源煌寺の会盟③ 怨讐と和解

やがて、浅井家一行は参道の商人街を通って源煌寺の門を潜ると、境内には寺倉家の重臣たちが並んで一行を出迎えた。臨済宗の源煌寺は以前は寂れた小寺だったが、近年は寺倉家の寄進により見違えるほど立派に整備されていた。


浅井賢政は参道があれほど賑わう寺倉家の菩提寺にしては質素な寺だなと思ったが、以前は弱小国人に過ぎなかった寺倉家ならば、それも当然のことかと思い直した。


「此方にございます。どうぞお入りください」


今日の会談は本堂ではなく、奥の書院で行われることになっていた。賢政が久政を残して東の入口から南側の縁側に足を踏み入れると、そこには静謐な枯山水の石庭が一面に広がっていた。


「おおぅ、見事な庭だな」


「……お気に召されましたかな?」


突然の声に賢政が驚いて振り向くと、部屋の中には若い男が座っていた。


(声を掛けられるまで気配を感じなかったとは……。この男が寺倉正吉郎か)


その部屋には上座はなく、男の向かいには円座が置かれており、そこが賢政の席であるのは容易に汲み取れた。賢政は軽く会釈し、その席へと向かう。


(私の1つ年上と聞いたが、15歳で父を失うのは悲痛な思いだったに違いない)


正吉郎に申し訳なく、賢政は腰を下ろしながら目を逸らしてしまうが、一度目を瞑ると、やがて正吉郎に向き合った。



◇◇◇



「私が寺倉正吉郎蹊政です。よくぞ参られた」


「浅井新九郎賢政です。……まずは私から申し上げよう」


「構いませぬ」


お互いの顔を見つめ合った後、賢政が先に発言すると、俺は短く答えた。今回は会談を提案した浅井家から先に話を始めるのが道理だ。


「最初に、此度の鎌刃城の戦は此方に全ての非があること故、謝罪させていただこう」


賢政が父親の罪を謝る必要はないのだが、賢政は格下の俺に深々と頭を下げた。


商人街を見せつけ、石庭を眺める背後から声を掛けて賢政の動揺を誘い、少しでも有利な条件で同盟を結ぼうと策を弄したつもりだったが、徒労に終わったようだな。予想外の先手を打たれて、俺は心中でチッと舌打ちした。ならば挽回しなくてはな。


「では、それを念頭に置いて和睦を話し合いたい。まず、領地の画定は今この時点の領地で異存はなかろうか?」


「はい。先ほど申したとおり此度の戦は我が父の愚かな行為が招いたもの故、その賠償として鎌刃城の返還は求めませぬ」


手紙には確かに『現状を維持する』とあったが、俺を和睦交渉の席に着かせるための餌だと思っていた。まさか本当に鎌刃城を譲るつもりだったとは、……俺には俄かには賢政が信じられなかった。


「それは寺倉家には上等でござるが、浅井家には何か得がおありなのですかな?」


交渉事は如何に有利な条件を得るかが最も重要であるが、俺はどうしても疑念が晴れずに賢政に訊ねる。


「寺倉殿は疑り深い御方のようですな。……では、私の覚悟をお見せしよう。本日は父・浅井左兵衛尉を連れて参った。父上、入ってきてくだされ」


俺は賢政が一瞬何を言ったのか理解できずにいたが、やがて中年の男が部屋に入ってくると、俺の斜め向かいに座った。


俺は10秒間ほど思考を停止し、俯き加減で瞑目する久政を見つめていた。久政は心労からか、30代前半のはずの顔は白髪が目立ち、初老に見えるほど老け込んでいた。


賢政は父親が斬り殺されても構わない覚悟で、久政をここに連れてきたのだろう。つまりは賢政も俺と同じ境遇になることも厭わないと言いたいのだ。


「……寺倉殿。誠に申し訳ない」


しばしの沈黙の後、久政は深々と頭を下げて謝罪の言葉を発した。


久政の頭を冷淡な目で見下ろしながら、俺の心中は『どの面下げて来たのか』と腸が煮えくり返り、掌に爪が食い込むほど強く握っていた。


「おそらく浅井殿は六角左京大夫に脅されたのだと存じますが、如何ですかな?」


頭を下げ続けている久政に、俺は能面のような無表情で言葉を掛けた。


「いや、私が武士の誇りを忘れたのが全ての原因にござる。私の命で済むのならば、どうかお斬りくだされ」


久政は俺がやせ我慢しているのが分かったのだろう。だが、自分の命を差し出すと言われて『そうですか』と斬れるはずもない。


「父上は命を粗末に扱うのを嫌う方でした。ここで浅井殿を斬ったところで、父上は決して喜ばれぬでしょう。父上は誠に素晴らしい方だった」


「……左様にござる。蔵之丞殿は『家族や家臣、領民たちさえ無事ならば、何も要らぬ』と申された。誠に素晴らしい御方でした」


穏便に収めようとした俺の傷口に塩を刷り込むように、久政が配慮に欠けた言葉を紡いだ。


そんな素晴らしい父をなぜ殺せるのか。俺は『どの口が言っているのだ!』と怒鳴りつけたい感情を抑えようとしたが、抑え切れずに心の叫びが迸った。


「なら、なぜッ、殺したのだッ!!!」


「申し訳ございませぬッ……!ただただ私の心が弱かった!しかし、卑劣な左京大夫を必ずや討ち果たすと誓った私に、蔵之丞殿は『復讐は何も生みませぬぞ』と申された」


「……ッ」


俺は父が最期に言い遺したという言葉に、冷水を浴びせられた気分になった。そして、久政を憎む気持ちも次第に胡散霧消していった。


「これから殺されるというのに、相手を憎もうともしない。そんな人間がこの飽くなき戦乱の世にいるのかと私は信じられませなんだ」


「……」


「寺倉殿、蔵之丞殿を殺めた過ちは全て私が償うべき罪にござれば、私の命は差し上げまする。その代わり、どうか浅井家と和睦し、同盟を結んでいただきたい。このとおりにござる」


久政は深々と頭を垂れて、額を床板に擦り付けた。北近江の大名である浅井家の前当主が土下座する姿に、普段の冷静さを取り戻した俺は優しく声を掛ける。


「頭を上げてくだされ。元より浅井殿を害しようなどとは思っておりませぬ。……できることならば、これからは手を結び、共に栄えていきたいと存じまする」


怨讐は新たな怨讐を生み続ける。だが、その怨讐を俺が消せるのならば消すべきだ。そして、手を結べるのならば手を結ぶべきだ。父の最期の言葉から俺はそう確信するに至った。


「……誠にかたじけなく存じまする」


久政はしばらく目を瞑り、絞り出すように言葉を返した。


「浅井新九郎殿。貴殿の覚悟は良く分かり申した。私は浅井家と和睦し、盟約を結びたく存じまする」


「左様にございますか」


その後の交渉の結果、領地に関しては鎌刃城の周辺を治める小国人の領地との境を目処に画定した。寺倉家の領地は鎌刃城の北を通る東山道一帯の盆地を含んでおり、寺倉郷よりは何倍も広い土地を得ることになった。


そして、浅井家とは六角家を始めとする他家には極秘とする形での同盟を締結し、両家は少なくとも今後10年間は不戦とし、一方が他家から攻められた場合は他方が援軍を送ることが取り決められた。


これは前世の日米安保条約と同じく、寺倉家が一方的に恩恵を受ける可能性の高い、有利な内容の密盟であり、後にこの会談は「源煌寺の会盟」と呼ばれることになるのだった。

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