奸計の因果応報
近江国・鎌刃城。
11月29日の早朝、無事に初陣で鎌刃城を落とすことができた俺は、重臣たちと新たに家臣に加えた堀秀基と話し合った結果、大倉久秀と常備兵100を鎌刃城に残し、堀秀基と配下の城兵100と協力して、夜襲で傷ついた鎌刃城の城門や城壁の修築を急ぐように指示した。
と言うのも、鎌刃城を奪われたと知った浅井久政が、雪が降り出す前に鎌刃城を奪還しようと兵を送って来るのが予想されるからだ。大倉久秀と兵200が守る鎌刃城ならば、そう簡単には奪還されることはないと踏んでいる。
俺は明朝、常備兵以外の兵400を連れて一旦寺倉郷へと帰還することにしたが、年内にも鎌刃城に居を移し、本拠地を鎌刃城にすることを決めた。
◇◇◇
近江国・観音寺城。
11月30日の朝、観音寺城では寺倉家の"謀反"が伝えられていた。
「なに? 寺倉家が浅井家に侵攻し、鎌刃城を落としただと!?」
六角義賢は心中穏やかではなかった。義賢にとって寺倉家は"分不相応に栄えて軍備を整える忌々しい雑魚"という認識でしかなく、まさか当主を殺された復讐のために軍事行動に出るとは全く予想していなかったのである。だが、六角家が浅井家を再び臣従させた今、従属勢力同士の内訌が起こるのは非常に拙い事態であった。
(いくら"神童"と呼ばれようとも、やはり正吉郎も人の子。父親を殺されれば怒りの感情を抱くのは当たり前か)
一方、蒲生定秀は正吉郎の行動にある程度は納得していた。だが、寺倉家の"謀反"とも言える事態の急展開は予想だにしていなかった。定秀の狙いは"義賢を失脚させ、嫡男・義治を担ぎ上げる"ことであり、決して六角家の内乱ではなかった。言うなれば、蒲生家の家中における地位をさらに盤石とし、権力を掌握することが目的であった。
義賢は短気、傲慢で度量の小さい男だ。お世辞にも名門・六角家をまとめ上げる器ではない。六角義治も決して有能とは言えず、むしろ最近は僭越な行動が多く、宿老の一部を遠ざけるなど、義賢ですら頭を悩ませる程だった。史実では勝手に斎藤家との縁談を推し進めようとしたり、歳を重ねるごとにエスカレートしている。
しかし、定秀はだからこそ御し易いと見積もっていた。義賢は歳を重ねている分、無駄に頭が回る。弓馬の名手で個人的な実力としては高いものがある。定秀としても、義賢は厄介な存在であった。一方で義治はまだ若い上、幸いな事にこの対立構造が蒲生にとってすこぶる都合が良い。後藤賢豊や三雲定持などは、義治による心証が悪く、意図的に遠ざけられていた。この水面下での対立が、観音寺騒動の一因になる。
嫡男の義治と義定、本来ならば義治が当然のように家督を継ぐ立場だ。それでも義定を推す声が絶えなかったのは、六角家に属する諸勢力の独立性が高かったことにも起因する。六角定頼の死から混乱こそ少なかったものの、義賢の治世では国人衆の掌握が甘くなったのもまた事実であった。
決して後藤賢豊や三雲定持と定秀が不仲というわけではない。二人は義治から遠ざけられているため、義定を次期当主にと推さざるを得なくなっていたのだ。義治が当主となれば、後藤家や三雲家の権勢が翳りを帯び、蒲生家はその恩恵を受ける形で家中の地位をより一層高める事になる。
義治などどうにでもなるのだ。無能ほど御し易いものはない。
(今は静観するしかあるまい。だが短気な左京大夫が不届き者を放っておけるはずはなかろう。間違いなく後先考えずに寺倉家を攻め滅ぼそうと考えるであろうな。やれやれ)
定秀は嘆息する。寺倉家と浅井家の間で内紛が起き、これを収めるために六角家や蒲生家が兵を出して内乱ともなれば、その混乱に乗じて三好が背後から戦を仕掛けてくる可能性が高くなる。六角家を大きく揺るがしかねない事態だと定秀は眉を歪め、他の「六角六宿老」たちも同じことを考えたのか、明瞭に動揺を露わにしていた。
「ぐっ……。許せん! すぐに寺倉家を攻め滅ぼし、鎌刃城を奪還するぞ! 皆の者、出陣の支度を急ぐのだ!」
定秀が予想したとおり、義賢は躁急に寺倉家を攻め滅ぼすとの判断を下した。短気なだけでなく、視野が狭いために短慮な義賢は目先のことしか考えられない。
すると、「六角六宿老」の一人、後藤但馬守賢豊がすぐさま反論する。
「左京大夫様、それはなりませぬ。先日の浅井家の叛乱で戦ったばかりの今、再び我々が動けば、背後から三好に攻め込まれる隙を与えるだけにございます。そうなれば南北に挟まれて、六角家は致命傷になりかねませぬ。今一度お考え直しくだされ」
後藤賢豊は至って冷静に諭すように義賢に進言する。義賢と重臣とのこうしたやり取りは日常的で見慣れた光景であったが、今日はいつもとは違い、義賢の反応が良くなかった。
それは寺倉家の"謀反"が自分の奸計が原因だと義賢が察知したためである。義賢自身死んでも口を割るつもりはなかったものの、もし自分の関与が露見すれば蒲生家の反発は小さく済まない。義賢は自分の保身に対してだけは聡明だった。
「それでも寺倉は今潰すべきであろう! これは六角家当主の命令だ。すぐに出陣するぞ!」
(ふっ、己の悪事が露見するのが怖いのか? ふん、とっくの昔にバレておるわ!)
定秀は心の中で嘲笑し、拳を握って必死に怒りを抑えながら瞑目する。
「「……」」
前当主の定頼の代から六角家を支えてきた宿老たちは、誰一人として軽率な義賢の命令に従おうとはしなかった。譜代の中で最も大きな力を持つ後藤賢豊への信頼感による部分もあるが、浅井家の叛乱を鎮圧した直後の軍事行動には誰もが難色を示した。
「何をしておる! 戦支度をせよと申しておろう!」
義賢は立ち上がって口角泡を飛ばしながら命じるが、重臣たちは揃って目を逸らし、義賢を黙殺していた。
「……お言葉ですが左京大夫様、此度は六角家の存亡が掛かる一大事にござる。三好との戦を終え、浅井とも戦った直後、更なる戦いを行うは家臣や領民の信望を失いかねませぬ。さらに、北近江ではもうじき雪も降り始めますれば、雪の中で兵たちを戦わせるのは愚の骨頂。寺倉家は蒲生家の配下でございましたが、所詮は弱小国人に過ぎませぬ故、来年の雪解け後まで待ったところで、容易に叩き潰せましょう」
そこへ蒲生定秀が諫言すると、その一言で慌ただしかった義賢の動きが止まった。
「それとも左京大夫様は何か、寺倉家を今すぐ潰さないとお困りになる理由でもおありなのですかな?」
そう言うと、定秀は冷たい目で義賢を見据える。
(まさか! 下野守は気付いておるのか?)
定秀の冷徹な目の中に怒りの色を見て取ると、義賢の顔色は土気色に変じ、唇はワナワナと震え出した。
「「……」」
しばらくの間、2人は無言で見つめ合った後、やがて義賢は冷静さを取り戻して腰を下ろすと、定秀もいつもの鷹揚な表情を取り戻す。
「……うむ。お主らの申すことも一理ある。確かに今焦って動けば、三好に付け込まれる愚を犯すだけであるな」
定秀は内心で「やれやれ」と溜息を吐きながらも意外に思った。
(儂があそこまで申せば、己の悪事がバレていると察したか。ならば無理に我を通せば、儂が寺倉に味方しないとも限らぬと理解したようだな。ふん、いくら暗愚な左京大夫でも、そのくらいの知恵は回るようだな)
義賢が家臣の進言で己の考えを改めるのは日常茶飯事であり、驚くほどのことでもなかったが、常識的な思考の持ち主であれば、今動くのが得策でないことくらいはすぐに理解できたはずで、当然の結果に過ぎなかった。
仮に寺倉領に攻め込むとしても雪解け後が妥当であった。寺倉郷は森にも囲まれており、街道には砦も築かれている。元より寺倉郷に攻め込むなど予想していないため、近くに拠点となるような城はない。街道もさほど広くはないため大軍で攻め込むのは難しく、砦を壊すのにも骨が折れるのが予想された。
それ以前に、何よりも六角家の兵は戦続きで疲弊し、怪我を負った者が多かった。戦後の処理もまだ済んだ訳ではない。春までは休息を取らせなければ、家臣や国人たちの僅かな信望にも悪影響しかねないのは明らかだった。
こうして、六角家の年内の寺倉家侵攻はひと先ず見送られることとなり、緊急の評定は終了した。しかし、最後に義賢から重臣たちに春の出陣の準備を整えるように告げられ、重臣たちも不承不承ながらそれに同意を示したのであった。
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