越前訪問③ 施術と軍師の仕官

「して、寺倉様は何故、朝倉家の兵に追われていたのでございますか?」


「実は我らは今日、一乗谷に着いたばかりなのだが、まずは朝倉左衛門督様にご挨拶しようと朝倉屋敷を訪ねたところ、突然追われる羽目になったのだ。朝倉家の衛兵は左衛門督様から我らを捕らえよと命じられたと申しておったが、我らには如何なる理由なのか皆目見当も付かぬのだ」


俺が朝倉家の兵に追われていた事情を光秀に掻い摘んで説明すると、横に座る平次郎が俺の方に向き直った。


「寺倉様、その理由は私から申し上げましょう。先ほど店で寺倉様にお会いした時には私も知らなかったのですが、後で父から聞いた話によれば、朝倉左衛門督様は六角家から迎えた養子なのだそうです。寺倉家は浅井家とは和睦されたと伺いましたが、六角家とは関係を断絶されたそうですな? そうであれば、実家の六角家に仇を為した寺倉家を排除すべしと、左衛門督様が寺倉様を捕らえようと命じたとしても何ら不思議ではございませぬ」


「えっ? 朝倉左衛門督様が六角家からの養子ですと!」


光秀は吃驚しているが、そう言えば六角家の先々代当主・六角氏綱は20代で早逝した後は、次弟の六角定頼が当主となったのだが、氏綱には幼い息子の六角義実がいて、その義実の子が朝倉家に養子に入ったという説を前世で読んだ記憶がある。


その根拠として、朝倉義景の幼少期の傅役や乳母などの記録が残っていないこと。義景の父である朝倉宗淳孝景と六角定頼との間に『末代まで』と記された謎の密約が交わされた記録が残っていること。義景の側近に六角家臣の苗字が多いこと。義景が六角家の内紛に介入したこと。義景が朝倉家様式の花押だけでなく、六角家様式の花押を併用した書面が残っていること。六角氏綱の次男で仁木家を継いだ仁木義政と義景が親しい間柄であったこと、などが挙げられていた。


これらの理由から、義景の代で起こった朝倉家の譜代家臣や一門衆の離反などの朝倉家中の軋轢も、当主の義景が他家からの養子であったことに起因していると考えると、合理性があるという主張の異説だったが、どうやら真実だったようだな。


「なるほど、そういう事情であったか。それでは朝倉家に追われるのも無理はないな」


朝倉家に挨拶に赴いたのはとんだ藪蛇だった訳だが、そのお陰で明智光秀と出会うことができたのだから、災いが転じて福と成ったわけだ。


「殿! 金次が!」


その時、家の入口から切迫した声が掛かった。俺たちが其方を向くと、そこには血だらけで瀕死の男が担ぎ込まれていた。背中に大きな刀傷を負っており、このままでは出血多量で死ぬのは間違いない。


俺はすぐに背後の勘兵衛や久秀、藤次郎に指示した。


「ここに男を俯せにして寝かせよ! 沸かした湯と布、酒、針、糸と包帯を用意しろ! 藤次郎、金創薬と石鹸は持ってきておるな?」


「ですが、この薬は貴重な……」


「目の前に死にそうな者がおり、薬が手元にあるのだ! ならば、その薬を今使わずして、一体いつ使うと言うのだ!」


金創薬は10万円くらいする最高級の傷薬だが、いくら商人出の藤次郎であっても今は金を惜しんでいる時ではない。


「はっ、申し訳ございませぬ」


「藤次郎、この男がお前の父だったならば、左様な物言いはせぬはずだ。二度と人の命を軽んじるような物言いはするでないぞ。良いな」


「ははっ、肝に命じましてございまする」


藤次郎が平伏して謝罪する間に、俺の前の板床に気を失った男が上半身裸で寝かされ、すぐに指示した物が用意されると、俺は固唾を飲んで見守る男たちに告げる。


「では、これより男の傷を縫合し、出血を抑える施術を施す」


石鹸で手を洗った俺は傷口を洗浄し、傷の深さを確かめると、幸いにも傷は背中の筋肉で留まっているようだ。俺は溢れ出す血の量に吐き気を覚えながらも、酒で消毒した傷口を20針ほど縫うと金創薬を塗り、包帯を巻いて30分ほどで縫合手術を終えた。


「幸い内臓は傷ついておらぬ故、出血が止まりさえすれば、命は助かるであろう。後は失った血を補うために獣の肉や肝、鶏の卵など血の素となるものを食べさせよ」


そう言うと、俺は力が抜けて両手を後ろにつき、ほっと安堵の息を吐いた。




◇◇◇




「寺倉様……今なさった施術は一体何でございますか?」


私は見知らぬ素破一人の命を助けようと、鬼気迫った表情で見たことのない施術を行う寺倉様の姿に驚きを禁じ得なかった。


「ああ、明の医術の書物で読んだ縫合術だ。たとえ傷が浅くても、人は出血が多かったり、傷口から毒が入ると死んでしまう故、早く傷口を閉じて出血を止める必要があるのだ。無論、内臓が傷つくと手の施しようもないが、今回は幸いであったな。私も書物を読んだだけで、実際に施術を行うのは初めてであったが、失敗はしておらぬはずだ」


「おお、左様でしたか。一介の素破のために……誠にかたじけなく存じまする」


「明智殿。申しておくが、素破は決して卑しくなどないぞ。卑しいというのは身分ではなく、心根のことを言うのだ。見知らぬ我らを助けるために命懸けで戦ったこの男が卑しいはずなどなかろう。卑しい男とはな、民から慕われた父上を妬み、罠に嵌めて殺めた六角左京大夫のような性根の腐った者のことを言うのだ。私は決して身分の違いで人を見下したりなどせぬ」


断固とした口調で告げられる寺倉様の目は力強い光を放っている。


「はっ、私も決して素破を見下したりなどしてはおりませぬ」


「左様であったか。気が高ぶっておる故、失礼なことを申してしまったな。申し訳ない。……だが、この程度は我らの命を助けてもらった恩にすれば、足りないくらいだ。気にされずとも良いぞ」


何と度量の広い御方なのだ。土岐家に繋がりのある朝倉家を頼って越前に落ち延びてきたものの、朝倉家に仕官できぬまま2年が過ぎようとしていたが、もしかするとこの御方こそ、私が生涯仕えるべき主君なのやも知れぬ。


「ですが、怪我を負った素破を助けようと、武家の当主が自ら手を施すなど、今まで見たことも聞いたこともございませぬ。先ほどの寺倉様の姿を拝見して、私は心より感服いたした次第にございます。どうか私を寺倉様の家臣にしてはいただけませぬか? このとおりにございまする」


そう思った時には、私の口から仕官を願う言葉が出て、自然と平伏していた。


まさかこれほど唐突に自ら仕えたい御方に出会う機会が訪れるとは思ってもおらなんだ。身分の低い素破を蔑まないどころか、瀕死の金次に高価な傷薬を使い、武家の当主が自ら手当てを施すなど、日ノ本広しと言えども寺倉様の他には絶対におらぬと断言できよう。


「明智殿、良いのか?」


「はっ、既に私の心は決まっておりまする」


「良かろう。では、寺倉家の家臣として明智殿を召し抱えよう。私に貴殿の力を貸してくれ」


「ははっ、この明智十兵衛光秀、非才の身ながら寺倉正吉郎様に終生の忠誠をお誓いし、誠心誠意お仕えいたしまする!」


「うむ! 今後の忠勤、期待しておるぞ!」


そう言うと途端に、正吉郎様は先ほどまでの厳しい表情が嘘のように、少年らしい朗らかな笑顔になった。


「ふふっ」


「ん? どうした?」


「はい。正吉郎様も年相応と申しますか、斯様な顔をなさるのですね」


「ははっ、止してくれ。左様なことを申すと照れるではないか」


「「「はははっ」」」


正吉郎様が頰を掻きながら照れると、その場の一同は顔を見合わせて笑い声を上げていた。

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