越前商人との邂逅②
「あのぅ、ご無礼の段どうかお許しくださいませ。私は一乗谷で商いを営んでおります、慶松平次郎と申します。大変失礼にございますが、もしや寺倉様でいらっしゃいますか?」
「正吉郎様。慶松家と言えば、越前は朝倉家の御用商人にございます」
慶松と聞いて、木原十蔵は正吉郎に小さく耳打ちした。
「いかにも、私は寺倉正吉郎だが、越前の商人が何用かな?」
「実は、私は近い内に店を構えようと思い、今日初めて寺倉郷を訪れましたところ、運良く寺倉様をお見掛けして、お近づきになれればと思い、お声掛けしてしまった次第にございまする」
「ふっ、お近づきになりたいか。なかなか正直な男だな」
堂々と本音を明かした平次郎の度胸に、正吉郎は好感を持った。
「はい、正直は私の取り柄にございますが、父は正直者は商人に向いてはおらぬと申しておりまする」
「ははっ、……お主、先ほど一乗谷から参ったと申したな?」
「はい、左様ですが?」
「ふむ、私は越前について良く知らぬ。お主が良ければ話を聞かせてほしいのだが、構わぬか?」
「無論にございます! 私の知る限り何でもお話させていただきます。この山間の寺倉郷を10年足らずでここまで栄えさせたと評判の寺倉様とお話ができるとは、恐悦至極に存じまする」
朝倉家の御用商人である慶松家の三男である平次郎は、朝倉家に関してはかなり詳しい情報を持っていた。自分の持つ情報を手札にして、寺倉家と繋がりを得られるのであれば、今後寺倉郷で商売を始める上でまたとない幸運であった。
「では、お主も屋敷について参れ。十蔵、次は鎌刃城下の新しい店で会おう」
「はい、楽しみにしておりまする」
そう言って歩き出した正吉郎の後について、平次郎も寺倉家の屋敷へ向かうのだった。
◇◇◇
慶松家の名は商人の間では有名なようで、慶松家が朝倉家の御用商人だと十蔵から聞いたが、平次郎は店を継げない次男や三男なのだろう。とは言え、商人相手に『タダで情報をくれ』というのは虫が良すぎる話だ。
だが、寺倉郷に店を構えようという平次郎にとっても、俺との繋がりを持てるメリットは理解しているはずだ。だが、阿諛追従する訳でもない。こういう正直で信用の置ける男が商売に強いのだろう。俺は平次郎に本物の商人像を垣間見た気がした。
「では早速で済まぬが、今の越前の状況を聞かせてくれるか?」
俺は屋敷に戻り、平次郎を客間に招くと、まずは平次郎の持つ情報の精度を確認するため、当たり障りのない越前の現状から訊ねた。
「畏まりました。朝倉家は3年前に"守り神"とも言うべき朝倉宗滴様がお亡くなりになって以来、長く争ってきた加賀の一向一揆に苦慮しているようにございます」
平次郎は包み隠さず率直に語り始めた。俺の関心事は他にあるため、まずは黙って聞き役に徹する。
「また、10年前に朝倉左衛門督(義景)様が当主になられてから、一乗谷も緩やかですが、かつての繁栄が衰えつつあるように感じまする」
越前の状況は十蔵から大体は聞いていたが、一乗谷が衰退傾向だとは初耳だな。
「……以上ですが、何かご質問はございますか?」
話し好きの平次郎が話を終えると、俺はようやく関心事を訊ねる。
「実はな。ここだけの話だが、私は素破を欲しておる。越前で肩身の狭い思いをしておるような素破に心当たりはないか?」
素破。つまりは忍び、忍者だ。今の寺倉家は文武両面で人材不足だが、特に素破がいないのは致命的だ。これまでは十蔵の商人ルートから他国の情報を仕入れてきたが、即時性に欠けるし、内容は商人が知ることのできる一般的な情報に限られる。
だが、近い将来、六角家の侵攻が予想される状況では、何としても素破を確保し、敵の情報を収集するのは六角家に勝つための最優先課題だ。有名な甲賀衆は六角配下だし、伊賀衆は金で雇えるが、伊賀は六角家の勢力下のためあまり信用できない。
そこで、もし越前にフリーの素破がいるのなら、浅井家が同盟を結ぶ朝倉家への挨拶も兼ねて、近い内に越前を訪ねて素破をスカウトしたいと思っているのだ。
「ふむ、……素破ですか」
平次郎も予想外の質問だったのだろう。顎に親指を添えて、しばらく思案に耽る。
「やはりそのような都合の良い素破などおらぬか」
「いえ、そうでもございませぬぞ。一乗谷には志能便という素破がいるそうですが、その者たちは朝倉家の家臣に虐げられているとの噂を小耳に挟んだことがございます。志能便は一乗谷で朝倉家に仕官を願っている明智某という浪人に匿われて、ひっそりと暮らしていると聞き及んでおりまする」
志能便。前世でも聞いたことのある忍びの一族だ。それに明智か。意外な名前が出てきたな。おそらく明智光秀のことだな。
「……明智、か」
俺は思わず声を漏らした。明智光秀と言えば、あの有名な「本能寺の変」により織田信長を討った武将だが、謀略が得意で内政手腕にも優れ、文化人でもある。もし寺倉家に迎えることができれば、心強い軍師となり得る。素破も手に入り、正に一挙両得になるな。
明智家は美濃国主だった土岐家の支流だが、光秀は下剋上で美濃を奪った斎藤道三に仕えるが、「長良川の戦い」で道三に与したため斎藤義龍に明智城を攻められて一族は離散し、光秀は流浪の末に越前に流れ着いたと言われる。
それと、光秀は愛妻家で妻・煕とは非常に仲睦まじく、結婚直前に疱瘡に罹り、左頬に痕が残った煕を光秀は気にせずに娶り、明智城が落ちた際には光秀は身重の煕を背負って逃亡したと言う。さらに、越前での生活が苦しい中で、光秀が連歌会の酒宴に苦労するのを見かねた煕は、自分の黒髪を売って費用を工面したという逸話も残っている。道三側に与した結果美濃を追われたり、越前で妻の黒髪を売らなければならぬほど困窮したりと、光秀は惨苦を強いられてきたのだな。
「ご存知でいらっしゃいますか?」
史実では光秀は越前に10年間暮らしたはずだが、今は「長良川の戦い」から2年半経ったばかりだ。一乗谷に住んでいるとはいえ、今はまだ一介の浪人で朝倉家の家臣ではなく、あまり有名でもないようだな。ならば、今が家臣にする絶好のチャンスだろう。
「ああ、明智と言えば、美濃国主だった土岐家の一族のはずだ。おそらく斎藤家に追われて美濃から落ち延びたのであろう。越前を訪ねる機会があれば探してみよう。平次郎、役に立ったぞ。何か礼に望むものはあるか?」
「勿体無きお言葉にございます。礼をいただく程のことは何もしておりませぬ。寺倉様と話せて楽しゅうございました。寺倉様とお近づきになれただけで幸いにございまする」
平次郎は僅かながら眉が歪み、口角は緩んでいる。俺に貸しを作ろうという魂胆が見え見えだ。さすがは商人の名家の出だな。
「……そうか。では、いずれお主が領内に店を構えた時には、何か便宜を図ろう」
だが、タダほど怖い物はない。俺は礼として平次郎の店に便宜を図ると約束した。最初からこれが狙いだったのかもしれない。
「誠にかたじけなく存じます。では、正吉郎様、本日はこれで失礼いたします」
そう言って平次郎は屋敷を後にしたのだった。
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