崩壊への序曲

越前商人との邂逅①

浅井家と和睦と同盟を結んでから3日後の12月8日、俺は鎌刃城への引っ越しを間近に控えて、源煌寺の参道にある商人街を訪ねていた。


俺は例年のように木原十蔵から諸国の動向について情報を得ようと、十蔵の店に立ち寄ったのだが、今年は畿内で将軍・足利義輝と三好長慶が戦い、先月になってようやく和睦して義輝が帰洛した以外は、東国でも西国でも大きな動きはなかった。


しかし、ついに尾張で織田信長に動きがあった。7月に信長が上四郡の守護代・織田伊勢守家の当主・織田信賢を「浮野の戦い」で破り、11月には何度も謀反を企んだ末森城主の弟・織田信勝を清洲城にて誅殺したそうだ。前世では身内に甘いと評された信長だが、やはり弟との確執が避けられず、苦渋の決断だったのかもしれないな。


もしかすると俺の影響で信長の尾張統一も遅れるかもしれないと少し期待を持っていたものの、さすがに尾張にまでは影響しないようだ。確か史実では来年に岩倉城を攻めて織田伊勢守家を滅ぼし、尾張を統一するはずだ。いよいよ「桶狭間の戦い」まであと1年半だな。


「ところで、正吉郎様。返碁は相変わらず良く売れており、今では東国や西国でも売れ、日ノ本中に返碁と寺倉家の名前が広まっておりまする」


俺に報告する十蔵はホクホク顔だ。干し椎茸と合わせて、かなり儲けているようだ。


「ほぅ。地方でも模倣品は意外と少ないようだな」


「はい。廉価品は大量に売らないと商売に旨みがないため、模倣品に手を出す者は少ないようにございます。むしろ地方では庶民が返碁を手作りして家で遊ぶ者が多いと聞いております。一方、高級品を買う富裕層は、寺倉家の家紋のある本物を買い求めます故、模倣品が出回る余地はないようにございまする」


なるほど、利幅の小さい廉価品を多少売ったところで大した儲けにはならないため、結果的に模倣品を排除することになるとは盲点だったな。今後の商売にも参考になりそうだ。


「ふむ。返碁を廉価品と高級品に分けて商売したのは正解だったようだな」


「はい、まったく見事な商才にございますな。正吉郎様は商人にも向いておられるようにお見受けしますぞ。いや、これは大変な無礼でしたな。お許しくだされ」


この時代の商人の地位は低く、農民や職人のように物を生産せず、農民や職人が作った物を売り買いして利益を稼ぐ商人は、武士から卑しい職業だと蔑まれている。これは江戸時代の『士農工商』の身分制度に繋がる思想だ。


したがって、十蔵が俺を褒めたつもりで『商人に向いている』と言ったのは、武士に対しては大変無礼な失言なのだが、冗談かお世辞なのは明らかなので俺は笑って受け流した。


「ははっ、軽口を申すな。所詮は素人の浅知恵に過ぎぬ。此度はたまたま上手く行ったが、玄人の十蔵に敵うはずもない。十蔵、これからも力を貸してくれ。頼りにしておるぞ」


「ははっ、誠にもったいないお言葉にございます。正吉郎様が居を移されましたら、私も鎌刃城下に本店を移し、この店は弟に任せるつもりにございまする」


そう言うと、十蔵は深々と頭を下げた。



◇◇◇



「ほぅ、ここが寺倉郷か。山間だというのに随分と賑わっておるな」


目前に立ち並ぶ商人街の街並みを眺めて感嘆の声を発したのは、越前の一乗谷から訪ねてきた一人の若い商人だった。その男の名は慶松平次郎という。


慶松家は、室町幕府10代将軍の足利義材が政権争いに敗れ、朝倉家を頼って越前に亡命中に生まれた庶子である足利慶松丸に始まる。朝倉家に預けられた慶松丸は武士ではなく、海外交易に従事する商人・慶松太郎三郎貞廣となった。その後、慶松家は朝倉家の御用商人を務める越前有数の大商人となり、平次郎はその三男坊であった。


一乗谷は「応仁の乱」で荒廃した京の都から疎開した公家などの多くの知識人により大きな発展を遂げ、"西の京"と呼ばれる山口に対して、"北の京"と呼ばれるほどの繁栄を誇る朝倉家の本拠地であった。人口は1万を超え、越前、いや北陸道の政治・文化の中心地ともなっていた。


その一乗谷でも近江の寺倉郷は、この10年足らずで何もない山間の農村から"商いの町"と呼ばれるまでに急速に発展したと、商人の間で俄かに話題となっていた。平次郎はその噂を聞いて興味を持ち、実家から独立して商売を営もうと遥々寺倉郷を訪ねたのである。


しかし、"商いの町"ならば堺や博多もある。なぜ平次郎は寺倉郷に拠点を持とうと考えたのか。それは『楽市楽座』という他国とは一線を画した政策の実施により、寺倉郷が栄えていたのもあるが、それ以外にも理由があった。


まず『楽市楽座』とは座の特権や市場税を廃し、商人の自由競争を促す経済政策である。商売を営む立場としては税はできるだけ少ない方がいいのは当然であり、座の特権も認められなければ、続々と新規参入による新しい風も入ってくるのが期待できるのだ。


ただし、寺倉郷で商店を営む商人には寺倉郷に居住することが義務付けられていた。それは商人が寺倉郷で儲けたお金をできるだけ領内に落とさせるため、正吉郎が定めた数少ない制約である。その結果、経済循環は相乗効果を生み出し、寺倉郷が急速に繁栄する要因ともなっていた。


その寺倉家は先日、六角家の支配から脱却し、領地を拡大したという。六角領の中にある寺倉郷は六角家から侵攻を受ける危険もありそうだが、それに備えて街道に強固な砦を築いたとも聞いた。四方が山林に囲まれ、道が狭いため、大軍が攻めるのは難しい。今は鎌刃城の改修と城下町の整備に動いているらしいが、その迅速さも話題になっている。


だからこそ、魅力的な投資先でもある。当主の寺倉正吉郎は15歳ながら"神童"と謳われるほど、とても聡明で領民の信望も篤いという。一乗谷にも瞬く間に広まり、大人気となった返碁もこの方が考案されたと聞き、驚きが止まらない。


この10年足らずの寺倉郷の目覚ましい発展は全てこの方の為した成果らしく、平次郎は目の前に広がる街並みを見て感嘆を隠せなかった。平次郎が商人街に一歩足を踏み入れると、街は一乗谷にも負けず劣らずの賑わいを見せて、道行く人の活気に溢れていた。


「では、正吉郎様。今度は鎌刃城下の店でお会いするのを楽しみにしておりまする」


平次郎が商店の立ち並ぶ街並みをゆっくりと見て回っていると、聞き覚えのある名前が耳に入ってきた。その声がした方へ無意識に目を向けると、貫禄のある商人が笑みを浮かべながら平身低頭して、15歳ほどの身なりの良い武士と話しているのが目に入る。


平次郎はあの青年が寺倉正吉郎だと確信した。まさか寺倉郷の領主と商人街で出会うとは予想外で、平次郎も本人を目の前にさすがに緊張してしまう。


だが、これは金では買えない幸運に違いないと直感した。そう思った時には、平次郎の足は青年の方へ向かって歩き出しており、あくまで礼儀を見失わないように頭を下げつつ、平次郎は柔らかな声色で声を掛けた。

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