沈黙は数分にも感じられた。


「……何を今さら!」


「やめろ」


久秀が我慢し切れずに、恨みの声を漏らしてしまうが、俺の喉から絞り出された低い声が久秀の高ぶった心を冷ました。


「申し訳ございませぬ」


久秀が頭を垂れるのを見て、俺は無表情のまま巖應に向き直る。


「巖應殿、私への罪滅ぼしのためと申すのであれば、その申し出はお断りしよう」


「……」


「だが、寺倉家を発展させ、領民の暮らしを豊かにするために、汗と土に塗れて働く意志があるのならば、私は貴殿を一家臣として寺倉家に迎え入れよう」


顔を上げた巖應は俺を見つめ返す。


「……宜しいのですか?」


「出家してまで心から罪を悔やんでおる貴殿ならば、私は慈悲を以って許そう。本当の仇は六角左京大夫である故な」


俺がその言葉を紡ぐと、巖應の目から涙が零れた。


「ううっ……。誠にかたじけなく存じます。二度と過ちは繰り返しませぬ。我が身命に懸けて寺倉家にお仕えいたしまする」


平伏しながら嗚咽を漏らす巖應を、俺は静かに見つめていた。


これまで浅井家当主として武勇の面では成果を挙げられなかった巖應だが、領国経営では目を見張る才能が確かにあった。それを証明するように、巖應は寺倉家の内政面で大きな活躍をすることになる。


今、この時こそ、後の「寺倉六芒星」の一人、浅井巖應が誕生した瞬間であった。

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